1-10 出来損ないの剣士
「いいや、決闘はしない。代わりといっては何だけど、模擬戦をしよう」
「はい?」
エファがわけがわからないといったような顔をする。無理もない。
「それって決闘とどう違うの?」
「大違いさ、決闘は場合によっては相手を殺すことさえある真剣勝負。でも、模擬戦はその名の通り擬似的な戦い、いってみればお遊びみたいなものだ」
「お、お遊び……?」
「俺はどうあろうと今のキミと決闘をするつもりはない。だから、これは妥協案だ。俺も自分の実力を隠すつもりはないし、そもそも隠していないわけなんだが、キミは俺と一戦交えないと納得してくれないみたいだからな」
形はどうあれレンと闘うことができるのであればエファの目的は達成できる。そうレンは主張しているのだろう。
多少納得はできないが、エファはレンの本当の実力を知ることができさえすればいいのだ。そもそも互いに自分の獲物を使うというこの状況で決闘と模擬戦のどこに違いがあるのかがわからない。
「わかった、もうそれでいいわ」
というわけでしぶしぶ折れたのはエファの方だった。
互いに模擬戦を行うという了承を得ることができたところで、エファは改めて武器を構える。
ヒルデブランド流の構えは、数多ある流派の中でも王道だといえる。両手で大剣の柄を持ち、それを正面で構える。まさに「剣道」と呼ぶに相応しい構えだが、その中でもエファのそれはかなり絵になっていた。
「それで、どうすればいいの? もう始めてしまっていいのかしら?」
「ああ、いいぞ」
「……」
余裕がある表情でその場に立つレンは、まだ武器を構えてすらいなかった。
いや、正確にはレンが今取っている姿勢―――後ろの左手に太刀の鞘を持ち、前の右腕を腰の少し上あたりで水平になるように曲げる。それはあるいは構えと呼べるものであるのかもしれない。だが、エファにとってはそれはこれから勝負事に臨む態勢だとはとても思えなかった。
「ふざけているの? はやく剣を抜きなさい」
「別にふざけているつもりはないさ、光月流剣術―――『無月』の構え。これも師から教わった、立派な光月流剣術の構えの一つだ」
そう言ってのけるレンの顔に、嘘偽りは何一つない。
しかしエファの知る―――話に聞く程度だが―――光月流剣術が抜刀した剣を扱うものであることもまた事実だ。そう、それもエファがレンの実力に納得できない理由の一つ。
入学式の日に目にしたレンの戦法も、今と同じで剣を抜くことは一切なかった。だからこそエファはレンに対して大きな疑問を抱いたわけで、本当のところはレンが抜刀しないことこそが彼の実力を疑った一番の理由ですらある。
剣士であるならば普通、戦う時は鞘から剣を抜くものだ。鞘に納めたまま戦うなど、相手に対する侮辱に過ぎない。
ギリ、とエファは奥歯を噛んだ。
「それじゃあお望み通り―――」
目にも留まらぬとはこのことだろう。
常人からすれば一瞬の出来事である。エファは圧倒的な重量を誇る大剣を手にしたまま、一瞬でレンに肉薄していた。
距離にしておよそ6メートル。その距離を一瞬で詰められたとあらば、心理的にも肉体的にも反応するのは困難だ。
「吹き飛びなさい」
そう予想して、エファは剣を振るった。
左から少し斜め上に振り上げるようなフルスイングによって、ブゥンという派手な風切り音が鳴る。
しかし次の場面は、エファの思った通りにはならなかった。
ガァン! という金属音にも似た音が響き渡り、エファの腕に衝撃が伝わる。まるで巨大な岩石を鉄棒で殴りつけたかのような感触。エファの腕に痺れはなかったが、果てしなく堅い何かに剣をぶつけたような。
そしてそれは間違っていない。エファの振るった大剣は、レンの鞘によって止められていた。
ありえない、とエファは思った。模擬戦ということもあってレンを殺すつもりはなかったので、エファは大剣の腹で彼を殴りつけようとした。もちろん大剣の腹の部分は大きいため、そのぶん空気抵抗も激しくなる。それによって威力は大幅に減少していただろうが、それでも速度は十分にあった。それこそ、直撃すればレンは10メートル以上吹き飛んで体育館の壁に叩きつけられていたことだろう。あるいはここが野外であれば、それ以上は飛んだはずだ。
それほどの一撃を、たった刃渡り70センチほどの細いものに。エファの剣に対すれば棒きれにも等しいものに防がれた。さらに、レンはそれを片手で持っている。常識的に考えればそんなものでエファの一撃を受け止めれば剣の方が折れていたはずだし、仮に折れなかったとしても片手が折れるか、運良く体にダメージがいかなかったとしても衝撃で数メートルは弾き飛ばされるはずだ。
だというのに、レンはその場で微動だにしていない。
「どうした、キミの全力はこんなものか?」
明らかな挑発だったが、エファの頭はこの言葉で少しだけ熱くなる。
「いいえ、まだよ!」
バックステップを踏んで距離を取り、エファは猛攻を開始する。
一撃、二撃、三撃。重量のある大剣でありながら常人が棒きれを振るうよりも速く動いたそれを、レンは全て受け止める。もちろん大剣の重量を活かした破壊力は死んでいないはずだったが、それでもレンの表情から余裕は消えない。
身を翻して四撃。遠心力も加わった分かなりの威力を有したはずだったが、やはりこれも受け止められる。
決して偶然などではない。レンはエファの攻撃を全て見切り、それら全てを防御しきれている。
「くっ!」
もう一度後ろに跳び、レンから距離を取る。
正面から彼を見据えて、エファは改めてその非常識さを考える。
レンの体格は決して悪くはないが、エファの大剣を真正面から受け止められるような筋力があるようには到底思えない。だというのに、レンは顔色一つ変えずに未だにその場に立っている。
手加減をしたつもりはない。エファはレンの骨の一本や二本は持っていくつもりで大剣を振るっていた。確かに一撃目はある程度手心を加えていたものだったが、それ以降は剣の刃の部分で攻撃をしていた。
どれだけ強力な一撃であろうと防御される。思えば、レンには入学式の時にあの上級生が放った一撃すら余裕で凌ぎ切ったという実績もある。
ならば手数を増やすのが正攻法だが、おそらくレンはそれにも対応しきるだろう。なぜなら、レンの扱う武器はエファの振るう大剣などよりもはるかに軽いもので、しかもそれを片手で扱っている。速さという一点で勝負するなら、エファでは歯が立たないだろう。
「これで終わりか?」
剣を構えたまま考え込んでいたエファに、レンは挑発する。
しかしエファにはもう打つ手がない。破壊力でも速さでもあの防御を破れないのであれば、レンに決定打を与えることはできない。
「なら、今度はこっちから行くぞ」
そう宣言し、レンは基本の構えに戻る。それから腰を落とし、体のバネを利用して前方へと跳躍した。
疾い。エファがレンに一撃目を加えんとした時よりもはるかに高い速度で二人の距離が縮まる。
驚いたエファだったが、反応しきれないほどではない。レンが間合いに入り、右足を踏み込んだ時には体が反応していた。
そこで、おかしいことに気付く。
後ろ手に刀を持ち、右手の掌底を放たんとするレンは、確かに脅威であっただろう。しかし、それは反応しきれない者にとってはの話だ。レンの動きに反応し、対応することができるエファは、そのレンの攻撃姿勢が隙だらけであると感じた。
ぴたりと二人の動きが止まった。
一方は今まさに相手の鳩尾に掌底を突きこまんとする寸前で、もう一方は相手の左肩に大剣を振り下ろさんとする寸前で。
互いの攻撃の威力が風圧となって周囲へと拡散し、そのまま時が止まったかのように二人の動きはなくなった。
五秒ほどだろうか。しばらくそのままの体勢で止まっていた二人だったが、先に動いたのはレンだった。
彼は息を吐き、ゆっくりと体を放す。それを見たエファが、呆けたように剣を下ろした。
「これが俺の実力さ」
「どういうこと、何のつもり?」
「言った通りの意味さ、俺の実力はここまで」
「手加減をされて、それで私が納得できるとでも?」
「手加減なんてしていないさ、俺は真剣にキミと闘った」
そう言われたところで、エファはどうしても納得できなかった。
この模擬戦、エファは常にレンに圧倒されていた。打ち合ったのはたった数合だったが、それだけでエファは自分の剣がどうあってもレンに届かないことを実感していた。
だからこそ最後の一合だけが納得できない。模擬戦の間、終始隙のなかったレンがあの時だけ隙だらけだった。ならば、真っ先に手加減をされたと疑うのは当然のことだろう。だが、エファにはどうも今のレンが嘘をついているようには思えなかった。
「どういうことなの、ちゃんと説明して」
「ああ、そのつもりさ」
レンは左手に持つ刀を前に突き出す。
「光月流『無月』の型は、防御に特化した型だ。こうやって鞘の中央付近を手に持ち、自身の間合いに入った敵の攻撃を最大速度で全て受け止める。光月流の中でも初伝で習うような型なんだけどな」
「……初伝で、それだけのことを学ぶのね」
「もちろん、初伝の技だって極めれば達人の域に到達することもある。キミのヒルデブランド流だってそうだろう?」
確かに、エファの習得しているヒルデブランド流も基本の型を磨けば磨くほど剣の腕が上達する。それほどまでに基本は大事だということか。
「だが、この無月の型は防御だけが取り柄じゃない。防御の次に繋げて初めて完成する型なんだ」
「それは、もしかして」
「そう、最後の一合、俺が放った掌底―――いわば右手を使った戦術だ。無月の型は左手の刀で敵の攻撃を防御し、返す右手で相手に攻撃を加えるいわばカウンターを主体とした型だ」
なるほど、それは理に適った型だ。
この世界には二刀流を使った流派があるが、その型の使い手でレンの使う無月の型と同じように、左の剣で防御して右の剣で攻撃するといった戦術を扱う者がいるということをエファは聞いたことがある。
だが、それなら腑に落ちない点がいろいろとある。
「ならどうして貴方は最後の一撃をカウンターという形で打たなかったの?」
「確かに無月の型はカウンターが主体だが、剣の勝負の世界でいつまでも受け手であるということは絶対にありえない。時には自分から攻めに転じる必要もあることを考えて、無月の型でも攻めの手法を学ぶ。その場合、敵が自分の動きに対応して攻撃を放ってきた時、左手の刀で防御する必要がある。その上で相手に一撃を加えるのが正しい戦術だ」
つまり先程の一合の場合、レンは自分で攻撃すると同時にエファの攻撃を防御する必要があったというわけだ。思い返してみれば、防御には至らなかったがレンの左手が少し動いていたような気もする。
だが、それならどうして防御が間に合わなかったのかというのが第二の疑問である。
その質問をエファが口にする前に、レンが解答を始める。
「問題なのは、俺がその戦術をまだ習得していないということだ。仮にもしキミが攻撃してきて、それを俺が防御していたとしても、カウンターまでには至らない。いや、正確には違うか」
「……?」
「つまり、俺は攻撃するのが大の苦手なんだ」
ばっさりと、レンはまず結論から口にした。
「俺の攻撃はどうしても隙が生じるものでな、相手が格下であるとか隙だらけならその隙を突くことができないからなんとかなるんだけど、キミみたいな実力者相手だと話は別だ。自分から仕掛けるにしろカウンターするにしろ、俺の攻撃には必ず穴ができる。だから俺は攻撃することができないんだ」
「でも、貴方の防御は完璧だったわ」
「そう、俺は防御に特化した無月の型のみなんとか習得した、光月流門下生の中では出来損ないの剣士さ」
そうレンは自嘲して笑ってみせる。
対するエファは、言葉が出なかった。いろいろ言いたいことはあったような気がするが、何から口にするべきかわからないほど複雑な感情によって混乱していたのだろう。
何も言わないエファにレンは微笑を浮かべると、模擬戦の前に落とした布を拾ってその中に刀をしまう。
「要件はこれだけだったな、それじゃあ今日はこれで。もう外は暗いから、気を付けて帰るんだぞ」
「あ……」
何も言うことができないエファを置き去りにするように、レンは第三体育館を後にする。
我ながら逃げるようだな、と心の中で自分に悪態を吐きながら、レンは後ろ手に扉を閉じた。




