乙姫さんの家の事情
「申し訳ありませんが、ここに大型デパートを立てる予定があるんですよ。土地を売ってもらえませんかね?」
太郎が乙姫を送って本屋に行くと、なにやら店の前で揉めていた。
「ああ、おかえり乙姫ちゃんに太郎君。危ないから奥に行ってなさい」
「まぁ今日はこれくらいにしときますけど、あまり大事にならないうちに賛成してくださいね!」
だが、そのタイミングで黒服の男2人は店から去っていった。
「じいちゃん? いったいあれは何だ?」
「最近地上げ屋が来てんだよ。ここら辺の土地を買収にかかっているんだ」
「はぁ、ついにこの辺りもですか」
「おじいちゃん、大丈夫なの?」
「乙姫ちゃんは心配しなくてもいい。ワシとばあさんは、乙姫ちゃんを送り出すまではこの場所を守ると決めておる。なあに、まだまだワシの目の黒いうちはあんなやつらに手出しはさせんよ」
「危険なことはしないでね」
「あいつらも手は出さないさ。直接的なことをしたら、やばいのは相手だ。それよりも乙姫ちゃんに何かないか心配をしている。今日は太郎君がいてくれたからいいが、1人で帰ってくるときは気をつけてな」
「遅くなりそうなら俺がちゃんと送ります、心配しないでください」
「ああ、頼りにしてるよ」
「そういう事情なんで、しばらくできれば乙姫先輩を優先しても大丈夫ですか?」
「ええ、それくらいなら疑われないでしょう。仲のいい先輩を送り迎えするのは変なことじゃないしね。そこまで監視もしてこないでしょう」
次の日に、太郎が乙姫の家の事情を話して、カグヤに協力を申し出た。
「安心しました」
「でも今時いるのね、地上げをするなんて。どう考えても割りに合わないと思うんだけど」
「町内全体から反対されているみたいですし、多分すぐに治まるんじゃないですか?」
その後も地上げ屋が何度も足を運んだが、一切効果が無かった。
「さすがじいさんですね。もうあきらめるんじゃないですか?」
「まだまだ、油断するでないぞ。本当の敵は己にありだ」
連日続いていた地上げの頻度が下がり、あきらめたのではないかという空気が漂って、本屋の近くはまた平和になり始めていた。
「太郎ちゃんもありがとうね。あのカグヤちゃんって子や、裕彦君にもお礼を言っておいてね」
「2人には俺も感謝してますよ」
太郎だけではやはり目の届かないところもあったため、2人も協力をしてくれたのである。もちろん、乙姫の周りを少し気にする程度だったが、監視の目は多いほうが安心できるに決まっている。
「カグヤちゃんは、お嬢様なんだって? 乙姫ちゃん大丈夫か? 太郎君も一応お坊ちゃまだし、取られないように気をつけておけよ」
「もう、何いってるのおじいちゃん」
「はい、失礼します~?」
和やかな空気の中に、低い声が響く。
「またあんたらか。何度きてもここは売らないぞ!」
「いえいえ、今回は俺達の上司を紹介しようと思いましてね。俺達は言っても下っ端ですから、地上げをしたことによって、どう利益があるのかをきちんと説明できないんですよ。そういう相談をしたら、じきじきに幹部が来てくれるとのことだったので、お呼びしました」
ついに本腰をいれてきたのか、いつもより取り巻きの人数も多い。
それに気づき本屋全体に緊張感が走る。
「亀吉さん! お願いします」
そして呼ばれて取り巻きの間を歩いてきたのは、他の黒服より体格も大きく、見た目がいかにもやくざ風な男であった。
「久しぶりですね。お父さん、お母さん」
「亀吉……」
「へ? 知り合いなんですか?」
「……15年前、乙姫ちゃんをここにおいて失踪したワシ達の息子だ」
「じゃあ、乙姫先輩の……、お父さん!?」
「どういうこと? お父さんは私が小さいときに死んだって……」
その状況に誰もが驚きを隠せず、乙姫に至っては、放心状態になっていた。
「ああ、そういうことになってるんですか。それよりもお願いしますよ。息子の頼みですからここを売ってくださいよ」
「黙れ! 私に息子などおらん!」
「そんなこと言わないでくださいよ。家族のよしみで、ここをできる限り高い値段で買い付けます。相場の2倍以上は出しますよ」
「関係ない。ここは私たちの家だ」
「らちがあきませんね~。おや、その娘さんはもしかして……?」
亀吉は乙姫に気づくと、眺めるように見る。
「ふ~ん、あのときの子供か。あいつそっくりに育ってんな」
「お、お父さん?」
「そうだ。俺がお前のお父さんだ。横にいるのは彼氏か? 大人しそうな外見をしてるくせに、色ボケしてるところまであいつに似てるのか。血は争えねぇな」
「やめんか! お前は乙姫ちゃんの親を名乗る資格はない!」
「へいへい、俺もそんなつもりはありませんよ。まぁ今日は俺がここの担当になったご挨拶です。俺が出てきた以上は、どういう形になれども売ることにはなると思います。お父さんの大事なものも理解できましたし、是非いい返事をお待ちしておりますよ」
それだけ言って、亀吉は去っていった。
「……お父さん……」
乙姫はしばらく亀吉の去った後姿を眺めつつ静かに泣いていた。
「乙姫先輩……、大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫だから、ごめんね……」
「おじいさん、部屋まで乙姫さんを連れて行きますね」
「ああ、太郎君お願いするよ」
太郎は部屋まで乙姫を連れて行き、落ち着かせて眠らせてからまた1階の店に戻った。
「乙姫さんはお休みになりました。とりあえず落ち着きました。もともとそんなに取り乱してはないように見ちましたけど」
「あの子は静かに落ち込むからな。こんなにデリケートな時期に亀吉が帰って来るとは……」
「あの人は何なんです? 俺も乙姫さんも既に亡くなっていると聞いたんですけど」
「ああ、その方がいいと思ってあえて伏せていた。あいつは嫁と子供を捨てて、女と逃げたんだ。だから既に息子でもなんでもない」
「浮気ですか……?」
「今でも忘れない……。15年前、乙姫ちゃんと小町ちゃんがここに来たときのことだ。小町ちゃんはやせ細った腕で、乙姫ちゃんを連れて私達の家に来た。そして、すぐに小町ちゃんは病気で亡くなり、私たちが乙姫ちゃんを育ててきたというわけだ」
「その間亀吉さんは?」
「何度か焦った様子で電話が来たが、ずいぶんと鬼気迫る様子で、当時は温厚だったあいつとは思えないほど異常だったから、黙って匿っていた。まさか今になってこんな形で戻ってくるとは……」
「またトラブルになりそうですね。一応乙姫さんの親は亀吉さんなわけですから、誘拐じみた行為も、違法性が低くできる可能性があります。しかも家族ともなれば、立ち退きの件も苦しくなるかもしれないですね」
「とにかく今は乙姫ちゃんを刺激したくない。受験のある大切な時期なんだ。いざとなれば……、考えるさ」
「おじいさん……」
「君は乙姫ちゃんの側にいてあげてくれ。それだけで安心できる」
そのおじいさんの決意に感じるものはありつつも、止めることはできず、再び乙姫の部屋に太郎は戻った。
「お父さん……」
乙姫は部屋でも落ち込んだままで、太郎が居ても話そうとしない。、
太郎はとりあえず何も言わずに横にいた。言葉は必要ない。
ただ寂しいときや辛いときに1人でいるのは辛いし、優しい言葉も慰めの言葉も意味が無い。ただ、そこにいるだけというのが、彼なりの思いやりであった。
「太郎君、聞いてくれる?」
そのまま待っていると、乙姫が口を開く。
「はい、なんですか?」
「私は小さい頃の記憶はあまりないけど、お父さんがとても優しかったのは覚えてるの。お母さんは少し厳しくて、私も怒られたことを覚えてて、そのたびにお父さんが慰めてくれて……、だからお父さんが好きだった……」
「意外ですね。そんな感じには見えなかったですけど」
「うん、だから私が勘違いしてるのかも……。3歳くらいからお父さんの顔は覚えてないし……。でもお父さんとおじいちゃんが揉めてるのは見たくないな……」
そしてまた黙ってしまう。今度は乙姫の側に居る意味は無いと思い、部屋を離れた。
「ああ、太郎君、乙姫ちゃんは大丈夫かい?」
「かなり落ち込んでます」
「可愛そうに……、太郎ちゃんもごめんね」
「いえ、俺は別にいいんですけど。それよりももしよかったら事情を話してもらえませんか? 踏み込みすぎだとは思うんですけど」
「……おじいさん、どうする?」
「いいだろう。乙姫ちゃんのことは太郎君には知っててもらったほうがいい」
そして彼は語る。15年前の出来事を。




