兄と弟
「ただいま」
太郎は家に戻っていた。
乙姫仁相談しようとしたが、受験対策のテストの関係で今日は忙しく、話すのは明日以降ということになったためである。
「兄貴か……」
そして部屋に戻る途中に、太郎は兄である俊介の部屋の前で止まった。
「兄貴……。入るぞ」
「……太郎か」
太郎の兄である俊介は5歳年上の22歳。
学生時代は容姿端麗、頭脳明晰、加えて性格もよくて、おっとりとしている太郎と比べるとかなり活発的であり、将来三波家を継いで、日本の将来に貢献することは間違いないといわれていた。
だが、16歳のあるときを境に、部屋にこもりがちになり、太郎以外の人間とは関わろうとしなくなってしまった。
外に出なくなってしまったので、さわやかだった見た目は、太って不衛生になってしまい、明るかった性格も暗くなった。
「兄貴。兄貴ももう22歳になってるけど、まだ無理か?」
「心配かけて悪いが、俺には外の世界は厳しい」
「もう父さんも割り切れるとは思うんだが」
「俺のワガママなことは分かっている。だが、どうしても……、無理なんだ」
俊介が引きこもりになった理由。それは既に三波家が失ってしまった、母親の明菜の存在が大きく影響している。
俊介は小さい頃からかなり母が大好きで、彼の頑張りも、母を喜ばせたいがためでもあった。
明菜はおっとりした母親で、俊介にも太郎にも、決して過度な期待はかけず、暖かく見守っていたが、常に懐いていて、自分を喜ばせようと頑張っている俊介に、とても優しくしていた。
もちろん誤解のないようにしておくが、太郎のことも同じように愛していて、それを太郎が疑ったことは無い。母親からの感情は平等だが、子供から向かう感情が、俊介が強いのでそう見えるだけで、太郎が頑張っていたら褒めていたし、太郎が困っていれば、太郎が物言わなくても、声をかけていたりはしていた。
俊介は中学生、高校生になっても、母親と2人で出かけるようなことも普通にあった。とても仲のいい親子として、評判で、周りもマザコンを冷やかすこともなかった。事実、そういうものではなく、とても自然な関係であったのだ。
だが、その日常はある日突然崩れる。
いつものように、週末に明菜と俊介が週末に2人で出かけ、悠斗は仕事、太郎は特に目的のない散歩をしていた。
そして、悠斗と太郎は信じられない電話を受けることになる。
明菜と俊介が交通事故に会い、明菜が重症であるというものであった。
悠斗はこの時点で、仕事をひと段落終わらせて家に戻っていたためすぐに病院に迎えたが、太郎は軽く散歩をするだけだったので、電話を持ち歩いておらず、30分ほど気づくのが遅れることになる。
そしてこの30分は決定的であった。太郎は母の死に目に会うことはできなかった。
太郎が病院に到着したときには、既に明菜は亡くなっていて、泣き崩れる俊介と、静かに涙を流す悠斗がいた。
悠斗から母親の死を聞き、太郎も泣きそうになったが、それ以上に印象的な出来事があった。
悠斗が一瞬だけ俊介のほうを見て、攻めるような目を向けていたのだ。
それは本当に一瞬のことだった。だが、太郎が気づくほど明らかにそうである表情でもあった。
太郎が横目で俊介を見ると、俊介は運の悪いことに悠斗の方を見ていて、おびえたような表情をしていた。
太郎はそれを察し、涙する間もなく、泣き止まない俊介を慰め続けた。
悠斗も異変に気づいたのか、俊介を慰めようとしたが、俊介は父親への恐怖と自責の念で、この日からまともに悠斗と話さなくなる。
悠斗と明菜は、恋愛結婚であり、大きな子供が2人いても仲の良い夫婦であった。
それを俊介も理解していただけに、申し訳なさが立ったのだろう。
目撃証言によれば、明菜は俊介をかばい、そのために重症を負ってしまい亡くなることとなった。
そのショックで、俊介は引きこもりになってしまうこととなり、悠斗は仕事にのめりこむようになる。
太郎はよくも悪くもたくましく、今までどおりの学生生活を送っており、悠斗とも俊介ともある程度話していたので、太郎の存在が彼らを家族としてつなげていた。
俊介ほど優秀ではなく、マイペースではあったが、そんな太郎を悠斗は気にかけるようになって、自分の会合やパーティーにつれていくのが、太郎になっていった。
それから6年。いまだ俊介と悠斗の溝は埋まっていない。
「父さんは十分立派だと思うぞ。ほんの一瞬だけだったんだけどな……」
「ああ、心では分かってるんだ。でも、あの日のあの父さんの顔を俺は1日たりとも忘れられない。だから、6年経っても母さんの死が辛くて仕方ない。太郎がいなかったら俺は死んでたかもしれない」
「俺は何もしてない。ただ兄貴が心配だっただけだ。やっぱり兄貴は優秀だったよ。ちゃんと引きこもってはいても、お金を稼ぐようにはなってんだから。俺は兄貴がちゃんと自分のことさえなんとかできてるならそれでいい。外に出ろとも父さんと和解しろとも言わないさ」
「ありがとな。太郎。俺にできることがあるなら何でも言ってくれ」
「兄貴は無理しなくていい。ちょっと今友人が困っててお金のことで悩んではいるけどな」
「金か……。簡単な話じゃないな……」
「ああ大丈夫だ。ちょっと相談に乗ってもらいたかっただけだし、案はまだまだたくさんあるから」
太郎はそう言って部屋を出た。
「太郎……。俊介はどうだ?」
その日の夜、悠斗は太郎に話しかけてきた。
悠斗は頻繁に太郎に俊介の様子をたずねる。自分では確認することができないためだ。
「別にいつもどおりだ。部屋にこもっていること以外は何にも変わってない。だが、部屋から出てくることはないんじゃないかな」
「そうか……」
「それで話は変わるんだが、父さんはお金に余裕はあるのか?」
「急だな? お前は節制してるからお金には困ってないだろう?」
「ちょっとカグヤさんが困ってるみたいでな。できるなら力になってやりたい」
「ほぉ……。お前カグヤさんが好きになったか?」
「いや、そういうことじゃない。俺の相手はもう決まっている。だが、知らない仲じゃないから、手を貸したいんだ」
「俺もそこまで余裕があるとはいえない。父さんの後で大変だからな。だが、喜多家に貸すんなら、返ってくるだろうから、借用書ありならなんとかできなくもない。とはいっても200くらいだろうが」
「分かった」
1千万はやはり大金。簡単ではなかった。
「そっか。カグヤちゃんが……」
次の日、乙姫の家にいって、今回の件を相談した。
「先輩すいません。忙しい時期なのに」
「ううん、お父さんの件で、太郎君はもちろんだけど、カグヤちゃんにも力を貸して貰ったから、何かしたいとは思ってる。でもお金の問題はどうしようもないね……」
お金の問題は、まだ労働をしていない彼らにはやはり難しい問題である。
それは、お金持ちだろうが、そうでなかろうが同じことなのであった。
「やぁ太郎君。いらっしゃい」
そうして乙姫と話していると、亀吉が部屋に入ってきた。
「お父さん。部屋に入るときはノックしてっていったじゃない」
「ああ、悪い悪い。太郎君とイチャイチャしてたら悪いもんな」
「もー。そういうことじゃないよ~」
亀吉は元々おっとりしたおだやかな人で、同じタイプの乙姫とは性格があい、小さい頃のイメージが悪くなかったこともあり、周りの協力もあってすぐに関係を取り戻し始めていた。
「太郎君、何かお困りかい?」
「分かりますか?」
「ああ、君はいつも落ち着いているようだが、今は少し焦っているようだ。悩みがあるなら俺が聞くぞ。俺じゃ何もできないかもしれないが」
「なーに言ってんだ? お前は人の心配より、自分の心配をしろ」
そこに重雄も来て、軽く頭を叩く。
「でもよ父さん、太郎君にはお世話になってるだろ? 何か力になれるならしたいじゃないか?」
「まぁそれに関しては同感だ。太郎君、何か困っているのか?」
「はい実は……」
太郎は事情を重雄に話した。
「なんだ。それなら協力は惜しまない。すぐにでもできる限りのことをしよう」
太郎は厳しいかと思っていたが、重雄からはいい返事を得ることができた。




