2-3 レアード学園の一日(1)
それではここでレアード学園の一日というものを細かく見てみよう。
レンの所属する一年A組は、まず朝のホームルームから始まる。
チャイムが鳴ると同時に全員が着席し、教室の中に担任教師であるエイゼル マストウェイが入ってくる。彼は教壇の上に荷物を置くと、教室をぐるりと見まわした。
「みなさん、おはようございます。今日も一年A組は数が少ないですねぇ」
他クラスに比べ、A組は空席が目立つ。それはなぜか出席しない入学時総合成績一位、二位の二人がいる他、およそ二週間前にあったニュービーキラー事件の被害に遭って未だに入院している生徒がいたり、成績上位を修めているのに授業をサボる者がいたりするからだ。
今日のA組の欠席者は五名。レアードは一学年に七つのクラスが存在し、一クラスにつき14~15名というのが定石である。A組は15名のクラスで、半月前まではその半数近い七名もの生徒が休んでいた時期もあったのだが。
「そんなことねぇんじゃないっすか? 今日は珍しいヤツもいるみたいっすし」
頭の後ろで手を組んでいたケイスが、エイゼルに意見する。実際、今日は常に休んでいる五人(一位二位と、ニュービーキラー事件の被害者の三人)以外は全員出席している。
ケイスが目を向けた方向―――レンの席から左に二つ進んだ先に座っていたのは、藍色の髪に碧色の瞳の少女だった。同年代にしてはかなり小型な体躯で、どことなく浮世離れしたような雰囲気を纏っている。
彼女は普段は教室にいることのない、いわゆるサボり組である生徒だった。確か名前は―――
「セシル・A・ネームレス……」
レンの隣で、ぽつりと誰にも聞こえないような声量でエファが呟く。
見ると、エファは厳しい顔つきで藍色髪の少女―――セシルのことを見ていた。
「確かに、今日はセシルさんもいるみたいですね。たいへんよろしいことです。今日のようにいつも出席していただけるとありがたいんですけどね」
「ふふ、すみません、教官」
不敵な笑みを浮かべ、まったく申し訳なさを感じさせない表情でセシルは謝罪する。
明らかに反省はしていなさそうだったが、かといってエイゼルにどうこうできるようなことではない。彼は肩を竦めると、教卓にあった名簿を手に取る。
「それでは、出席を取ります。呼ばれた方は返事をしてくださいね」
「はいはいはーい!」
「ケイス君、まだ呼んでいないので落ち着くように」
くすくすくす、と教室中から笑いが漏れる。
これが一年A組の朝のホームルームの日常だ。ただ、今日に限っては少し様子が違っていたようだったが。
一限目、数学。
朝いちばんから頭を酷使しなければならない数学というカリキュラムを持ってくるのはどうなんだというのがケイスの言い分だが、だからといって時間割の変更などあるわけでもなく。
教卓に立つのは、数学担当の男性教官だ。確か一年C組の担任教師だったか。黒板にチョークでカツカツと数式を描いていく。
一言で表すのであれば、かなり難しい数式だ。一位二位が出席していない現状において、学年一位の成績を保持するレンですら分単位の時間をかけなければ解くことはできない。
優秀な成績を修めている生徒が集められたA組は、必然的に他のクラスよりも厳しいカリキュラムが課せられる。特に数学なんかはそれが顕著に表れる教科で、多分だが問題のレベルは他クラスよりも半年ほど先のものだろう。
「はい、ではこの数式を―――ケイス・ラースヘル君、前に出てきて解いてみたまえ」
「ええ、俺っすか!?」
「俺です。さぁ、十秒以内に解いてください」
「んな無茶な!!」
ケイスも決して勉強が不得意というわけではないだろうが、いかんせん授業のレベルが高い。成績三位のレンですらついて行くのに必死なものに、十五位のケイスがそう簡単についていけるものではない。
普段から「授業のレベルたけー、入るクラス間違えた」とぼやいている彼に、この問題を十秒で解けというのはあまりにも酷な話だろう。
黒板の前で数式とにらめっこしながらうんうん唸っているケイスだが、まったく理解できているようには見えない。仕方がないと、レンが助け船でも出してやろうと席を立とうとしたところで、別の場所で席を立つ音が聞こえた。
見ると、小柄な少女が席を立って黒板へと向かって歩いていた。
セシル・A・ネームレスだ。
彼女は黒板の前までやってくると、さっとチョークを取ってカツカツと黒板に数字を綴っていく。黒板には慣れていないのかぎこちない数字だったが、数式の解は見事に正解だった。
「お見事です、ネームレス君」
「どうも」
静かな声でそう言うと、さっさと席に戻ってしまうセシル。唖然としていたケイスもやがて我に返ると、助かったと言わんばかりに胸を撫で下ろして自分の席に戻った。
教官が数式の解説に移る中、物珍し気にレンがセシルを見ていると、彼女はこちらを見てにやりと笑った。
何のつもりだろう、と疑問が浮かんだが今は授業中だ。とりあえずレンは正面に向き直る。
その右横で、エファはずっとセシルの方を睨んでいた。
二限目、文学。
数学とは違って文学は比較的理解しやすい科目だ。なにせ、文を読んで登場人物の感情の機微やその時々の情景を読み取ればいい。
現在一年A組では、帝国で有名な小説、アリナ・コロン著「雪の騎士」を読んでいた。
この小説の内容はこういったものだ。
昔、帝国軍に所属していた一人の騎士は不毛の土地に嘆く人々のために、新たな土地を探すようにと皇帝に命を受け未開の地へと旅立った。向かったのは帝都より北。帝国はただでさえ寒い気候が目立つ大陸だが、それは北に向かえば向かうほど厳しくなる。故に暖を取りつつ移動するほどの文明を持たなかった当時の帝国では帝都より北に足を踏み入れる者が誰もいなかった。
だが、その北の寒冷地帯を超えた先には温暖な気候の地があるのではないか。そんな何の根拠もない一縷の望みに賭けた旅。誰もがそんなものはないと笑って諦めていた中、その騎士だけは皇帝の命をただ忠実にこなすために北へ北へと進み続けた。
二、三日歩き続けたところで、彼は精霊と出会う。それは寒さが見せた幻覚か、精霊はその答えを出すこともなく騎士にこう話しかける。
「契約をしなさい、さすればあなたはこの先に進むことのできる力を手にすることができるでしょう。もしも私の言葉が信じられないというのであれば、引き返しなさい。この先にあなたの求むるものはありません」と。
果てのない旅、日に日に削り取られていく体力。騎士も、いかに皇帝の命とはいえこの旅で命を落とすことは理解していた。自分の死をもって、今後誰もがこの北の地に向かうことはなくなるであろうと。
だが、もしも北の地で何かを発見できたのであれば。何か成し遂げられて無事に帰還できたのであれば、自分は英雄になれる。そんな小さな欲望が騎士の胸の内にはあった。
騎士は気付いた時には手を伸ばしていた。それは寒さが思考を遮ったせいか、それとも騎士自身の無意識のものか。どうあれ、契約は無事に結ばれた。
精霊は騎士に寒さに耐えうる力を与えた。騎士はその力をもって北へ北へと進み続けた。そして、騎士は北の果てにて一つの発見を成し遂げた。
それは一つの街だった。寒さを耐え凌ぐように石で組まれた、決して大きくはない街。そこには確かに人が住んでいて、生活をしていた。
騎士は街の住人の一人に問うた。ここは何処かと。そうすれば住人は答えた。ここは滅びゆく街であると。その街がどうやって成り立ったのか、その歴史や背景を教わることはできなかった。だが、滅びゆく理由は明確だった。彼らはこの極寒の地での生活に限界を迎えていたのだ。作物は育たず、人々は飢え、寒さに倒れてゆく。そうしてゆっくりと滅んでいくのだと。
哀れに思った騎士は、帝都に戻り街の存在を伝え、その街を救うように皇帝に懇願した。代わりに街の防寒技術を伝え、それによって帝都の文明は一つ進み、そして北の街に至る力を手にするまでに至った。
人道的措置により最北の街に物資支援を行うことになった帝国政府に、騎士は満足をしていた。だが、帝国民はそうではなかった。ただでさえ少ない帝国の物資をどうして分け与えなければならないのか。
帝国民は騎士に怒りの声をぶつけた。騎士の行いを英雄的なものではなく、悪行として扱った。
騎士は英雄になれず、帝国を貶めた悪党としていつの間にか帝国から姿を消すことになった。その後、騎士がどうなったのかを知る者は誰もいない。
そんな内容の小説だ。
「悲しいお話ですね~~~」
ぐすりと涙を流しながら、教卓に立つ女性教官は何度も読んだはずのその小説の感想を改めて口にした。
確かこの女性教師は一年D組の担当教師だったか。それにしても生徒に教える立場である現代文の教師が小説を読んで教壇で涙を流しているというこの状況はどうなのか。
しくしくと泣きながら、女性教師は板書を始める。
「この物語は実話を元に描かれたものだといわれています~。実際、帝国の最北端にある街は近代において発見されたものであり、その街の技術が帝国に伝わったことで帝国の文明レベルが上がったという話は有名ですね~。俗に言う『北端開花』。帝国史においてなくてはならない技術革命です~。しかし、それを巻き起こした騎士は結局歴史に名を遺す大罪人として闇に葬られてしまいました~。これを悲劇と呼ばずして何と呼ぶのでしょうか~」
ハンカチで目元をこすりながら、問いとも独り言ともとれる言葉を教室中に響かせる。
するとそれを問いと受け取ったのか、セシルが手を挙げた。
「はい、ネームレスさん」
「確かに悲劇と受け取ることができる内容だと思います。ですが、これは英雄譚です。帝国の発展に貢献した大英雄の旅路とその結末を描いた伝説をこの小説の作者は書きたかったのだと私は思います」
突然そんなことを答えだしたセシルに呆気にとられる生徒をよそに、女性教官はぱちぱちぱちと拍手をした。
「素晴らしいです、確かにそのような解釈はあります~。これを単純な悲劇として捉える考え方は間違いではありませんが、ネームレスさんの言う通りこれは英雄譚と捉えても良い物語です~。確かにこの騎士が成し遂げたことは帝国にとって不利益になることだったかもしれませんが、行った行為は極めて人道的なものです~。彼は彼が望む通り、英雄となって最期を迎えたということになる、という解釈ができることもまたこの作品のおもしろいところですね~」
つまりは、この小説をただの悲劇として捉えるのではなく、様々な視点から見ていろいろな解釈を考える。それこそが最も重要なポイントであり、文学で一番大事なことなのだろう。
まずはそのことを踏まえて、この先の文学という授業を受けていく。そのことを教師は伝えたかったのであって、セシルはそれを補助したということになる。
またもレンはセシルの方に目を向けると、彼女はじっと教科書を眺めて真面目に授業を受けていた。




