1-30 A Crescent Moon
一人目は、何が起きたのかすらわからなかった。気付けばレンが眼前に肉薄し、太刀を一閃していた。鞘に収まったままだったので打撃となり、体が宙を舞って一瞬で意識を刈り取られた。
二人目は驚愕の中だった。突如としてレンが消えたかと思えば、隣にいた仲間がやられていた。そう認識した時にはレンが太刀を振り上げており、それが右肩に直撃して意識が沈んだ。
三人目はほぼ反射的に仲間を助けようとしていた。その仲間が目の前でレンによって意識を刈り取られ、次にどうすべきかを判断しようとしたところで気づけばレンが自分の背後にいた。そこで意識が途切れる。
四人目、五人目、六人目は同時にレンに襲撃した。おそらく八人の中でも練度の高い者達なのだろう。まず最初に一番レンに近い位置にいたローブ姿の爪が彼の右肩を掠る。それはレンが身を翻したために負った傷だったが、同時にその行動は攻撃でもあった。ぐるりと一周回転した彼は、その勢いのまま三百六十度、楕円状の軌跡を描くように太刀を振るう。それは同時にレンに飛び掛かったローブ姿達を薙ぎ払い、彼らを戦闘不能へと追い込む。
七人目はなんとか防御をしようと試みた。三人を薙ぎ倒したレンがこちらに向かってくる姿が見えたからだ。ほぼ反射的に体が動き、正面で三本爪を交差させる。が、その間をすり抜けるようにしてレンの太刀の切っ先が胸を突いて、その衝撃で昏倒する。
八人目は撤退を決断した。六人がやられた時点で形成に不利を判断し、リーナと合流しようとしたのだろう。そうしてバックステップを踏んだところで、捉えていたはずのレンの姿がブレた。その時にはもうレンは背後に回り込んでおり、太刀で脇腹を強打される。
この間、たったの十秒。リーナの目はかろうじてその様子を追うことができていたが、八人目のローブ姿が彼女の横の木に激突して意識を失うまで動くことすらできなかった。
それは驚愕しているという理由もあったが、反応しきれなかったというのもある。
疾い。
昨日一日レンのことを尾行していた仲間からの報告で、レンがライオテイル戦でありえない速度で動いてエファを庇ったことがあったという話は聞いていた。
その場に実際に居合わせ、その目で見ていたエファは、仮にあの時の速度を攻撃に用いていたのであればかなりの脅威になると考えていた。そしてそれは実際に正解だった。
圧倒的な速度による攻撃。これこそが光月流剣術の神髄。
「さぁ、残るは貴女だけだ」
そう言って、レンは太刀をリーナへと向ける。
向かい合うリーナは、明らかにレンの威圧感が先程までとは違うと感じていた。
元々学生離れした強さを持つレンだったが、それでも彼には攻撃が不得意であるという欠点があった。それ故にまだ学生の練度の範疇にいるように思われた。
しかし、今のレンは違う。明らかに常軌を逸した強さは、あるいは―――
「ふ、ふふ」
そこまで考えて、リーナは馬鹿馬鹿しいと笑った。
「なるほど、それが貴方本来の強さというわけですか。しかしそれでもわたくしには及びません。わたくしは帝国よりB級指定戦力を受けた身、貴方如きに負けるほど弱い存在ではないのです」
「そうか、なら遠慮はいらないな」
鋭い声と共に、レンは太刀を構え直す。
それは構えと呼んでしまって良いものだったのか。右手の太刀は後ろに、左腕を曲げ胸の高さに平行になるように上げていて、体を右斜め側に向けて顔は正面を見据えている。ゆったりとした立ち方でどこに重心があるのかわからない。おおよそ剣士の構えとは思えないが、それこそがレンの構えだった。
真正面に立っていたリーナは、その構えを見て驚愕する。
一見して防御を捨てた隙だらけの構えに見えて、まるで隙がない。それは構えの構造上だとか、そういう問題ではない。レン自身の技術が、一切の隙を許していないのだ。
「なるほど、言うだけのことはあるようですね」
意識を切り替え、リーナも三本爪を構える。
しばらくの静寂。両者の間に漂う緊張感に呼応するかのように、森の木々がざわざわと揺れた。
「行くぞ」
「受けて立ちましょう」
二人が地面を蹴ったのは同時だった。
ギィン、という音と共に二人の武器が交差する。
片手で太刀を振るうレンに対し、リーナは両腕でそれを受け止めていた。武器の大きさ的に、やはりレンの一撃の方が重い。片方の爪だけでは防ぐことができなかったであろう圧が爪を通してリーナの腕に伝わってくる。
流術を操り、筋力を強化したリーナは腕を広げるようにして太刀を弾く。すかさず右足で地面を蹴って前に出ると、右の爪を前に突き出す。顔を横に逸らしてそれを回避したレンは、右上方から袈裟斬りをするかのような形で太刀を振り下ろす。
回避しきれないと判断したリーナは、左腕に流力を集中させて三本爪でそれを受け止めた。しかし、レンもまた流術で身体を強化していたのか、一撃がかなり重い。それでもなんとか堪えて受け止めきると、右の爪を素早く戻してもう一度突きを放つ。
今度は一度ではない。三度素早く右爪で突いたリーナ。その爪は三回ともレンの体を掠めた。
てっきり防御されると思って放った攻撃だっただけに、そこで拍子が抜けた。しかし、それは油断とも呼ぶことのできる隙を生む。
脇腹に鈍い痛みが走ったかと思えば、リーナの体は宙を舞っていた。流術による身体強化が間に合ってなんとか脇腹のダメージを最低限にできたのは、視界の端にレンの右回し蹴りが映ったことによって反射的にその行動を起こすことができたからだ。
「がっ!」
それでもダメージは大きい。流術によって強化された蹴りをまともに食らったのだ。ローブ姿達と同じように意識を失わなかったのは、それだけリーナの練度が高かったからだが、逆に言えばリーナほどの実力者でなければ今の一撃で勝負は決していた。
なんとか空中で体勢を立て直したリーナは、背後の木に両足で着地すると、そのまま重力に支配される前に木を蹴った。そのまま次の木へと移ると、また同じように蹴る。それを高速で繰り返し、レンを攪乱するような機動をした。
五秒ほど高速攪乱を続け、最後にレン目掛けてリーナは木を蹴る。
弾丸の如きスピードで迫るリーナは、右爪を振りかぶってレンに肉薄した。右斜め後方、完全に奇襲の形になったが、素早い反応でレンはそちらを振り向いた。
振りかぶった爪を振り下ろしたのと、太刀が振るわれたのは同時。互いに攻撃を避けようと体を逸らし、三本爪はレンの左肩を掠め、太刀はリーナの脇腹を捉えようとしたが、寸でのところで左爪が間に合っていた。
ずしりと重い一撃にリーナは顔を歪めるが、それを押し殺して空中で横にくるりと一回転して、その勢いでレンの脳天目掛けて蹴りを繰り出す。
またも顔を逸らして最悪の場所への命中を避けたレンだったが、蹴りは左肩に命中した。流術で強化をしていたようだが、みしみしという嫌な音が鳴る。
その痛みをもろともしないかのように、レンの左手がリーナの足を掴んだ。そのまま強化した腕力で地面に叩きつける。
肺の中から一気に空気が抜けて、リーナの意識は一瞬持っていかれかけた。だがなんとか繋ぎ止めた意識は、次の瞬間眼前で切っ先を突きつけるレンの姿を捉えていた。
顔を逸らして突きを避けると、腹を蹴って強引にレンを押しのける。素早く立ち上がったリーナは、そのまま前方へと跳躍した。
再びレンに迫る三本爪。しかしレンは、腹を蹴られた痛みをまるで感じていないかのように太刀を振るっていた。
ギィン! と互いの武器がぶつかる。その場で踏みとどまった二人は、凄まじい速さで武器を振るう。
ただしそれは武器のぶつかり合いではなかった。8割は武器同士がぶつかっているが、残りの2割は互いの体を掠めている。
数秒ほどそれが続き、まったく同じタイミングで二人は距離を取った。
「どういう、ことですか……」
息を切らせるリーナの体は、何カ所も打撃を受けていた。それで倒れないのも大概だが、それよりもおかしいのはレンの方だった。
ぽたぽたと、体の至るところから血が流れている。決して多くはなく、ダメージ量も大したことはない。一つ一つの傷は浅く、全てギリギリのところで回避したのだろう。
とはいえ、互いに傷を負った状態。それは本来であればおかしい状況だ。
「実力が互角であるというのであれば、貴方もわたくしも傷を負うことはない。なぜなら、実力が拮抗しているということは互いに傷を与えられない状況を生み出すものだからです」
たとえばまったく同じ動きをする者同士が鏡合わせのような形で手合わせをすると、武器同士がぶつかって互いに傷を負うことはない。互角とは、そういった状況を生み出すものだ。
しかしレンとリーナは、互いに多くの傷を負っていた。
片方が押しているというのであればわかる。相手の攻撃を全て凌ぎ、確実に相手にダメージを与えていく。実力差が少ししか開いていないのだとしても、力が上の側は傷を負うことはほとんどない。
「だというのに、どうしてわたくし達はこんなに互いに傷つき合っているのですか」
痛みに顔を歪めるリーナに対し、レンは滴る血など気にならないかのように平然な顔をしている。
彼は構えを解いて、右手に持つ太刀を見た。
「俺は不器用だから、相手の攻撃を凌ぎながら攻撃を繰り出すことができない。それは俺が無月の型を使っている時から変わらないことさ」
「光月流では、門下生同士での練習試合で武器の受け流し方を習わないというのですか?」
「いいや、実際他の光月流の使い手達はうまく相手の攻撃を掻い潜りながら太刀を振るっているさ。これは単に俺の問題、昔から変わらない俺の欠点さ」
まるで自分自身を憎むかのように、レンは太刀を強く握った。
「だから俺が攻撃の型を使う時、どうしたって相手に攻撃することができない。でも、隙の大きい相手になら攻撃が届くことを知った俺は、強引に相手の隙を作る方法を思いついた」
「強引に、隙を……?」
「ああ、どんな使い手であろうとその瞬間だけはほんのわずかな隙が生まれる。そんなタイミングがある。それが、攻撃を相手に命中させた時だ」
リーナははっとした。これまでのレンとの応酬で、自分が大きなダメージを受けたのは全て攻撃が命中した直後のことだ。
情報によると、レンは攻撃をしようとする瞬間にどうしても隙が生まれると語っていたという。確かにここまでリーナは全てレンに生じた隙を突いて攻撃を当ててきたし、その隙はわざと生み出されたものであったという感覚はない。
つまり、レンは攻撃時に生じる自分自身の隙を逆に利用している。そうして相手の攻撃が自分に命中したところで、相手に生じた隙を突くようにカウンターを放つ。それこそがこの型でのレンの戦法。
「俺は自分から攻撃を受け、そうすることによって生じた隙を突くことで相手により大きなダメージを与える。そうすることによって、なんとか戦えるようになった」
まさに肉を切らせて骨を断つ。その戦法は、おおよそ剣士らしくはないものだ。
「師は、この戦法を禁じた。これは敵を傷つけると同時に、俺自身も傷つくものだからだ。だから、俺は防御の型である無月の型を極め、いつか自分が傷つかない立ち回りを身に着けた時までそれ以外の型を使うことはできない」
それが師と交わした約束なのだとレンは言う。
確かにこんな戦法は無茶苦茶だ。自分が傷つくことを厭わない、一歩間違えれば命すら失いかねない綱渡りだ。
「何故、その禁をここで破ったのですか?」
「キミ達を守るためだ」
「わかりません、わたくし達―――いえ、エファお嬢様ですら、貴方とは出会ってまだ日が浅い。貴方が師との約束を破り、その命を危険に晒してまで守るほどの関係が築けているとは到底思えません!」
「そうかもしれないな」
「答えなさい、貴方が隠してきた家名まで明かし、故国まで利用し、師との約束を破ってまでわたくし達を守ろうとする理由は何ですか!?」
レンは目を閉じた。それは逡巡の間で、ざぁっと風が吹き抜けた後には目を開き、エファの方を見た。
未だ木にもたれかかったまま、動くこともできずにこの勝負を見届けている少女。彼女と目を合わせたまま、レンはリーナの質問に答える。
「すごいと思ったからさ」
「すごい?」
「エファは、入学式のあの日に同級生である少女を守るために一人で上級生二人に立ち向かった。そして、二日前には俺の本当の実力を知るために決闘を挑んできた。その次の日には、俺と共に巨大な魔獣と戦ってくれた。そして、姉妹同然である貴女のことを守るために今日、ここで戦った」
「……何が、言いたいのです?」
「人を守ろうとする心、俺の実力を周囲に証明してくれようとした優しさ、巨大な魔獣に怯むことなく挑む勇気、そして姉のために剣を振るう心強さ。その全てがすごいと思った。決して自分が報われるわけでもないことのために頑張れるほど、エファは純粋な心を持った人なんだと、そう思った。だから俺は彼女という学友を決して失いたくない。こんな純粋な心を持った人と一緒に学園生活を送れたらきっと楽しいだろうなと、そう思うから」
ポカンと、リーナは開いた口が塞がらなくなった。
ヒルデブランドの財産だとか、エファ自身を手に入れるためだとか、そういうことを言うのであればリーナはレンのことを斬り捨ててやろうとすら考えていた。
だというのに、なんだその理由は。拍子抜けもいいところである。
「そして、そんなエファのことを想って動いた貴女自身も救いたいと思った。貴女は絶対に、エファにとって欠かすことのできない人だ。それに、そこまでエファのことを大切に想うことができるほど優しい心を持った人だ」
「何を馬鹿な、私はお嬢様のために他人を傷つけて……」
「でも、それは本望じゃなかった。人は誰だって過ちを犯すもので、貴女の場合はそれが過ぎてしまっただけ。たったそれだけのことなんだ」
太刀を構え、レンはリーナを見据える。
彼の目は何も諦めてなどいない。決意は固く、意志を貫き通そうという意気がありありと見える。
そんなレンを見て、リーナは目尻に涙が浮かんだ。
「認めません」
地面を蹴って、三本爪を振るう。両腕でクロスするようにしたそれは、レンの太刀によって二つとも止められる。
そのまま拮抗した状態で、リーナは叫んだ。
「認められるわけがないじゃないですか! どうして、どうして貴方のような方がこの学園に入学してきたのですか!? 貴方のような方に、お嬢様が勝てるわけがないじゃないですか!!」
それはきっと剣の実力だけの話ではなかったのだろう。心の在り方とか、意志の強さとか、そういうものを含めた全て。
レンの強い意志に触れて、リーナは改めて認識してしまったのだ。こんな素晴らしい男にエファが敵うわけがないと。それを認めるわけにはいかないのに、認めざるを得ないからこそ三本爪に力を籠める。
「わたくしは貴方を排除します。貴方がいてはお嬢様は頂点に立てない!」
「どうしてそう言い切れる?」
「貴方が、強すぎるからです!」
ギィン! と、リーナが三本爪で太刀を弾いて後ろに跳ぶ。
靴底で地面を擦りながら着地すると、振り払うように右手を横へやった。
「お嬢様は貴方を超えられない。貴方は強すぎる。なにもかもが、お嬢様を上回っている。貴方は絶対に排除しなければならない!」
感情のままにリーナが三本爪を振るう。
上方から振り下ろされた右の爪を、レンは上段で受け止める。
「何もわかっていないな」
ぽつりと呟いたレンの一言に、リーナの動きが止まった。
両者はその状態のまま固まって、会話を続ける。
「どうして貴女はエファのことを信じてやれない?」
「わたくしは、誰よりもお嬢様を信じております」
「だったらどうして、彼女が自分で這い上がる可能性を否定する?」
びくりとリーナが肩を震わせる。
レンは反論の隙を与えず、一気にまくしたてた。
「エファは剣士として才能がある。確かに今は総合順位で11位かもしれない。でも、この先きっと彼女は成長してもっともっと強くなって上に行くことだろう。貴女がやっていることは、そんな彼女に対する侮辱だ。エファが誰に勝てないと勝手に決めつけ、勝手に上位成績者達を障害だと決めつけて排除した。それは、エファの成長の可能性を否定していることと同義だ!」
ガァン! と、今度はレンの太刀がリーナの三本爪を弾く。
図星を突かれたことで、リーナの判断力が鈍る。
反射的に左の爪を横に薙いで反撃するが、それは悪手だった。それを見越していたレンは、既に高く跳んでそれを回避している。
「終わりだ、リーナ・エニスタ。今はエファの可能性を信じて、ゆっくり眠れ」
月光を背負い、レンは高く高く太刀を振り上げる。
「光月流『繊月』の型―――『落葉』」
太刀が流れる落ち葉が如く加速し、三日月の軌跡を描く。
そう形容するに相応しい一閃。レンの太刀は遥か上方から流れ落ち、リーナの頭を掠めた。
衝撃としてはとてつもなく小さいものだったが、脳を揺さぶるには十分な威力。ぐらりと揺らいだリーナの体は、そのまま膝から崩れ落ちた。




