1-31 ニュービーキラー事件、その後
六分歴532年4月23日午前10時12分。
黒髪の少年―――レン サイクスは休みの日だというのに制服に身を包み、レアード学園の職員室を訪れていた。
学園が休みというだけあって、職員室にいる教員も三人程度だ。むしろ休日にまで出勤している教員にご苦労様ですと心の中で頭を下げながら、自分も彼らと同じ立場にいることに気付いて少しおかしな気分になった。
「それにしても派手にやってくれたものですねぇ」
そんな休日出勤組の教員の一人であるエイゼル マストウェイは、レンの目の前で報告書に目を通しながらそう言った。
報告書の内容は、ニュービーキラー事件に関するものだ。
あの事件からおよそ一週間。ようやく事件の余韻も引き始め、学園には日常が戻りつつあった。
ちなみにニュービーキラー事件は生徒会メンバーを含む一部生徒にしか知られていなかったのだが、一年生の総合成績第八位が学園内部で襲われたことから全校生徒に噂が広がってしまった。当然、事件をレンが解決したということも周知のことだ。
またも学園内部どころか島中で事件を解決した立役者としてレンの名が広まったわけだが、この一週間レンはそれどころではなかった。
「それで、被害に遭った生徒への謝罪は済んだのですか?」
「はい、昨日ようやくクランツさんへの面会許可が下りまして、なんとか」
この一週間、レンはニュービーキラー事件の後始末のために奔走していた。
まず最初に行ったのは、自身の家名を正式に学園に公表し、エファに婚約を申し込んだということを周知のものにしたこと。
これはニュービーキラー事件を解決するにあたって絶対に必要な工程だ。サイクス家とヒルデブランド家が関係を持ち、共和国と帝国の間にパイプを作ることにより、他国に圧力を与える。そうすることによって、アンデルス帝国の孤立を防ぎ、世界大戦の危機という抑止力をもってこの事件の鎮静化をする。
その後に病院を訪れ、被害に遭った三人の生徒に謝罪という名の交渉を行う。いわばサイクスとヒルデブランドを敵に回す気があるのかどうかの確認だ。頭を下げて許されないようであれば共和国と帝国を敵に回すことになるが、それで構わないか? という、いわば戦争を回避するために行った和平のための儀式。
もちろんそんな世界大戦すら起こしかねない状況を作るつもりのある国家はなかったようで、こちらが頭を下げることによってすんなりと許しを得ることができた。中には謝罪金を支払ったパターンもあったが、大した金額にならなかったのは被害生徒が怒り心頭だった親を宥めてくれたおかげだ。
というのも、被害に遭った生徒達は全員が謝罪さえしてくれるのであれば今回の事件を大事にするつもりがない、という意見を持っていたのだ。曰く、今回傷を負ってしまったのは自身の至らなさにも理由がある。実際に第八位の生徒とレンは生徒会の手助けがあったとはいえニュービーキラーからの自衛に成功しているし、自分にも同じくらいの力さえあれば自分も被害を受けずに済んだだろう、とのこと。
この事件に怒りを覚えていたのは一部被害生徒の親ぐらいのものだったが、その親も共和国と帝国の大貴族を敵に回す気などなかったようで、謝罪金を支払うことで事なきを得た、ということだ。
「まったく、まさか他国の問題を解決するためにサイクス家やアニエスタ共和国の力を持ちだすとは、大仰なことをしてくれたものです」
「すみません、でもそれぐらいしないとこの問題は解決できませんでしたから」
「構いませんよ、結果的には何事もなく事態を収拾できたわけですからね」
と言いつつも、エイゼルの目は「限度を知りなさい」と語っているような気がした。
気づかないフリをしてレンが目を逸らすと、エイゼルは呆れたようにため息を吐いた。
「しかしまぁ、アニエスタ共和国も寛大な処置を取ったものです」
「そういえばまだ本国やサイクス家の状況は聞いてませんでしたね。一体どういった反応を取ったんですか?」
「アニエスタ共和国は今回の事件の処理をサイクス家に丸投げしました。逆に言えばサイクス家の意向次第では戦争を起こすことすら可能だったということですね。そして、貴方の実家は被害生徒やその両親、あるいは国の反応次第では帝国と手を組んで戦争することも止む無しという方針でいたようです」
結果として、全てがレンの思惑通りに進んでいたということになるらしい。
和平交渉がうまくいった今となってはもはやサイクス家や国家の力に頼る必要はあまりなくなったわけだが、学生である自分の我儘のために動いてくれようとした実家には感謝してもしきれない。
「一方で、一部皇族からはレン君の婚約の話に反対する声が上がっているという話も入ってきていますよ」
「あー……」
思いっきり心当たりのあるレンは、頭の中に浮かんだ顔をかき消すように後頭部を掻いた。
「そ、それよりも、今回の事件で俺に対する処遇に変更はあったりするんでしょうか?」
「いいえ、共和国政府の意向としては、今回の一件は問題なく解決されたものであり、あくまでもリンクライン島で起きた小さな事件の一つとして処理するそうです。よってレン君のことは不問に処すとの通達が来ています」
「そうですか、それは良かった」
「共和国としても大事にならないのであれば一つ一つの事件に関わっている暇はないということでしょう。もっとも、今回の事件が綱渡りであったことは忘れてもらっては困りますよ」
「はい、スミマセン」
ぺこりとレンが頭を下げると、エイゼルはやれやれと肩を竦めた。
「報告は以上です、今日はもう帰っていただいて構いませんよ。あちらにお迎えも来ているようですからね」
言われて、レンはエイゼルの視線を辿る。すると職員室の入口からこちらを見る薄紫色の髪の少女―――エファ・ヒルデブランドが遠慮がちに手を振っていた。
それに笑顔で返すと、レンは再びエイゼルに頭を下げる。
「それでは、今日は失礼させていただきます。教官、また月曜日に」
「ええ、それではまた」
別れの挨拶を済ませて、レンはエファの元へと向かう。
職員室の入口付近にやってきたレンを、エファは訝しげなジト目で迎えた。
「マストウェイ教官といったい何を話していたのかしら?」
「大した話じゃないさ、まぁ担任教師にはいろいろ報告しておいた方がいいだろうと思ってな」
「ふーん、別にいいけれど。あなたの秘密主義は今に始まったことではないし」
完全にエイゼルとの間に何かがあるということはバレているみたいだったが、レンは苦笑してそれを誤魔化す。
エファにしても聞き出す気はないらしく、素直に諦めてくれた。
いつまでも職員室の前で話しているわけにもいかず、ひとまずレン達は廊下を歩き始める。
「それで、アニエスタ共和国の方はどうだったの?」
「ああ、大した動きはなかったよ。俺を本国に戻そうって動きもなく、むしろ手を貸してくれるような感じだったな」
「ずいぶん寛大な処置ね、そんなにサイクス家って優遇されてるの?」
「どうだろうな、俺自身貴族の息子として育ったって感覚がないから、家のことはなんとも。それよりも、帝国の方はどうだったんだ?」
「こっちも同じような感じよ。リーナの処遇に関しては被害に遭った生徒が寛大にも許してくれたことでほぼ不問。あなたも知っての通り、罰といえばヒルデブランド家が謝罪金を支払ったことくらいかしらね。あとはこっちの家の問題として処理してくれって感じで、帝国も他の国も大事にする気がないって意向みたいね」
つまり、今回の事件は完全に国家問題から個人問題となり、レンやエファ、リーナや被害に遭った生徒の間で話がついてしまったことで事件解決という流れになってしまったらしい。
そう考えると拍子抜けするほど大した事件ではなかったのだな、とレンはほっと胸を撫で下ろす。
「でも、まだ油断は禁物ね。ひとまず問題は解決って流れになっているけど、多分いまの国家間のパワーバランスが崩れてしまえば、今回の一件を掘り起こされて戦争の理由にならないとも限らない」
そう、あくまで今回の事件が丸く収まったのは、被害生徒を擁する国家が共和国と帝国との全面戦争を避けたいと考えたが故に、事態を軽いものとして扱ってくれたからだ。
もしも帝国が共和国とのパイプを失って孤立してしまえば、それをきっかけに三国が同盟を結んで帝国との戦争に発展する可能性がまだ残っている。
「そのためにも、俺達の関係は継続しなければいけないな」
レンとエファの関係、つまり婚約のことである。
「ほ、本当にするの?」
「何をだ?」
「だから、私とけ、結婚?」
かぁ、とエファの顔が真っ赤になった。
一方でレンは首を傾げる。
「いや、絶対にしなきゃいけないってわけじゃないさ。あくまで俺とキミが婚姻の約束を交わしたという事実が大事なんだ。それによってサイクス家とヒルデブランド家に繋がりができて、ひいてはそれが共和国と帝国の限定的な同盟に繋がる」
レンが「限定的な」と付け加えたのは、この同盟がニュービーキラー事件に関する問題にのみ有効なものだからだ。
事件を起こしたのはヒルデブランド家が擁するリーナで、この事件をきっかけにして戦争を引き起こすのであればまず突かれるのはそこだ。
だが、ヒルデブランド家の問題を挙げれば、その長女であるエファと婚約を結んでいるレンの実家であるサイクス家が自然と表舞台に出てくる。つまり他国はヒルデブランド家という藪を突いて、サイクス家及び共和国が出てくることを恐れているからこそニュービーキラー事件をきっかけに帝国に戦争を仕掛けることができないのだ。逆に言えば、それ以外の理由で帝国に攻め入るというのであれば、サイクス家と帝国はほぼ関係がないので手を出すことができない。故にこそ限定的な同盟というわけだ。
そしてレンとエファの間に婚約関係というある程度深い関係があるというだけで、その同盟はできている。逆に言えば、
「この事件のほとぼりが冷めるまで、俺達はそういった関係であるという話があればそれだけでいい。だから将来的に俺とキミが結婚しなければいけないというわけではないさ」
極めて優しく笑って、レンはエファを安心させようとする。
しかしエファはまだ顔を赤くしたままだ。
「で、でもその、絶対に……しちゃいけないってわけでもないのよね」
「ん?」
「な、なんでもない!」
途中の言葉が小さくて聞こえなかったが、なんでもないというのであればそれに従うまでだ。
「ああああああああああああああああ!!!! レェェェン!!!!」
と、そこで廊下の向こう側からこちらに向けてものすごい勢いで駆けてくる生徒がいた。
ケイス・ラースヘル。事件の後処理に追われていたレンはその間学校に登校していなかったので、実に一週間ぶりに再会する友人である。
あまりにもすごい勢いだったのでぶつかりそうになったが、レンはそれをすっと体を左側にずらすことで躱す。と、勢い余ってケイスは転んで顔面から廊下を滑った。制止してからふしゅうと煙が上がったかと思うと、彼は真っ赤な顔をがばっと上げた。
「いってぇな! 避けることねぇだろ!」
「やぁケイス、今日も元気だな」
「おうそういうお前こそお元気そうでなにより―――じゃねぇよ!」
見事なノリツッコミである。
元気そうでなによりだなぁ、とのほほんとした顔で思いながら、レンは挨拶のために上げていた手を下げる。
「ところでケイス、こんな休日に学園に何の用なんだ?」
「おうそうだ、お前が学園に来てるって聞いたからわざわざ来たんだよ! 噂によるとお前、エファと―――ってエファ!?」
そこでようやくエファの存在に気付いたらしいケイスが、仰天したように身を逸らした。
何故か怒ったような表情をしているエファは、失礼なことに今更自分の存在に気付いたケイスに刺々しい口調で言葉を投げる。
「ずいぶん元気そうねケイス、ところで私とレンがどうしたのかしら?」
「いや、なんつーか、ってかお前ら二人でいるってことは、噂はマジだったってことか?」
「噂?」
レンが問うと、ケイスは「おう」と答える。
「お前ら婚約したんだって、今学園はその噂で持ち切りだぞ。あの話マジなのか?」
「一応そういうことになっているな」
「マジかよ!?」
ショックを受けたようにケイスは目を覆い、上半身を大きく後ろに逸らした。
「ひどい、ひどいわレン君! ボク達いつまでも独身でいようねって約束したはずなのに!!」
「そんな約束した憶えはまったくないんだが……」
「だまらっしゃい! ただでさえモテる上にあんな美人なメイドに慕われてる全男子が恨むような存在のお前が、ついに彼女を作ったって聞いて黙ってられるかぁ!」
「それについては不本意ながら大いにケイス様に同意ですわ」
ぬっと、レンの後ろからメイドが現れる。
大きな桜色のリボンで後ろを結んだ空色の髪に、海色の瞳をした少女だった。ふふふふと不気味な笑みを浮かべながら行儀良く直立している。
驚いて思わずエファとケイスが退いたが、レンだけは慣れた様子で振り向いた。
「気持ち悪いからそういうことはするな」
「あら割と本気で痛い手刀が私の頭蓋に!?」
主人からの容赦ない脳天チョップを受けたメイドは、その場で頭を抑えて蹲る。
「お前まで休日の学園に何をしに来たんだ、エリア」
「そうですわレン様、ケイス様の言う通り、私という存在がいながら他の女性と婚約されるなんて、そんなの認められませんわ! はっ、もしかしてレン様はハーレムがご所望!?」
「お前とそういう関係になったつもりはないしハーレム所望でもない」
がばっ、と勢い良く立ち上がったメイドを軽くいなすレン。
するとメイドはギロリと横にいたエファを睨んだ。
「あなたがエファ・ヒルデブランド様ですね?」
「え、ええ、そうですけど」
「私はあなたよりもずーーーーーーーーっと前にレン様と将来を誓い合った仲ですので! 今回の婚約の話はあくまでもニュービーキラー事件を解決するための特別措置。そのことをお忘れなきよう、それでは!」
ガラリと廊下の窓を開け、メイドはひらりと外に出る。ここは一階なので危険がないとはいえ、非常識な行動をしたメイドはそのまま走り去って行く。
「なんだったんだ……?」
「さぁ?」
「ほんとあのメイド誰かどうにかしてくれ」
唖然とするケイスに、首を傾げるエファ。そして頭に手をつくレンと、三者三様の反応を引き出して嵐は去っていった。




