2-2 日常の始まり
六分歴532年5月2日。
まだまだ春の陽気が残るこの時期、リンクライン島はレアード学園への新入生入学というイベントを終えてからようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
今年度はある生徒が数々の事件を解決したり、入学時総合成績上位の生徒が次々と襲われる「ニュービーキラー事件」があったりと騒がしい出来事があったが、それも落ち着いてみればまるで遠い昔の出来事のように思えてくるものである。
そんな平穏を取り戻したはずの島で、まだ熱を保ち続けている話題が一つある。
「好きです、付き合ってください!」
精一杯の勇気を振り絞った告白。白を基調とした制服を纏った女生徒が頭を下げ、恐怖に身を震わせている。まるで誰もが一度は書物で読んだことがあるかのようなシチュエーションに、困り果てている若者がいた。
黒髪に黒瞳の男子生徒―――レン サイクス。
陽が中天に昇った昼過ぎ、人気のないレアード学園の第三体育館脇で、彼は今まさに告白を受けていた。
男子であれば誰もが憧れるようなシチュエーションの中に身を置きながら、レンは浮かない顔をしている。
「その、悪いんだけどキミと付き合うことはできない」
できるだけやわらかく、レンはその告白を断る。
純粋に好意を向けられて、それを無碍にしているという罪悪感によってレンの心がちくりと痛むが、だからといって告白を受け入れるわけにもいかない。
告白を断られた女生徒は、顔を上げて悲しそうな表情を浮かべた。それなりに整った顔立ちで、はっきり言ってしまうとかわいい少女だった。正直に言うと、自分にはもったいないくらいだと思ったくらいだ。
その少女は懇願するかのようにレンに縋ってくる。
「どうして、ですか? やっぱり婚約者のヒルデブランドさんがいるから?」
「ま、まぁそれもあるんだけど……」
キョロキョロとレンは周囲を見渡す。だが、今はまだその気配はなさそうだ。
「俺自身、今は恋愛とかそういうことは考えられないんだ。だから、申し訳ないんだけど……」
「そ、そうですか……」
「本当にすまない」
「いえ、でも私諦めませんから」
そう言って少女は去っていった。
レンはほっと胸を撫で下ろす。今回は何事もなく済んで本当に良かったと。
「いいご身分ね」
何事もなく済んでいなかった。
事が終わってからの油断。まったく予想していなかった角度からの脅威。
たらりと一筋の汗が頬を伝うのを感じながら、レンはぎこちない笑顔を浮かべながら後ろを振り向く。
「や、やぁエファ。どうしてこんなところに?」
そこにいたのは蔑むような流し目をこちらに向ける、薄紫色の髪をした紫紺の瞳を持つ少女―――エファ・ヒルデブランドだった。
とある事件によって暫定的にレンの婚約者となったその少女は、その暫定的婚約相手が告白されている様子を見ていたらしく、おもしろくなさそうな顔で笑った。
「たまたまよ、別にあなたがかわいい女の子に声を掛けられて、鼻を伸ばしながら二人でどこかに向かうのが見えたから、気になって後を尾けてきたわけじゃないわ」
「鼻の下を伸ばしていた憶えはないんだが……」
「あなたって、本当に婚約者がいるっていう自覚があるの?」
「それはあるさ。でも、話があるって言われてそれを聞かないわけにはいかないだろう」
「それはそうだけれど、でもそれにしたって―――」
ぶつぶつとエファは何かをごちる。声が小さくて聞こえないが、非難されていることは確かである。
「とにかく、あなたは告白を受けすぎ! もうちょっと節度を知りなさい!」
「ものすごく横暴なことを言われている気がするのは俺だけか?」
「うんにゃ、エファの言う通りだ」
ゆらり、とエファの後方、体育館の影から男子生徒が現れる。
先端が白みがかった茶髪に、琥珀色の瞳。レンに負けず劣らず女子受けしそうな顔立ちでありながら、女子からは避けられやすそうなオーラを発している。
ケイス・ラースヘル。レンのクラスメイトにして悪友な彼は、そのままゆらゆらとレンに接近し、がっしりと肩を掴んだ。
「また告白かよ! しかも今度の子はただいま絶賛人気売り出し中のF組のマルタ=アンクレイじゃねぇか! そんな子の告白を断るなんて、お前はどんだけ罪作りなんだ!」
「絶賛人気売り出し中って何だ?」
「チクショウうらやましい、その立場いますぐ俺に譲れぃ!」
「ケイス、人は入れ替わることができないものなんだ。だからその願いを受け入れることはできない」
「マジに返答してんじゃねー!」
がっくんがっくんと揺さぶられながらも平気そうな顔で微動だにしないレン。友達同士の戯れと思えばそれほど苦にもならない。
「とにかく、お前はモテすぎなんだよ!」
「そうね、モテすぎ」
「そんなことを言われても」
レンとしては特別な行動をしているつもりはないのだが、ニュービーキラー事件が終わってから二週間と少しでレンが告白されたのは今回を含めて4回である。
中には上級生も含まれていたりして、それも貴族生徒であったということもあって、エファとの婚約関係が絡んで危うく大事になりかねないこともあった。
このままではいけないということはレンもわかっているのだが、こればかりはどうしようもない。ケイスの話によると、エファという婚約者がいることによってこれでもまだマシな方とのことだ。
「ご安心くださいませ、レン様」
ぬぅっと三人の横合いにあった茂みから、一人の女生徒が生えて現れる。
思わずぎょっとしたエファとケイスがその人物を見ると、なにやら見覚えのある少女だった。
大きな桜色のリボンで後ろを結んだ空色の髪に、海色の瞳を持つ少女。スカートの端を摘まんで恭しく一礼する動作を見て、ようやく二人は彼女のことを思い出す。
「あなたは、確かレンの従者だったかしら?」
「はい、そういえばエファ様にはまだきちんとしたご挨拶を申し上げておりませんでしたね。私、レン様のメイド件妻のエリアル ストラインと申します。レン様からは愛を籠めて『エリア』と呼ばれております」
「つ、つま……?」
あまりにも真面目に言われたので困惑したエファ。それを助けるように、レンがびしりと軽くチョップをかます。
「誰が妻だ誰が」
「ああん、レン様ったらいくら恥ずかしいからってそんな風に誤魔化す必要はございませんのに」
「お前の相手は本当に疲れる。で、どうしてこんなところにいるんだ?」
「何を仰います、私はレン様のメイドなのですよ。レン様が困っているのであればたとえ国が離れていようとも一瞬で駆け付けますとも」
「お前が来ると話が余計にややこしいことにならない気がしないでもないが」
ややこしいも何も、事態はとっくに混乱の中である。
なんとしても流れを取り戻すために、レンはごほんと咳払いを一つした。
「悪いな、エファ、ケイス、こいつは昔からこんな感じで、俺のことになるといろいろと盲目になるんだ」
「それはなんとなくわかったわ。それよりも、どうしてあなたの従者はレアードの制服なんて着ているのかしら?」
確かに、エリアの纏っているものはレアード学園の制服だ。それも、胸元のリボンの色は赤。レン達と同じ一年生を表す色だ。
どうしてレンの従者であるはずのエリアがそんな服を着てこんな時間にこんな場所にいるのか。その疑問に、あらあらとエリアは哀れなものでも見るような目をした。
「レアード学園の生徒である私がその制服を着ていて、何かおかしいことでもあるのでしょうか?」
「生徒って、ええ!?」
驚いて、エファはレンの方を見る。
すると彼は苦笑いをしながら頬を掻いていた。
「二人には言ってなかったかもしれないが、エリアは間違いなくレアードの生徒さ」
「入学時総合成績24位、クラスはF組ですわ。もっとも、メインはレン様のメイドということになりますが」
「な、なにそれ、メイドがレアードの生徒って、そんなのアリなの?」
「レアード学園は確かに全国から才能のある若者が集う学園ではございますが、決してメイドが入学してはならないなんて決まりはありませんわ。むしろ私くらいの才能あるメイドは入学できて当然というものです」
確かに、レアードは全国から才能ある若者を集める学園だ。そして、その才能が何であるかということまでは問うてはいない。要するに、エリアが学園に通っていることは何の間違いでもないのである。
「なんというかもう、レンってなんでもアリね」
「なんで俺……?」
「世界三大剣術の一つ、光月流を修め、実家は同じく三大剣術の内の一つであるサイクス流を担う大貴族サイクス家。その上に自分のメイドは名門レアード学園の生徒であるという設定てんこもり野郎だからだろ」
この上にレンにはまだ秘めていることがある風だ。エファやケイスの言い分に何も返せはしない。
などと戯れていると、校舎の方から予鈴が聞こえてきた。あと五分ほどで朝のホームルームが始まる。
「おっと、ここまでだな。みんな、教室に戻ろう」
「逃げた」
「逃げたな」
「逃げましたわね」
至極正しいことを言ったつもりなのに、この扱いである。
もはや笑うしかないレンだったが、このややこしい状況から脱却できるのであれば何でも良かった。




