1-32 ニュービーキラー事件の終わり
レアード学園第一別棟―――通称クラブハウス。
その三階は生徒会室や風紀委員室といった生徒会関連の部屋がほとんどを占めているが、中には空き部屋もある。
北側の突き当りにある生徒会室から南へ行くと、細い通路にずらりと扉が並んでいる場所がある。大抵は生徒会の物置部屋や資料室として使われているのだが、空き部屋があるのはそんな中の数室だ。
リーナ・エニスタは、そんな空き部屋の一室に軟禁されていた。とても警備が厳重とはいえないような状況下で、部屋に一つだけ存在する窓を開け、その横にある椅子に座ってそよそよと優しく吹き込んでくる風を浴びながら茫然と外の景色を眺めている。そんな彼女が纏っているのは、いつもの執事服ではなく白のブラウスにロングスカートといった淑女然としたものだった。
コンコンコン、とノックの音。リーナは窓の外へと視線を投げたまま、短く「どうぞ」と応じた。
扉を開いて入ってきたのは、レンとエファ、そしてケイスの三人だ。
最後に部屋に入ったケイスがやや緊張気味に扉をしっかりと閉めると、三人はリーナに歩み寄る。
「調子はどう、リーナ?」
優しく問いかけるエファに、リーナは一拍置いてから答えた。
「問題ございません、それよりもようこそおいでくださいました」
立ち上がり、リーナはぺこりと頭を下げる。
三人がここに寄った理由は、エファがそう意見したからだ。どうやら一人でも行くつもりだったらしいが、レンも共に来ないかと誘われたので、いい機会だと思って付いてきたということになる。ちなみにケイスはおもしろそうだからという理由で付いてきた。
しばらく頭を下げたままだったリーナが顔を上げると、視界に入ったケイスを見て怪訝な顔をする。
「そちらの方は、確か……」
「ケイス・ラースヘルっす! よろしくお願いします!」
何に対してよろしくお願いするのかわからなかったが、とりあえずうるさかったのでエファが肘で脇腹をつついていた。
そんなケイスの様にくすりと一つ笑みを零すと、リーナはスカートの端を摘まんで恭しく一礼した。
「エファお嬢様の従者をさせていただいております、リーナ・エニスタと申します」
「は、はぁ、こりゃご丁寧にどーも」
畏まった空気に慣れていないのか、ケイスは居心地が悪そうである。
面白そうだからという理由で付いてきた彼だったが、流石にいつものふざけた調子が許される雰囲気ではない。
仕方がないとレンは助け船を出してやることにした。
「一週間ぶりですね、エニスタさん」
「はい、その節はとんだご無礼をいたしまして、申し訳ございませんでした」
「やめてください、ああいう状況でしたが、エニスタさんのような実力者と手合わせをできていい経験になったと思ってますし」
「おかしなことを仰るのですね、レン様は」
くすくすとリーナはおかしそうに笑う。
先程といい今といい、レンはリーナの雰囲気がとても柔らかくなっていることに驚いていた。一週間前のような張り詰めた様子はまったくなく、今はまるで憑き物が落ちたかのようによく笑う。
おそらくこちらがリーナの素なのだろう。なんというか一週間前に戦った時に比べると、こちらの方がしっくりくるような気がする。
「もう、二人でなに通じ合ったような会話をしてるの、リーナはまだ安静にしてなきゃいけないんだから、おとなしく座っていなさい」
不機嫌な顔をしたエファがリーナをゆっくりと、しかし強引に元いた椅子へと座らせる。
一応リーナの傷はそこまで重いものではなかったが、一週間前に脳震盪によって気絶した彼女はなんらか後遺症が残る可能性があるかもしれないらしい。今のところ問題はなさそうだが、医師の正確な診断が出るまでは絶対安静とのことだ。
ぎしりと木製の椅子が音を立てて完全に体重を椅子に預けたリーナが、意地悪な笑みを浮かべる。
「おやおやお嬢様、もしや嫉妬ですか?」
「なっ、ち、違うわよ! どうして私があなたに嫉妬しなきゃいけないの?」
「だってお嬢様はレン様の婚約者ですもの。ねぇ、レン様」
「それはただの口実だってあなただってわかってるでしょう!?」
「あら、でしたらわたくしがレン様をいただいてしまいましょうか。なんせ命を張ってわたくし達を救っていただいたお方ですもの、わたくしのお体くらい支払ってもいいくらいの御恩がありますわ」
「ななな何を言ってるのリーナ、そんなのダメよ絶対!」
「レン様、これからはどうか親愛の意を籠めてわたくしのことは『リーナ』とお呼びください」
「もう、リーナ!」
まるで本物の姉妹のようなやりとりに、レンは若干苦笑しつつものような温かい笑顔を浮かべる。
「わかりました、じゃあこれからはリーナさんと呼ばせていただきます」
「あらあら、わたくしは呼び捨てにしていただいて構いませんのに」
「リーナ!」
エファに怒られながら、リーナは本当におかしそうに笑う。
その様子を見ていたケイスが、とても意外そうな様子でレンに小声で訊ねてきた。
「なぁ、この人ほんとうにニュービーキラー事件の主犯なのか? ぜんぜんそうは見えねぇぞ」
「俺も今のリーナさんを見ているとそう思うけど、間違いなくその通りだ」
そんなやりとりをしている内に、エファはぐるりと部屋を見回す。
「それにしても何もない部屋ねぇ、あなた一週間もここにいて暇じゃない?」
エファの言う通り、リーナが監禁されているこの部屋は横幅3メートル、奥行きが5メートル程度とかなり狭く、さらに部屋の中には本棚が一つだけ。しかもその内容はすかすかで、たった十数冊程度しか入っていない。
それ以外の家具といえばベッドとその横に備え付けられた戸棚、椅子、それに誰かが持ってきたらしいティーセットが置かれているテーブルくらいか。
殺風景といってしまえばそこまでの部屋だが、リーナは特に不満はないというかのように首を横に振る。
「軟禁されてるとはいえ、この部屋は外側から施錠できないので出入りは自由です。先日などは生徒会長様に許可をいただき、クラブハウスの周りをぐるりと散歩させていただいたりさせていただきました。ここ一週間でわたくしがこの環境を窮屈に感じたことはございません」
それに、とリーナは付け加えて、
「いろいろと、考えることがございました。わたくしがしたことは本当に正しかったのか、いえ、正しかったのではないか。もしかしたらまだ諦めるべきではないのではないか。これからでも新入生狩りを続けるべきなのではないか」
「リーナ、あなた……」
「ご安心ください、もうわたくしがニュービーキラーとなることはございません。ですが、どうしても考えてしまうのです。お嬢様のため、帝国のためを考えるのであればわたくしの行いは正しかったのではないかと」
あるいは、エファがリーナの怪しい行動に気付いておらず、レンがニュービーキラーの正体を突き止められなかったとしたら。
リーナの計画が描いていた通りに進み、エファが学年の中で頂点に立っていたなら。
それは帝国の象徴である「力」を表すに十分な証明となっていたことだろう。諸外国は誰が犯人かも突き止められず、戦争の危機などなかったかもしれない。
レンがこの事件を丸く収めた今でも、この事件の解決は綱渡りの上に成り立っている。レンとエファの婚約の話がなくなれば、あるいは帝国は戦争の危機に晒されるかもしれないのだ。
それに、リーナの話にあった通り、帝国が「力」を証明できなければ、諸外国は帝国への支援を打ち切るかもしれない。エファがこのまま一年A組の中でも低い順位に居続けるというのであれば、その可能性も浮上してくる。
ニュービーキラー事件の原因となった問題は、まだ解決されていない。リーナが恐れている事態は、現実問題として目の前にある。
「あのよぉ」
リーナが葛藤する中、おずおずと手を挙げたのは意外にもケイスだった。
彼は部屋中の注目が集まって一瞬怯みはしたが、逃げ場を失ったかのように口を開く。
「大体の事件の原因とかは聞いてるから、大体今の話を聞いてリーナさんの言いてぇことはわかったぜ。でもよ、俺はやっぱ今回の事件は間違いだったと思うんだよなぁ」
「それは、どうしてでしょうか?」
「いやだってよぉ、リーナさんの言いてぇのは帝国への輸入が打ち切られることが怖ぇってことだろ? でも、それはねぇんじゃねぇかな。だって、別に外国は帝国の力にびびって貿易をしてるってわけじゃねぇんだから」
ケイスの言葉に、リーナはこてんと首を傾げる。
「もし貴方の言う通りだとするなら、どうして力以外に何も持っていない帝国が他の国との貿易を続けることができているというのですか?」
「そりゃ、思いやりってヤツなんじゃねぇの」
あっさりとケイスは言ってのけてしまった。
「俺は帝国人つっても平民だからよぉ、どういう感じで帝国が他国と貿易とかしてんのかは知らねぇよ。でも、帝国の力が怖ぇからって理由だけで他国が食料を分けてくれてるっつーんなら、そりゃでけぇ間違いだろ。だって、他国から食料供給を受けなきゃいけねぇぐらい帝国が立場的によえーってのはとっくの昔に世界中に知れ渡っちまってることなんだろ?」
確かに、帝国が食糧難に悩まされているということなど他の国家はとっくに知っている周知の事実だろう。でなければ大量の食料を帝国に格安で輸出したりなどしない。
「帝国が弱ってることを知ってて、帝国を滅ぼす気があるってんなら、他の全部の国が示し合わせて食料輸出を断ち切っちまえばいい。そうすりゃ帝国なんてイッパツで滅亡だ」
確かに、いかに帝国が力を持っていようが、五つの国が力を合わせれば戦力的には余裕で帝国を上回る。
力で他国を脅すことによって輸入物資を格安にしているなどという事情があれば、いずれそのストレスは限界に達して他国は力を合わせて帝国という共通の敵に対して牙を剥くだろう。
しかし、今のところそれはない。ということはつまり、
「力で脅して他国と貿易してるんだって思い込んでるのは帝国だけだって話だ。他の国は、リーナさんが思ってるほど帝国にびびっちゃいねぇよ」
ケイスの論に、全員が閉口した。
多少根拠は薄くはあったが、確かに彼の言う通り、力による貿易などというものがそう簡単に成り立つことはありえない。彼の言うことにはそれなりに筋が通っている。
突然全員が黙り込んでしまったことで、ケイスが慌てる。
「お、おい、俺なんか変なこと言ったか?」
「いや、むしろお前がものすごくまともなことを言ったことに驚いている」
「どーいう意味だ! 俺だってたまには真面目になるっつーの!」
ぷんすかと怒るケイスに、はははと笑うレン。
一方リーナは、何故か固まって茫然としていた。
「そ、それではわたくしのしてきたことは、国のためにもお嬢様のためにもならず、ただ迷惑にしかなっていなかったと……?」
「い、いや、う~ん」
ぶっちゃけてしまうとその通りなので、否定しきれずにレンは曖昧な返事をしてしまう。
それで大体のことは察したらしく、リーナは床に頽れた。
「わ、わたくし、なんという間抜け……」
「大丈夫よリーナ、私のために動いてくれたった部分だけは素直にうれしかったんだから!」
「いいえお嬢様、かくなるうえはこのわたくし、東の国に伝わるセップクをしてでもこの罪を償う所存で……!!」
「そのセップクっていうのが何かはわからないけどとりあえず落ち着いて!?」
「ちなみに切腹っていうのは反省の意を籠めて自分で自分の腹をばっさり切ってしまう、風陣に伝わる文化だ」
「なんでそんな物騒な文化があるのよ!?」
―――五分後。
エファとレンの二人がかりで抑え込むことによってようやく落ち着いたリーナは椅子に座り直して反省するように項垂れる。
「申し訳ございません、取り乱しました」
なんだかどっと疲れたエファは、前のめりな姿勢でがっくりと背を曲げている。対してレンは余裕そうである。
「ははは、何にせよ元気そうでなによりですよ」
「本当に申し訳ございません……」
さらに小さくなるリーナ。確かにあの乱れっぷりは大したものだったので仕方がないとレンは笑う。
しゅんとなったリーナは、やがて体中に溜まった重いものを全て吐き出すよなため息をひとつ吐いた。
「ありがとうございます、ケイス様」
「え? うえぇ?」
「おかげでわたくし、完全に目が覚めました。今までわたくしに足りなかったものを、ようやく自覚できた気分です」
顔を上げ、リーナはエファを見る。
「わたくしは何も信じることができていなかった。人々の優しさも、一番大切にしていたお嬢様のことさえも。ケイス様とレン様に言われて、ようやくそのことに気付くことができた」
「リーナ……」
もしもリーナがエファの力を信じ、エファが自力で這い上がると信じていれば、この事件を起こす必要はなかった。
あの暗い森で、レンがリーナに指摘したことだ。この事件は、エファに対する侮辱に他ならないと。
そしてケイスの言う通り人々の優しさを信じるのであれば、国家問題を言い訳にすることもなかった。
全てはリーナの不信感が招いたこと。言い訳などしようもない。
「レン様、お嬢様、この度はご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
深々と、リーナはその心を表すように大きく頭を下げた。
レンとエファは顔を見合わせる。そして仕方がないとでもいうかのように微笑んだ。
「構わないわよ、元はといえば私の実力不足が原因でもあるんだし。これからはリーナに信じてもらえるように、もっともっと精進するわ」
「そうですよ、エファはこれから強くなる。だからこの事件のことは気にせず、あなたはこれからエファのことを応援してあげてください」
「ちょっと、その言い方だと今の私が弱いって言ってるみたいじゃない?」
「い、いや、そんなことはないけど」
「実際レンよりはよえーんだし、いいんじゃね?」
「聞き捨てならないわ、ケイス! いいわ、ここで私がレンより強いってことを証明してあげる!」
「勘弁してくれ……」
リンクラインの陽気が差し込む一室に、温かい笑い声が木霊する。
あるいは、ニュービーキラー事件はこの時、本当の意味での終わりを迎えたのかもしれなかった。




