2-20 乙女達の入浴
レアード学園女子寮には浴場がある。
一般的に「大浴場」と呼ばれるそこは、東の島国『風陣』の温泉という文化を取り入れた集団浴場で、決められた時間内であれば誰でも入れるというものだ。
これはほぼ毎日開放されているものであり、話に聞くだけならかなり理想的な設備のようにも思えるが、利用者は比較的少ない。
理由としては、寮の一室ごとにシャワールームが備え付けられていて、体を清めるならそちらで行う者が多いというのと、基本的にこの世界では集団での入浴という文化が浸透していない。
風陣からやってきた生徒はたまに利用したりするが、それでも毎日利用する者はごくわずか。もちろん風陣以外の国から来た者も利用するが、それも滅多にないことだ。
新入生は物珍しさに入浴しに来る者も多いが、入学から一か月も経つと客足も途絶えようというもの。
今となっては閑散とした雰囲気の漂う寂しい入浴上となり果てている大浴場。
食堂を後にしたエファは、なぜかその大浴場にいた。
「何回も言ってる気がするけれど、どうしてこうなったのかしら」
「ふふ、細かいことは言いっこなしよ」
浴場椅子に腰かけたエファの背後に、楽しそうに鼻歌をうたうセシル。
構図としては、セシルがエファの背中を流している感じだ。
泡立てたボディタオルで軽快なリズムを刻みながら、エファの体を洗っていく。
「いつ、つつ……」
「あ、ごめんなさい。傷、まだ痛むのね」
手当を受けたとはいえ、エファの傷が完治したわけではない。
医療魔術が発達している現代において人の傷の回復速度は飛躍的に早まったが、さすがに数時間前に受けた傷はそこまで回復しきっていない。
「大丈夫よ、リーナが丹念に治療してくれたし、それにこんなの軽い火傷程度だわ」
「グリッドの攻撃をあれほど受けておきながら、よくそんな強がりが言えるわね、と」
セシルが軽く右肩の包帯を叩くと、エファは言葉にならない声を発して背中をピンと張った。
「ちょっと、何するのよ!」
「あら、痛かった? それじゃあ今度は気持ちよくしてあげるわ」
「ひゃああ!? ちょっと、背筋を指先でなぞらないでよ、気持ち悪いでしょ!」
「気持ちいいでしょう?」
「気持ちよくない!」
「冗談よ、ちゃんと洗ってあげるからほら、座って」
思わず立ち上がってしまっていたエファは、未だ完全には信用できないまま再び椅子に座る。
するとセシルは思っていた以上に真面目に背中を流してくれた。冗談はここまで、ということだろうか。
「ごめんなさいね、エファ」
「何よ、急に」
「私の身内が、あなたにこんな傷を負わせた。全ての原因は私にあるわ。だから、あなたは私のことを責めてくれて構わないわ」
ごしごしと背中を擦りながら、セシルは弱々しい声を出した。
エファは少しだけ驚いていた。普段セシルはいつも優位な立場にいて、周囲のことを我関せずと受け流し、自分で流れを作ってそれに周囲を巻き込むような、そんな余裕のある少女だと思っていたからだ。
だが、今のセシルにはその普段からの余裕が微塵も感じられない。
それと同時に、エファは苛立ちを感じた。
「あのねぇ、私が本気でそんなことをするような人間だとでも?」
「え?」
「私に傷を負わせたのはアイツで、私が傷を負ったのは私の実力不足。アンタの身内だろうと何だろうと、私にもっと力があればあの場であの大男をぱっと捕まえて終わりになるはずだった。だから、アンタが責任を感じる必要はこれっぽっちもないの」
「でも、私は―――」
そこでぴたりとセシルは言葉を止める。
逡巡するような間があった後、セシルはエファの背中を擦る手を止めた。
「エファは、ネームレス盗賊団のことをよく思ってないんでしょう?」
「まぁ、そうね」
「私も、元はネームレス盗賊団だった。人殺しだって、したことがないわけじゃない。私の手は既に汚れてしまっている。そういう意味では、私とグリッドは何も変わらないわ」
片手を離し、セシルは泡だらけになった左手を見る。まるでそこにべっとりと赤い血液がついているとでもいわんばかりに。
「ねぇ、エファ。あなたはそんな私のことが許せるの?」
恐れるように、セシルは問いかける。
またも沈黙。しかしこの間は決してエファが考えるために必要だった時間ではなく、様々な気持ちを整理するために必要だった時間だ。
やがて後ろを振り向いたエファは、セシルの左手を両手で包み込む。
「そりゃ、許せないわよ」
「……っ」
「でも、あなたは本当に自分から望んで人を殺したの? 意味がわかっていて他人から幸福を奪い取ったの?」
その問いに、セシルははっと息を呑んだ。
「年端もいかない少女が背負うには、人の命っていう荷物は重すぎるわ。あなたはきっと何もわかってない内にその荷物を背負ってしまっていたんだと私は思う」
「……妙な喩えね」
「でも、大体合っているでしょう?」
セシルは何も言い返さない。つまりそれは肯定の意である。
「許される罪じゃないとは思うけど、情状酌量の余地くらいはあるんじゃない?」
「エファ……」
「ほら、まだ洗えてないところがあるんだけど」
まるで照れ隠しをするかのようにエファは再びセシルに背を向ける。
ほんの少しだけ先程のエファの言葉を噛みしめてしたセシルだが、やがてボディタオルをぐっと握る。
「それよりもアンタ、どうしていきなり一緒にお風呂に入ろうなんて言い出したの?」
「ん? ああ、それはね」
むにゅん、とセシルの両手がエファの胸を鷲掴みにする。
「ひゃっ!? ちょ、なに!?」
「エファってやっぱり胸おっきいわね。でも、大きすぎず適切なサイズというか……言い表すならそう、美乳?」
「何を言って……ってこら、揉まないでよ!」
しばらくそうして戯れた後、セシルはコツンとエファの背に頭をつける。
胸を揉んでいた手も、彼女を抱きしめるような形に。
動きが止まって、エファは少し困惑する。
「……どうしたの?」
「深い意味はないわ、私があなたと一緒にお風呂に入りたかったのは、単に親睦を深めようと思っただけ」
「なによそれ、前から思ってたけどセシルって意味がわからないわね」
「そうかしら。それより、いま初めて私の名前を呼んでくれた」
あ、とエファの口から声が漏れる。その反応に、セシルが嬉しそうに笑った。
決して意図していたわけではない。今までセシルの名前を呼ばなかったことも、今ようやくその名前を口にできたことも。
多分それは、エファの心情が大きく変化したことを意味していて。
だからこそ、エファは問うまいとしていた疑問を口にする。
「ねぇ、セシル。あなたどうして団に戻りたくないの?」
「いきなり、ね」
「アンタから話を聞く限りじゃ、アンタにとってネームレス盗賊団っていうのは家族みたいなものだったんでしょう?」
沈黙。もちろんこれも肯定だ。
「ネームレス盗賊団は解散じゃなくて壊滅した。それはアンタにとって不幸な出来事だったはずよ。それが復活するっていうなら、喜んで元居た場所に帰るのが普通だと私は思うわ」
「そう、ね」
「ねぇ、教えて。今のセシルにとって、ネームレス盗賊団はどういった存在なの?」
閉口。エファの後ろにいるセシルの表情を窺い知ることはできないし、話の流れから彼女の感情を読み取ることも難しい。
だが、セシルが躊躇っているということはなんとなくわかった。いや、覚悟を決めていると言った方が的確か。
やがてその覚悟が定まったのか、セシルはすっと息を吸ってから短く吐いた。
「ネームレス盗賊団の壊滅は、必然だったと思っているわ」
背中を洗う手を止め、セシルは訥々と語り始める。
「私達のしてきたことは、誰がどう擁護しようと悪事よ。それに気付いたのは私が10歳を超えたあたり。倫理観とか一般論とか、そういうものをきちんと認識できるようになってから、私は団の活動に疑問を持つようになっていた」
「疑問って?」
「このままでいいのか。他人の幸福を奪ってまで生き延びる、そんなやり方でこの先を生きていくつもりなのか。でも、私はそう思うことができても団としての活動をやめなかった」
「そっか、あなたが団を抜けたのは―――」
「今から二年前、公国軍に団を壊滅させられた時よ。だから私は5年間もそんな疑問を抱きつつ、それでもその行為をやめることができなかったというわけね」
自嘲するようにセシルは少し明るい声で言う。
「だからこそ、団が壊滅した時は『ああ、これで良かったんだ』って思ったの。私はきっと公国軍に捕まって、罰を受けるんだって。そのつもりでいたし、それでいいとも思っていた」
「セシル……」
「でも、団長は最後の力を振り絞って私のことを逃がしてくれた。生きろって、そう言って私のことを逃がしたの。だから、私はその言葉に従って必死に逃げた。その時に出会ったのがカミトよ」
カミト・S・エイデン。異色な生徒の集まるA組の中でも極めて色濃く目立つあの男。
「どうしてカミトが私のことを助けてくれたのかは―――そうね、本人は『その方が面白そうだから』って言ってたし、多分その通りなんだろうけど、真意はよくわからないわ。それでも、私が命を拾ったのは確かよ。団のみんなはほとんど捕まってしまって、私は生き残った。そのことに罪の意識がなかったと言われれば嘘になるけど、私はあの時、団長が『生きろ』と言ってくれた理由が知りたいの」
「だから、生きるためにここに来たの?」
「それがカミトの条件だったから。身の安全を保障する代わりにレアードに入学すること。それだけで自由が得られるのだから、安いものでしょう?」
安いどころか、破格の条件だ。
ネームレス盗賊団の団員という大罪から解放され、普通(とは少し違うかもしれないが)の学園生活を送ることができる。セシルがカミトの真意を疑うのも無理はない。それほどまでに自由の対価としては安すぎる条件なのだ。
しかし、セシルはその話は今はまるで関係ないと言わんばかりに次の話に移る。
「だから、私はとりあえずこの学園で『生きて』みることにしたの。その生きる意味を探すのが、私の目的」
「ずいぶんと哲学的な理由ね」
「そうね、その通りだと思うわ。でも、その意味がなんとなくだけどわかりそうな気がするの」
身を離して、セシルはエファの手前にある蛇口を捻る。
上にあったシャワーから勢い良くお湯が出て、エファは反射的に目を瞑った。
「わっぷ、ちょっと、いきなり何するのよ」
「洗い終わったのよ、ちゃんと泡を流さないとダメでしょう?」
「シャワーを出すなら先に言ってよね。びっくりするじゃない」
不満げに言いつつも、エファはおとなしく体についた泡を流していく。
火傷をした部分にお湯は少し染みるが、それは我慢をすればいいだけのこと。問題は水を吸ってしまった包帯だが、これは入浴後にリーナに撒き直してもらえばいいだろう。
ふと、前にある鏡を見てみると、その鏡越しにセシルと視線が合った。
「私、せっかく意味がわかりかけているのに、学園を離れたくない。それに、ネームレス盗賊団はあれで良かったと私は思ってるの」
「あれって?」
「公国軍に壊滅させられたこと。それがきっと私達の贖い。公国政府は生き残った団員達―――主に子供たちには寛大な措置を取ってくれてる。私みたいにね。団の壊滅を以って、私達はもう罪を償ったの。だからこれ以上、罪を犯すなんてことはしちゃいけない」
「セシル、あなた……」
「これが私が団に戻りたくない理由。団に戻ったところで、私に未来があるとは思えない。きっと私はそこでは生きれない」
諦観ではない。これは確信を持った決意だ。
セシルは自ら団を捨て、ここにいることを望んでいる。そのことがはっきりと伝わるような、強い瞳を鏡越しにエファは受け取る。
「いいんじゃない、それで」
だからエファは、その瞳から感じ取り、思ったままのことを口にする。
「あなたがここにいたいと言うのならそうすればいい。誰もあなたの自由を邪魔する権利なんてないわ。次にあの男がやってきた時は、みんなでぶっ飛ばしてやればいいのよ。今回は負けてしまったけど、次はそうはいかないんだから」
ぐっとシャワーに向けてエファは手を伸ばす。
届かない星を掴むような動作でありながら、彼女はその星に届くと言わんばかりの意気を湛えていた。
セシルは、そんな彼女を見て柔らかな笑みを浮かべた。
「エファ、ありがとう」
それは心温まる一つの風景。
しかし、そのセシルの言葉はどこか儚げで、エファは何故か胸の内に湧き上がる不安感を拭えないままでいた。




