2-13 問題児のいる朝
翌日。いつもより早い時間に登校したレンは、教室に入ってまず最初に驚いた。
このくらいの時間なら一番最初に教室にやってくるのは自分だと思っていたのに、そこには既に先客がいた。
「カミト……」
その名を呼ぶと、カミト・S・エイデンはようやくレンに気付いたというかのように振り向く。
「ほう、レン サイクスか」
「ずいぶんと朝早いんだな、とりあえずおはよう」
「ああおはよう。ま、今日は特別だ。いつもは諜報活動や工作活動でもう少し遅めに登校するのだがな。今日は暇だったので教室の方にちょいと、な」
まるで冗談かのように言うカミト。どこまでが冗談でどこからが本気なのかがわからないのがこの男の特徴だとレンは思う。
「ところでサイクスよ、今日はヒルデブランドやラースヘルとは一緒じゃないのか?」
「ん、まぁたまにはな」
「そうか、まぁ貴様がたまに朝の学校に来ては学内の見回りをしていることは知っているのだがな。目的は学内に脅威がないかの偵察と、朝の散歩といったところか」
「どうしてそんなことまで知ってるんだ……」
「ははん! このカミト様を舐めてもらっては困るなぁ。学内のことならおおよそのことは把握している」
自慢げに胸を張るカミト。そんな彼に、レンは警戒の色を強める。
「それは、いったいどこまで把握しているんだ?」
「どういう意味かな?」
「最近セシルに俺のことを探らせているみたいだけど、どこまで知っているんだと聞いている」
「ふーむ」
おどけたような態度を崩さないまま、カミトはレンの目をじっと見つめる。
やがて彼は呆れたようにため息を吐くと、首を横に振った。
「安心しろ、俺が知っているのはせいぜいヒルデブランドやラースヘルが知っている程度のことだ。貴様の秘密については何一つ知らん」
「そうか、それは良かった」
「しかし今ので少しは核心に近づいた、とでも言っておこうか。どうやら貴様の秘密、知ってはいけない類のもののようだな」
閉口による肯定。
今回のやりとり、レンは口を滑らせたわけではなくあえてそう感じさせるように誘導した。
つまりこれは警告だ。
「キミがどこまで俺のことを調べるつもりなのかは知らない。が、深入りはやめてくれ。下手をすればキミ自身が危険な目に遭う可能性がある」
「それは怖い。了解した、貴様のことを調べるのはやめておこう。だが、一つ聞かせてほしい」
「なんだ?」
「貴様―――本当にヒルデブランド嬢と婚約するつもりはないのか?」
先程までの切迫した空気とは打って変わって、カミトはまるで内緒話でもするかのように冗談めかした小声でレンにそう訊ねてきた。
思わず「は?」という声が漏れるレン。そんな彼に喋る暇を与えず、カミトはまくしたてる。
「帝国名門貴族『ヒルデブランド家』。爵位は侯爵で、代々受け継がれてきたヒルデブランド流剣術は歴史にして200年も続いている超古流剣術だ。となれば皇帝陛下からの信頼も厚く、家柄としてはこれ以上のものもない。その上であの容姿、はっきり言ってしまって美少女だ。帝国貴族の子息どもはこぞって彼女に求婚しているという話は国内外で有名。まぁ親がそのことを娘に隠しているから本人は知らないようだがな」
「そ、そうなのか」
「そうなのだよサイクス、貴様こんな有望株を捕まえておいて本当に婚約しないというのか?」
「いや、一応婚約を申し込ませてもらってはいるんだけど」
「それは便宜上仕方なくだろう、それを本気にする気はないのかと聞いている」
ずいずいと迫ってくるカミトに、勢いに押されてレンは引いていく。
いったいどうしてこんな話になってしまったのかと考えていると、教室の前で気配が一つ。
「あら、なんだかおもしろそうな話をしているわね」
愉快そうな笑みを湛えた問題児が一人、厄介な話に乱入してくる。
「私もその辺すこし気になるわ。レン、本当のところはどうなの?」
「ど―うなんだ」
二人から迫られ、レンは教室の端に追い詰められる。
迫る二つの悪顔。どこからどう見てもレンをからかうことを目的としている二人から脱却するために、レンは二人を押しのける。
「その話はいろいろと保留中だ! そんなことよりも、今日も学校に来たんだなセシル」
あからさまに話題を逸らしたことで、セシルが「ちっ」と棒読みのような舌打ちをする。
しかし二人とも本気ではなかったようで、まるで前の話題などなかったかのようにレンの切り出した話題に乗ってきた。
「おお、そういえばセシルじゃないか。今朝の諜報活動はどうした?」
「昨日の放課後にレンから学校に来いって命令されてね、来ちゃった」
「なんと!?」
おどけたように驚いた素振りをして、カミトはレンを見る。
「ぬぅ、よもやヘッドハンティングを実行されるとは。なかなかやるな、サイクス」
「ヘッドハンティングも何も、セシルは元々レアードの生徒だろう。なら普通に登校して普通に学校生活を送るのが普通だ」
「別に私はどっちでもいいんだけどね」
興味なさそうにそう言うが、セシルが普通に登校してきたということは多少なりとも思うところがあったのだろうか。
それはともかく、カミトは「ふむ」と少し考えるように腕を組むと、やがて一つ頷いた。
「まぁ、いいだろう。セシルという貴重な戦力を失うのは俺にとっても痛手だが、サイクスの言うことはもっともだ」
「そんな簡単に諦められることなのか……」
「俺はセシルの行動を制限していたつもりなどないからな。やりたいことが見つかったのならそっちを優先するのが普通だろう」
何の未練もないかのようにカミトはすっぱり言ってのける。
「いいの?」
「構わん、俺がお前をこの学園に連れてきたのは、単にその方が面白そうだったからだ」
もういっそ清々しいほどにカミトは言い切る。
むんと胸を張ってドヤ顔をしているカミトを眺めていると、セシルが耳打ちをしてきた。
「ね、ああいうヤツなのよ、カミトって」
「なるほど、なんとなくわかった気がする」
つまりまぁ、カミトの概要はこうだ。
すごいやつだけど、善悪の区別はなく全ての行動原理は「面白い」かどうか。それ以上でもそれ以下でもなく、そこに国家の思惑など絡んでいない。
レンはこの時「杞憂」という言葉を頭の中に思い浮かべていたのであった。
「うおっ、今日も珍しいヤツがいる!」
10分くらいして、続々とクラスメイト達が教室にやってくる中、少し遅めの登校を決め込んだケイスが教室にいるセシルを見て開口一番そんなことを言った。
どうやらエファも一緒に登校してきたようで、彼女はセシルの姿を見るなり不機嫌な表情に変わる。
涼しい顔をしてそれを受け流すセシル。
相変わらずこの二人の仲はあまりよろしくないらしい。というより、エファが一方的にセシルを毛嫌いしているだけといった感じだが。
「おはよう、ケイス。朝からずいぶんな物言いね」
「いやだってよぉ、お前入学してからずっとサボり魔だったじゃねぇか。それが昨日からいきなり登校してくるようになるなんて、一体どういう風の吹き回しだ?」
「うーん、強いて言うなら、気分?」
なんだそりゃ、とよくわからないながらもうけけと笑いながらケイスはセシルの元へと行く。
どうやら二人はそれなりに仲良くなれたようで、会話もそれなりに弾んでいた。話をしたのは昨日だけだったはずだが、ケイスの物怖じしない性格とセシルのフラットな態度がうまくマッチしたのだろう。
エファは相変わらずセシルのことを認められないようで、一人自分の席に着いていた。その辺はまぁおいおいといったところだろうか。
なんにせよ、クラスメイトと仲が良くなることは良いことだ。レンも席を立ってセシルの元へ向かおうとする。
「レンくーん、いるかい?」
と、そこで教室の入口から聞き覚えのある声。
見やると、一年A組の教室を覗き込むようにしてミィンが立っていた。どうやらレンをご指名のようである。
ちょいちょいと手招きをされたので、訝しげに思いながらもそちらへ。廊下に出ると、ミィンは笑顔で出迎えた。
「いやぁ、悪いね。少し伝えておきたいことがあったものだから」
「いえ、構いません。生徒会関連のことですか?」
「うーん、そうとも言えるしそうでないとも言える」
曖昧に答えて、ミィンは再び一年A組の教室内を見る。
その視線を辿ると、先にいたのはケイスと談笑するセシルだ。どうやら彼女がケイスをいじる形で会話が成立しているらしく、いたずらっぽく笑うセシルに焦るケイスという構図が出来上がっていた。
「まぁ、ここじゃなんだし、ちょっと別の場所に移ってもいいかい?」
「でもあと少ししたらホームルームですよ」
「いちおう生徒会の案件でもあるんだ。教官たちの許可は取ってあるよ。そんなに長い話じゃないし、少しだけ時間をくれないか?」
そう言われてしまっては、レンとしても断ることはできない。
予鈴のベルが鳴るのを聞きつつ、レンはミィンの後についていく。
その背中を、セシルの視線が追っていた。
「あらら、レン連れていかれちゃったわね」
「んお、マジで? 生徒会関連の用事かなぁ」
「ミィン先輩もいたし、そうでしょう。さて」
何を思ってか、セシルは予鈴のベルが鳴ったことも気にせず立ち上がる。
そうして真っ直ぐエファの元へ。
「ねぇ、エファ」
「……なにかしら」
「今日のお昼、二人っきりで食べない?」
「どうして?」
「ちょっと話があるの。レンのことで、ね」
頬杖をついて興味なさそうにしていたエファが、レンの名前に反応する。
明らかにそれを狙ったことはセシルの笑みを見ればわかることだが、エファとしてもこの少女がどうして昨日、レンにちょっかいをかけるようなことをしたのか少し気になってはいた。
数秒ほどたっぷり考えて、エファは結論を出す。
「いいわよ、その誘い乗ってあげるわ」
「ふふ、そうこなくっちゃ」
不敵に笑んで、セシルはすっと身を翻す。
「それじゃあまたお昼休みに。ってケイス、そんな捨てられた子犬みたいな目をしてどうしたの?」
「お、俺、エファがいないなら誰と一緒に昼食えばいいの……?」
「レンがいるじゃない。まぁ、生徒会の仕事で戻ってこなければ寂しく一人飯ね」
「なにそれ悲しい! 誰か、誰かこの哀れな俺と一緒に昼メシを食ってくれるメシアはいないのか?」
ふらふらと彷徨い歩くゾンビのように救いの手を求めているケイスの肩に、ポンと手が乗せられる。
ゆっくりとそちらを振り返ると、満面の笑みを湛えたカミトがいた。
「哀れな子羊よ、俺が救ってしんぜよう」
「え、なんか俺の予想してたメシアとちげぇ……」
「そう照れるな、昼食時には貴様の好きそうな話題、『綺麗な街のおねいさん情報~リンクライン島編~』を披露してやろうではないか」
「ま、マジで? お前が神だったのか!?」
馬鹿なやりとりに、呆れ顔を浮かべる女子二人。
やがて始業のベルが鳴り、セシルも席へと戻る。
なんだか妙なことになってしまったな、とエファは心の中で思う。
セシルのことを認めたわけではないし、ネームレスに対する嫌悪感は心の中にある。だが、心の中ではその二つはきっと一緒に扱ってはいけないものなのだろうと理解していた。
だからこそ、まずは敵を知るところから始めよう。そう考えたところで、教室の扉が開いてエイゼルが中に入ってきた。
結局、レンが戻ってきたのは一限目が終わってからのことだった。




