2-29 夕闇の一幕
息を切らせ、壁に手をつきゆっくりと歩く。
なんとかあの三人には気付かれなかったものの、だいぶ深手を負ってしまった。この状態で戦闘をするとなると、かなり骨が折れる。
グリッド・A・ネームレスは、ひとまず逃亡するという手を選んだ。
管制塔の地下施設から外に出て、なるべく人目を避ける裏路地を通る。
深手とはいうが、レンの最後の一撃は全て打撃攻撃だ。出血はなく、その分体力の消耗は少ない。逃げるだけの力はまだ余裕で残っている。
たった三人の学生にしてやられたというのは癪だが、ネームレス盗賊団での経験上、グリッドは引き際を弁えていた。故に二年前の盗賊団壊滅の時も公国軍から逃げ延びることができたのだ。
都合のいいことに、時刻は夕方。もう少しすれば夜になろうという時間帯、闇に紛れて姿を隠すにはちょうどいい。
天は自分に味方をしているとグリッドは思わず顔をにやつかせる。
そこで、彼は前方で足音がしたことに気が付いた。
顔を上げてそちらを見ると、そこには夕陽を背にして立つ何者かがいた。
「やれやれ、ようやく各所の対応が終わったかと思えば今度は後始末。私もつくづく忙しい女ですわね」
「……何者だ」
「名乗るほどの者ではありませんわ」
コツコツと、その何者かは数歩前に踏み出す。
そこで夕陽の逆光が幾分か抑えられ、ようやくその人物の全体像を見ることができた。
それはメイドだった。
大きな桜色のリボンで後ろを結った空色の髪に、海色の瞳。年齢は10代後半といったところだろうか。おおよそ普通のメイドには見えないが……。
「初めまして、グリッド・A・ネームレス様。私はレン様のメイドを務めさせていただいております、エリアル ストラインと申します」
名乗って、スカートの端を摘まんで一礼するエリア。
それはあまりにも異様な光景だった。というのも、A級犯罪者の前に堂々と一人でメイドが立っているのだ。それも、グリッドのことを知らない一般人というわけでもない。
グリッドのことをよく把握していながらも、その前に立つ。それがどれほど愚かしい行為であることか。
「メイドだぁ……?」
訝しみながらも、グリッドは決して油断はしなかった。
今や彼は手負いの身だ。相手がただのメイドとはいえ、銃の一つでも持っていれば不意打ちでやられかねないほど弱っている。
ならばとグリッドは壁についていた右腕を離し、そこに炎を生み出した。
「ただのメイドが何の用かは知らねぇが、俺ぁ急いでんだ。邪魔だから灰になってろ」
一切の容赦なくその炎をエリアに向けて放つグリッド。
手負いとはいえ、その炎の威力は万全時とそう大差はない。ただのメイドがそれを受けて無事なはずもない。
だからこそ、グリッドは次の光景に目を疑った。
中央で真っ二つにされる火炎。その向こう側で、メイドが巨大な武器を持っていた。
それは大鎌だった。おおよそメイドには似合わない、あまりにも物騒な武器。
「二つあります」
易々とグリッドの火炎を切り裂いたメイドは、ゆっくりと前に歩きながら語る。
「一つは、あなたが持っていた今回の騒動の元となったあの魔石」
そう言われて思い至るのは、全ての襲撃地点へと魔力供給をしていた、あの太陽のような炎を生み出していた魔石。
「あなたはあれをとある組織から与えられた。でなければ、たかがA級犯罪者程度が、警備が厳重なリンクライン島でこれほどまでに大きな騒ぎを起こせるはずがありません。違いますか?」
「……」
「あの魔石は魔石に非ず。正式には―――いえ、まぁいいでしょう。それよりも、あれをあなたに与えた組織というのが問題なのです」
じり、とメイドが一歩踏み出すと、それに合わせるようにしてグリッドが一歩後退する。
「我々はあの組織を追っています。通称―――『結社』とでもいうべきでしょうか。あれに関わった人間は、たいてい厄介なことを起こしてくれるものです」
「てめぇ、そこまで知ってるとは……何者だ?」
「共和国の機関とでも言っておきましょうか。その組織では、結社に関わった人間を消す決まりになっているのですよ」
ガシャリと不気味な音を立てて、メイドが大鎌を構える。
明らかに実力者であるという隙のなさ。圧倒的なまでの覇気。そして、それらを塗りつぶすかのような殺気。
「あるいは、万全時のあなたならば互角の戦いもできたでしょうが」
最後にメイドは、にっこりと笑った。
「今のあなたではまるで相手になりません。それでは」
風を切る音と同時。メイドはすとんとグリッドの背後に降り立っていた。
すっぱりと斬れたグリッドの首から上がごとりと落ち、大量の血が噴き出る。
それを浴びないように、またその場を後にするためにメイドはすたすたと路地裏を抜けようとする。
「ああ、そうそう」
その途中で思い出したかのように振り返った。
「二つ目の理由ですが、私の大切なレン様の命を狙ったことですわ。主人を守ることも、メイドの務めですから」
そう言い残して、メイドはその場を去っていく。
後に残されたのは闇に沈みゆく無残な死体が一つだけだった。




