1-29 右手に武器を
空気が、固まった。
最初は誰もが何を言っているのか理解できなかった。次に、言っている意味が理解できなかった。
なにせ突然の求婚だ。それも今は戦闘の真っ最中、真剣なやり取りをしている状況で、まるで場違いな宣言だ。
さらにレンが土壇場で明かしたファミリーネーム。
サイクス。
世界三大剣術流派の一つ、サイクス流を古来から伝えてきた名家であり、共和国でも屈指の名門貴族。その長男ということは、将来サイクス家を背負う立場にある身であるということを意味する。
つまりレンは、共和国にとってかなり強い発言権を持つ、重要な存在であるといっても過言ではない。
だからこそその言葉の意図を理解するのに時間がかかったとしても仕方のないことで、一番最初に気付いたリーナですらたっぷり五秒は要した。
しかしそれよりも早く反応したのは顔を真っ赤にしたエファだ。
「な、なななな何を突然! あなた頭でもおかしくなったんじゃないの!?」
「俺は至って真剣だぞ?」
「その通りです、お嬢様」
苦虫を噛み潰したような顔をしたリーナが、あまりのことに笑みすら浮かべる。
「やってくれましたね、レン様。まさか貴方がそれほどのカードを持っているとは思っておりませんでしたわ」
「お褒めに預かり光栄だ」
「え、え? どういうこと?」
その場にいたローブ姿のヒルデブランド家の従者達ですら気付いている様子だったが、よほど同様しているのかエファは頭が追いついていない。
困惑気味のエファに、リーナが説明を始める。
「この男は、ヒルデブランド家と共和国のコネクションを作ろうとしているのですよ」
「コネクション?」
「現状、帝国は他の国家とそれほど親密な関係にあるわけではありません。帝国は力を見せつけることによって、他国に威圧を与えてほぼ強制的に外交、貿易を行っているような国家です」
だからこそ力が無くなれば帝国は孤立する。先程リーナはニュービーキラー事件を引き起こしたのはエファのためだと言ったが、この問題は現実として存在している。当然、リーナはその問題のことも見据えていた。
仮に今回の事件が無事に解決し、ヒルデブランドに制裁が与えられてエファが学園から退くことになれば、その被害はヒルデブランド家のものだけにはならない。被害に遭った生徒の出身国はたちまち帝国との仮初の友好関係を切り、恐れていた事態が現実となるだろう。
そのためにもリーナはヒルデブランド家だけではなく、帝国とも縁を切らなければならない。そうしなければまず国家の問題を解決できないと考え、リーナは尻尾切りを提案したのだろう。
「しかし帝国でも最上位の名門貴族であるヒルデブランド家が、共和国の一級貴族であるサイクス家と縁を持てば、帝国と共和国には一本のパイプができる。そこから両国家の友好関係を築きかねないほどのものを。同時に、ヒルデブランド家が背負うはずだった罪をサイクス家も背負うことができる。他国が今回の事件を深く追求するつもりなら、帝国と共和国という二つの大国を敵に回すことになるということ」
ヒルデブランドとサイクスは、それぞれ帝国と共和国になくてはならない力だ。
サイクス家がヒルデブランド家のために動くというのであれば、これまで帝国のために動く理由のなかったアニエスタ共和国を動かすことのできる理由ができる。仮に今回ヒルデブランドが起こした事件が国際問題に発展させようというのであれば、帝国はサイクス家を通じて共和国を味方にすることができるのだ。
今回の事件で被害に遭ったのはシーベルト王国、モルティー連邦、リリエイツ公国出身の三人の生徒だが、この三国が束になってアンデルス帝国だけを敵に回せば、あるいは圧倒することすら可能かもしれない。だが、アンデルスにアニエスタが味方をすればそれはもう世界六大国家の内の五大国が参戦する世界大戦だ。それだけはなんとしても避けたいと考えるはず。
現状考え得る手段の中で、この方法こそが一番ニュービーキラー事件を解決するにあたって有効な手段だろう。これで一つ目の理由、国際問題に関してはクリアされた。
「わたくし達を守るために、国家すら持ちだそうと?」
「そうだ、これ以上の手はない」
もちろんレンの手段を実行したからといって、罪が消えるわけではない。だが、罰がかなり軽くなることは確かだろう。
レンの言葉通り、これ以上はない。
「それはそれは、大変すばらしいことですわね」
「なら」
「ですが、認めるわけにはまいりません」
リーナは爪を構える。
「貴方が本当にサイクス家の長男であるかどうか、という問題はひとまず置いておくとしましょう。そう仮定して話を進めたとしても、わたくしは止まるつもりはございません」
「それはなぜだ?」
「やはりわたくしが、お嬢様の順位に納得できないからです」
レンが眉を顰め、エファは「どうして」と呟いた。
「それほどまでに順位が大切か?」
「ええ、お嬢様は頂上に立つべきお方です。総合順位11位というものは、今すぐにでも捨て去らなければなりません」
それが間違っていることだと気付いていても、リーナの決意は固い。
レンは目を閉じて、仕方がないとでもいうかのように息を吐いてからゆっくりと開いた。
「なら、決着をつけよう。俺が勝てば、貴女の目的は諦めてもらう」
「正気ですか?」
ザッ、と木々の間から現れ、枝の上から飛び降り、その場を囲むようにローブ姿達が現れる。
数にして八人。いずれもレンの相手ではないが、数が多い。
「この人数を相手に、防御することしか能のない貴方が勝てるとでも?」
八つの影が一斉にレンに襲い掛かる。
一人一人の能力は大したことのないローブ姿達だが、それなりに修練を積んだ立派な使い手達だ。この数が相手なら、ヒルデブランド流の使い手であるエファですら対抗するのは難しいだろう。
レンはまず一番初めに届いた爪を弾いた。そこからは目にも留まらぬ攻防。
次々と襲い来る爪を凌ぎ、弾き、受け流し、いなす。
リーナの猛攻すら平然と凌ぎ切ったレンにとって、八人がかりの攻撃だろうと届きはしない。だが、そんなレンにも欠点はある。
「やはり素晴らしい防御術ですが、貴方にはそれが手一杯。全ての攻撃を防ぐことはできても、反撃に転じることができない」
ゆっくりと歩いてレンに近づくリーナの足が、徐々に速くなる。
「そして、わたくしならば防御に手一杯である貴方の隙を突くことができる!」
すさまじい速度で突進したリーナの爪が、レンの頬を掠めた。それだけで済んだのはレンが体捌きでかろうじて回避したからだが、回避しきれなかったのは確かだ。
そしてまだ八人の攻撃は続いている。さすがのレンといえど、八人の猛攻と実力者であるリーナの一撃を回避できるほどの練度はない。
「貴方に勝ち目はありません」
リーナの爪が、月光を受けてギラリと光る。
このままレンが亀のように防御を続けていても、いつかはリーナの攻撃がレンを捉えることは明らかだ。勝ち目がない、というリーナの言葉は決して外れてはいない。
「わたくしは一番の障害である貴方を殺し、他の上位成績者も再起不能にする。そしてエファお嬢様に学園の頂点に立っていただく。その後に罰を受けましょう、それで全てが終わるのです」
「させないさ」
全力で防御に専念しているはずのレンが、静かに呟く。
まだそんな余裕があったのかとリーナの顔が苛立ちに歪むが、構わずレンは続けた。
「言ったはずだ、俺はキミ達を守る。その覚悟はもうできているんだ!」
咆哮と共に、轟音が周囲を支配した。
轟音だけではない。大量の土煙と風圧が発生し、思わずリーナは腕で顔を庇う。
風圧に煽られて宙に浮いたローブ姿達が、全員綺麗な受け身を取って着地する。そして土煙の中心を見た。
もうもうと立ち込めるそれが晴れると、やはり中心にはレンがいた。あの土煙は、レンが何かを地面に叩きつけて起こしたものだ。
そこでリーナは疑問を抱く。レンは流術で身体を強化することに長けているが、たかが掌底ごときで八人の人間を吹き飛ばすことができるほどの衝撃を生み出せるものだろうか。
レンの掌底はかの巨大魔獣ライオテイルの巨体をも宙に浮かせた実績を持つが、それにしては規模が大きい。
そう、これほどの規模の衝撃波を生み出すには、何か武器でもなければ不可能だ。そして、レンが持っている武器といえば一つ。
衝撃によって抉れた地面には鞘に収まった太刀の切っ先が刺さっていた。そして、その太刀はレンの右手に握られている。
「なによ、それ……」
絞り出すような声を出したのは、この中で一番レンの戦法を知っているエファだった。
決しておかしなことではない。武器というのは基本的に利き手で握るもので、レンの利き手は右手だ。であればそれが自然な形であるはずなのだが、その場にいる誰もが違和感を抱いた。
「それはどういうことですか、レン様」
険しい顔で聞いたのは、リーナだ。
「貴方の基本戦法は左手で太刀を持ち、それによるガードとその後のカウンターだったはず。右手で太刀を持つなど、我々の情報にはありませんが」
「当然だ、この島に来て俺はこの型を使ったことがない」
切っ先を地面から外したレンは、ゆらりと上体を起こす。
「俺は、師から無月の型以外の剣を使うことを禁じられている。だけど、その戒めを破ってでも俺には守らなければならないものがある。だからこれは、そのための覚悟の表れだ」
そしてその切っ先をリーナへと向け、不敵な笑みを浮かべた。
「さぁ行くぞ、これはキミ達を守るための戦いだ。手加減はできないから、最低限自分の身は守ってくれよ」




