1-9 決闘の理由
クラブハウスから外に出た頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
まだ遠くに見える水平線の向こうに赤い光が見えてはいるが、時間的には夜と言ってしまっても問題ない程度には時が経っている。
すっかり遅くなってしまったなと心の中で呟きつつふと辺りを見てみると、レアード学園の校舎内にはまだぽつぽつと明かりが点いている箇所がある。しかもそれなりに数が多く、まだ多くの生徒や教職員が学園内に残っているらしい。
もっともレンもその中の一人ではあるのだが、彼はいろいろと事情があった身だ。いったい他の生徒達はどういう理由があって校舎内に残っているのだろうと考えたが、そういえば部活動なるものがあったことを思い出す。
部活動は基本的に放課後になってから行われるもので、各クラブがそれぞれ目標としている分野のスポーツや文化を研鑽するものだと本で読んだことがある。なるほど、その部活動というものはこんな時間までやっているものなのかと感心しつつ、レンの目にある一つの建物が留まる。
そこは第三体育館と呼ばれている、寄棟屋根が特徴的な長方形の建物だ。
このレアード学園には体育館と呼ばれる建造物が三つあり、第三体育館はその中でも校舎から最も離れた位置にある、使用頻度の一番低い場所だ。主な用途としては、入学式や卒業式のような式典に使われているらしく、当然レンも入学式の際に足を踏み入れたことがある。
そういった式典のない時は雨の日などに部活動などでたまに使われたりするらしいが、今日は雨が降っているわけでもないのに何故か第三体育館の証明が点いていた。
教職員に許可さえ取れば自由に使わせてもらえる場所とのことだが、いったいどこの誰がどんな目的で使っているのか―――と考えたところで、ようやく一つの出来事を思い出す。
―――放課後、第三体育館にてお待ちしています。
そう言って今朝に決闘を挑んできた少女がいたことを。
放課後になるや否や突然エイゼルに呼び出され、自然とそちらを優先することになったレンだが、そこからの流れがあまりにも濃いものだったのですっかり忘れてしまっていたが、そんな約束も―――相手から一方的にだが―――していたのだった。
無論レンに決闘を受ける気はない。それは今朝も意思表示したことで、考えは今も変わらない。
とはいえ、女性を待たせるというのはマナーに反するものだと父に教わったレンとしては、このまま見なかったふりをして帰るというわけにもいかないだろう。というより、性格上できない。
仕方ないとため息をついてレンは第三体育館へと足を向ける。あるいは既にあの少女―――エファ・ヒルデブランドは帰った後で誰かが部活動で使用しているという可能性もあったが、その時はその時だ。一番心配すべきなのは彼女が未だに帰っておらず、レンが来るまでずっと待ち続けているかもしれないということだ。
マナー的には今更行ったところでアウトなのだろうが、それでも行かないわけにはいかない。なるべく早く着くように、レンは少し早足になる。
クラブハウスから第三体育館までは、それほど距離がない。二つの建造物は普段レン達が利用している本校舎を正門から見据えて右側に存在していて、クラブハウスが正門に近い側、学園敷地内の最右翼にあり、第三体育館はその向こうの学園敷地内で最も右奥にある。
第三体育館の使用頻度が低い理由の一つが学園敷地内で最も僻地にある場所であるというものだが、舗装路はきちんと建物まで伸びている。途中に存在した菜園を横目に歩き続けると、ほんの一分もしない内にレンは第三体育館の前にたどり着いた。
いざ入口前に立ってみると若干入ることを躊躇う気持ちが湧き出ないこともなかったが、それを押しのけるようにして正面扉を開く。
第三体育館の入口扉は生徒会室と同じく木製の両開き扉で(生徒会室ほど重苦しい雰囲気はなかったが)、その片側だけを開いて中に入ったレンは、二歩程度進んだところで足を止めた。
建物内部の中央より少し奥、白いテープで仕切られた枠の中にその少女はいた。
正しい姿勢の正座をし、まるで瞑想でもするかのように目を閉じている彼女は、まるで不動の岩の如く静かにその場に存在している。
いったいいつからそこにいたのだろう、という疑問は無粋というものだ。当然、放課後になってからずっとそこにいたのだろう。
「まさかまだ残ってるなんて思ってなかったよ」
流石にレンが入ってきたことは気付いているだろうが、念のためこちらから声を掛ける。すると彼女はゆっくりと目を開いた。
「当然です、約束しましたから。それに、正確な時間を指定しなかったのはこちらです。あなたが負い目を感じる必要はありません」
そうか、とレンは短く返して渋い顔をする。
「その、キミの素はそんな感じなのか?」
「? どういう意味ですか?」
「いや、なんというか他人行儀な話し方だと思ってな。せっかく同年代なんだから、もっと砕けた話し方でもいいんじゃないか?」
他人の口調にとやかく言うつもりはないレンだが、エファの丁寧口調に関してはなんだか無理をしているような感じがして、思わずそう言ってしまった。
あるいは自分の勘違いでエファの素はこの口調なのかもしれないが、どうやらレンの勘は当たっていたらしく、エファはふぅと力を抜くように息を吐いた。
「わかったわ、それじゃあ普通に話させてもらうわね、レン」
「ああ、そうしてくれると助かる」
これでようやくスタート地点かな、とレンは少しだけ安堵する。だが、彼女とレンの間にはまだ大きな問題が残っている。
「それじゃあ、早速だけど始めましょうか」
傍らに置いてあったアタッシュケースを持って立ち上がり、エファはその中身を取り出す。
それは入学式の日と今朝も見た、彼女の武器である大剣だ。
「ちょっと待った、俺は別に決闘をするためにここに来たわけじゃない」
そう、今日の本題である決闘。それこそがレンとエファの間にある今現在一番大きな問題だ。
「今朝も言った通り、俺はキミと決闘をするつもりはない」
「それはなぜ?」
「キミと争う理由が俺にはないからだ」
「私にはある、私はあなたの本当の力を見なければならない。光月流剣術の門下生であるあなたの、本当の力を」
なぜエファがそのことにこだわるのか、レンにはわからない。だが、あえて聞こうとも思わない。
理由がどうあれ、レンには決闘を受ける気はない。それに、彼女の渇望は既に満たされている。
「もう一度言うけど、俺の実力ならキミはもう既に知っている。入学式の時に上級生と交えた一戦で出したのがそれだ」
「それは嘘よ、私にはあれがあなたの本気だったとは思えない」
何をもってそう断言するのかはわからないが、光月流剣術の看板が彼女に大きな印象を与えているのだろう。
「まいったな、どうすれば信じてくれるんだ?」
「だから、私と決闘をして。そうすればあなたの本当の実力がわかる」
確かにその通りだ。この場を一番うまく纏める方法は彼女と決闘をすることで、レンにもそれはわかっている。だが、面倒だから決闘をしようかと安易に誘いを受ける気はない。
実力を隠したいわけではないし、そもそも先程から説明している通りレンの底は既に彼女に披露している。レンが決闘を受けない理由はもっと別の点にあった。
「俺は力を比べるのは好きじゃないんだ」
「……?」
「キミはあのヒルデブランド家の娘なんだろう。なら聞きたい、どうしてキミは剣の道を歩むんだ?」
レンの質問に、エファは呆気に取られていた。まるで常識を尋ねられたかのような反応だ。
「それは私がヒルデブランドの娘だからよ」
「ヒルデブランドの娘だからという理由だけで剣の道を歩まなきゃいけないのか? それはおかしい。だって職人の子供が同じように職人になるとは限らない。そうなることが多いってだけで、必ずしも親の歩んできた道と同じ道を子供が歩かなければいけないなんてルールはこの世界にはない」
「何が言いたいの?」
「難しく考える必要はないさ。ただ単純に、キミは何のために力をつけたいと思っているのかを聞きたいだけさ」
エファは黙り込む。おそらく答えが用意できないのだろう。それはそうだろうな、とレンは思う。
「キミは俺の力を知って何がしたい? そりゃ俺の力と自分の力を比べたいという気持ちはわかる。それ自体は悪いことじゃないと思うし、実際力比べっていうものは力を欲しがる者にとって有益なことだとは思う」
たとえば入学時総合成績順位。レアードがその情報を公にしていることが悪いことだとは思わない。
身の程を知るという言葉があるように、自分の力量がどれくらいのものなのか、同年代の中でどの位置にいるのかを知ることはとても重要なことだと思うし、それを知ることによって上を目指す糧になるだろうとも。
「だが、今のキミはどうも違う気がするんだ」
「違う……?」
「俺の実力を知って、それを糧にできるような状態にない。そんな感じがする」
少しだけ遠回しな言い方をしてしまったせいか、エファが首を傾げる。
レンとしても今の言い方はうまく纏められていなかったと反省していた。つまるところ、レンが言いたいことは―――
「キミは、自分のために俺の力を知ろうとしていない。そうなんじゃないか?」
「……」
「俺の力を知って、俺がキミの上にいるにせよ下にいるにせよ、それを糧にキミの剣の道がさらに頂きに近づくのならそれでいい。でも、どうもキミは自分のためにならないことをしようとしている気がしてならないんだ」
今朝までは漠然としていたことだったが、これがレンが決闘を受けたくないと思った理由だ。
無論このレンの言い分には多少は推論も含まれている。だが、ある程度の確信を持っているのも事実だ。
なぜなら、エファはレンの実力を知りたいとは言ったが、レンに勝ちたいとは一度も言っていない。決闘を挑む以上、何か特別な理由でもない限りは自身の勝利を信じて闘いに挑むというのが剣を志す者にとっての礼儀だ。
エファにはそれはがない。負ける気があるようにも思えないが、勝利というものを見ていない。彼女がレンに決闘を持ちかけた理由は、単にレンの本当の実力が見たいがためだ。
では、彼女は何のためにレンの実力を見たいのか。いいや、言い換えよう。彼女は何のためにレンの本当の実力を証明したいのか。
エファ以外の者がレンの本当の実力を知りたいと口にしたことはいまのところない。仮にあったとしても、エファほどの拘りを持ってはいなかっただろう。
「教えてくれないか、どうしてキミはそこまで俺の実力に拘る?」
質問に、逡巡するような間を置いたエファは、やがて諦めがついたように息を吐いた。
「……あなたが、総合成績三位の枠に収まるような人ではないと思ったからよ」
「どういうことだ?」
「あなたはこのリンクライン島に来てから、様々な事件を解決してきた。それこそ、優秀なレアード学園生徒会やその他に存在する島のあらゆる治安維持組織よりも先に、ね。総合成績一位、二位の二人でさえそんなことができなかったのに、どうしてそれを可能としたあなたが彼らより下にいるの?」
「―――」
「私はどうしても納得できない。あなたの力はもっと上のところにあるはず。それを見てみたい、そして周囲に証明してみせたい。ううん、あなたの本当の力は周囲に知られて然るべきことなのよ」
レンは納得していた。
この娘は、あまりにも純粋なのだ。ただ純粋に、正しくないことに納得ができないだけ。
つまりエファの中で、レンの姿はもっと高い位置にあるように映っているのだろう。その高みをレンが隠していて、周囲がレンがどれほど素晴らしい人物であるかを正しく認識していないことに納得していない。
なんとも難儀な性格だ。それではあまりにも―――
「なるほど、わかったよ」
言いたい言葉を飲み込んで、レンは肩に掛けていた紫紺の布を手に持つ。
それはレンの武器である「太刀」を包んでいるもので、紅色の留め紐を解くと中からそれを取り出した。
刀身はおよそ70センチほど。鈍色の鞘に収まったそれを、レンは左手に持つ。そんな彼の左手が掴んでいるのは、鍔の部分ではなく鞘に収まった刀身の中央付近だ。
「決闘を受けてくれるってこと?」
武器を取り出したことでそう思い込んだエファは、改めて武器を握る手に力を込める。
だが、レンはそれを否定した。
「いいや、決闘はしない。代わりといっては何だけど、模擬戦をしよう」
「はい?」




