竜、覚醒す・5
「何故」
「…………な、何故と言われましても」
「夕飯を食べそこねるわ」
「重要なのはそこ!?」
「今日は料理長が推薦するチーズを使った料理がメインなの。知ってると思うけど、乳製品は貴重品よ? これを逃す手はないわ」
シクリアで一番偉い人間は、そう言って胸を張った。
あまりにも堂々としすぎていて、ツッコミする気も起きない。王女に振る舞う料理を、本人不在だからとお流れにしてしまう事態はありえないと思うのだが。
「我ヲ殴ッテ止メル、ナドト話シテイタヨウダナ?」
「へっ? えー、あー、それはですね」
「外へ出て暴れるつもりなら、あたしはシクリアの王族として止めなきゃならない。継承式もまだだから女王は名乗れないけど、この国を守る義務があるの」
「ナラバ、しくりあ以外ヲ滅ボシテモ良イノカ」
「交易相手がいなくなったら、この国の経済は破綻するわ。絶対ダメ」
「はるとりーげるハドウスル? カノ国ハ、我ヲ滅ボサントシテイルゾ」
山脈の向こう側にある北の国だ。
皇帝が治めているので、ハルトリーゲル皇国という。年中を通してなかなか気温が上がりきらないので、広大な領土があるにもかかわらず国として裕福といえない。シクリア王国とは別の理由で、他国との交易に力を入れている国だ。
「どうして滅ぼそうとするんですか?」
「黒髪ノ娘、何故ダト思ウ」
少しは自分で考えろ、ということだ。
安易に問いかけた自分を恥じ入りながら、柚子は考えた。
「邪魔、だからかな」
「ホウ?」
「ハルトリーゲルは軍隊が強い国だって聞きました。国内資源が乏しいなら、周辺へ攻め込んでいって奪ってくるしかない。交易で何とかできればいいけど、ハルトリーゲル皇国と仲良くしたい国はあまりないんだって習いました」
ストラルドに。
皇国としての歴史は古く、シクリア王国よりも長いとか。それならば、竜に関する伝承も残っていておかしくはない。大陸の国を次々と滅ぼしていったとあるから、運良く生き残ったことになるだろう。大昔の脅威が未だ残っているなら、快く思うはずがない。
「あたしは別のこと考えた。あの国は大型の兵器開発もかなり進んでいるそうよ。竜を兵器として利用できるなら、どの国にだって負けないわ」
「愚カナ…………、実ニ愚カナ人間ラシイ思考ダ」
竜から発せられる威圧感が増す。
「ヤハリ人間ハ変ワラヌ。何年経ッテモ、己ガ間違イヲ正ソウトセヌ!」
「だから、絶望したんですか?」
「……何?」
「裏切られたのが悲しくて、怒りを抑えきれなくて。本当は大陸中を襲うつもりなんかなかったのに、王様に止められるまで暴れるしかなかったんですか」
「何ガ解カル。一方的ニ呼ビ出シテオイテ、置キ去リニシタ貴様ニ何ガ解カル……ッ」
ああ、やはり。
怒りを露わにする竜に対して抱いたのは恐れではなく、罪悪感だった。
「異世界から来た黒髪の女性が、あなたを召喚したんですね。この国を守ってもらうために」
柚子を指して呼ばれる『拓く者』とは、色々な意味にとれる。
ホルスは塔の守護者らしい。彼は『拓く者』とは、竜を目覚めさせる者だと考えていたのだろう。実際、メダルの導きで竜は目覚めた。王族との関係性はまだ謎の部分も多い。竜の話しぶりからして、伝承に出てくる「王女」はミリエランダに似ていたようだ。
(アークドラゴンは、昔からいたわけじゃない)
シクリアを守るために、異世界の少女が願った。
「置き去りにしたって言ったわよね。呼び出しておいて、放置したってこと?」
「ソウダ」
「もしかして、元の世界に帰っちゃった……とか?」
柚子の祖父の例がある。
二つの世界を繋ぐパイプがあって、何らかの拍子に誰かが通過する。意図的にできるものなのか、本当に偶発的なのか。前者だとしたら、柚子にも光明が見えてくる。
「王女ガ契約者トナリ、我ハ国ノ守護ヲ担ウハズダッタ」
「でも、王女は死んだ」
「殺サレタノダ! 我ハ守ルベキ民ニ、裏切ラレタ」
その後は聞かなくても分かった。
王女殺しの濡れ衣を着せられ、怒り狂った竜を責められない。人間たちの都合に振り回され、塔に封じられ、長い年月を地下で過ごした。その間に、何人の異世界人がこの大陸へやってきたのだろう。何人の黒髪の少女が、理不尽な死を迎えたのだろう。
メダルを扱える人間がいなくなれば、竜は目覚めない。
単純な理屈だが、間違っている。
「あんたって『アークドラゴン』なのよね?」
「最初ノ主ハ、ソウ呼ンデイタ」
「ユーコ」
「な、なに?」
嫌な予感がして、半歩後ずさった。
こちらを見つめる菫色があまりにも真剣で、目を逸らせない。さっきから逃げ出したくて仕方ないのだが、どこにも逃げる場所がないので逃げられないだけだ。アークドラゴンと人間とで結託して、柚子を罠にはめようとしている気さえしてくる。
「あたしが契約するから、あの文句を全て教えてちょうだい」
「ミア?!」
てっきりユーコに契約をしろ、と言い出すのだと思っていた。
召喚主が黒髪の少女であるなら、メダルの持ち主が『拓く者』であるのなら、ユーコにその義務がある。それなのに、ミリエランダが考えていたことは全く違っていた。
竜は口を歪め、嘲るように告げる。
「我ニ、コノ国ノ守護ヲサセルツモリカ」
「かつて自分を封印した一族の末裔に従うのは不満だろうけど、あんたをこのまま放っておくわけにもいかないの。もちろん、得た力は有効に活用させてもらうわ」
「…………」
「ミア、本気で言っているの?」
「当たり前。国境沿いのいざこざなんて、前哨戦のようなものよ。遠くない未来、シクリアは戦火に巻き込まれるわ。いくら精鋭揃いの騎士団でも、所詮は小国。長期戦なんてできるわけないし、そもそも流通を止めればすぐに終わる」
国が滅びる。
戦のない世界に生きてきたユーコにとって、あまりにも現実味がなさすぎた。歴史で学んだり、テレビで見たことを思い出しても分からない。たくさんの人が死ぬだろうということと、すごく恐ろしくて悲惨なことだろうというのがぼんやり想像できるだけだ。
「あたしは最後の王族。この国を守る義務がある」
「良カロウ、王女。我ト契約スルガイイ」
抑揚のない竜の声が寒々しく響く。
ミリエランダが怖いくらいに真っ直ぐ見つめてきた。だが、ユーコは動けなかった。契約の言葉はおそらくこれだろう、というのが頭の中にある。教えたら、間違いなく竜と契約する。大陸最強と呼ばれる力を恐れることなく、シクリア王国のために使うのだろう。それが今、最も正しいことなのだと――。
ごくりと唾を飲み込んだ。
「我は拓く者」
「ユーコ! あんた、まさか……っ」
「我ハ導ク者」
竜が笑ったように見えた。
少なくとも『これ』が、とてつもなく想像を絶する存在だというのは分かる。王国を守る為とはいえ、竜の力は強大だ。大陸の国々を焼き滅ぼしたのが本当にアークドラゴンの仕業なら、今度はミリエランダがそれを引き起こす可能性を持つことになる。
「わたし、ミアに酷いことをしてほしくない。……契約に従い、ここに証を示さん」
「契約ヲ認メ、ココニ証ヲ示サン」
「え!?」
言い終わると同時に、アークドラゴンの長い鼻面が急接近した。喰われると思ったが、胸に軽くぶつかってきただけだった。あちらは相当加減したと思われるが、柚子は完全に油断している。
ふらふらと後退する体に、異変が起きた。
「あ、熱っ」
胸の焼印が熱を持ち始めたのだ。赤い光がぶわっと溢れ、今度は直に収まった。と同時に熱も感じられなくなったのだが、目の前にいたはずのアークドラゴンが消えている。
「ど、どこ?!」
「あたしには、あんたの胸へ吸い込まれてったように見えたけど」
「うそっ」
「嘘デハナイ」
「ぎゃー! あたしの口から何か出てるーっ」
「喧シイゾ、ますたー」
「勝手に人の口で喋らないでください!」
「いいじゃない。面白いから、あたしは気にしない」
「わたしが気にするんですっ」
「気ニスルナ、ますたー」
くつくつと笑う声すらも自分のものではないようで、頭がおかしくなる。
いっそ座り込んでしまいたかったが、ミリエランダの強い視線がそうさせてくれない。彼女が契約しようとしていたのに、横から奪い取ったようなものだ。何も言わない辺りが、怒りの程を表しているようで怖い。
しばらく目を泳がせてから、とりあえず言ってみた。
「ご、ごめん」
「なんで謝るの」
「え、えっと、ミアが契約しようとしていたのに」
「アークドラゴン」
「ナンダ」
ぱくぱくと勝手に口が動く。当分慣れそうにない。
「居心地はどう?」
「ナカナカ悪クナイ。ソレニ、懐カシイ」
「懐かしい?」
「その召喚主って、ユーコと同じ世界から来たのかもよ」
「でも、王族の誰かと結婚したとかは」
王女を新しい契約主にしようとしたのだから、王族と無関係ではなかったはず。
柚子はそう考えたが、あっさり否定された。
「ありえないわね」
「そ、そっかあ」
「普通ノ人間ガ我ヲ受ケ入レレバ、器ソノモノガ壊レル」
「うそ!?」
さすがにミリエランダの顔も強張る。
よくよく考えれば、見上げても頭が分からなかったくらいの巨体が入ったのだ。魔力がどうのという以前の問題である。とはいっても、さっきまで存在していたのが肉体といえるのかどうかは分からない。今は人間の姿を留めている手足が、突然別の何かに変化してしまうと思いたくなかった。
「じゃ、じゃあ、ミアと契約しても駄目だったかもしれないんですか?」
「ヤッテミナケレバ分カラヌ」
「そんな!」
「暴走王女をナメないでよね? それくらい、抑え込んでみせるつもりだったわ」
「でもミア、どうやって国を守るつもりだったの」
「言えば、契約を譲ってくれるのかしら」
答えられなかった。
衝動的に契約の言葉を舌に乗せた。ミリエランダのような覚悟など、持っているはずもない。たまたま器が無事だっただけで、力の使い方も全く知らないのだ。
「ソウイエバ、ますたー。悠長ニシテイル暇ハナイゾ」
「えっ、どういう意味ですか?」
「黒キ我ガ目覚メヨウトシテイル。アレガ解キ放タレレバ、全テ滅ボスマデ止マラヌ」
いつか、何も知らない方が良かったと後悔する日が来るかもしれない。
祖父の手紙から始まった物語は、とんでもない所へ流れ着いてしまった。巻き込むだけ巻き込んで、振り回すだけ振り回して、目が回って身も心もフラフラだ。
「もしかして、もう一つの塔に?」
「崩れちゃってるけどね」
「我ハ二ツに分ケラレ、地下ニ封ジラレタ。ソノ封印ハ魔術師カ、契約主ニシカ解ケヌ」
さーっと血の気が引いた。
柚子が東の塔へ行ったことで、封印が緩んだのだろう。ホルスはそれを知っていたために、脅しをかけてきた。いや、本当に殺す気だったに違いない。これまで、この世界に迷い込んできた何人もの少女たちと同じように。
(ど、どうしよう)
へなへなとその場に座り込んだ。
同じ声帯を使っているとは思えない低音が、柚子の台詞に続いて飛び出すのだ。すっかり楽しんでいるミリエランダの神経を疑いたくなる。
いじけて、のの字でも書こうかと思った指に何か当たる。
「あれ? これって、サークレット」
「どれどれ…………年代物っぽいけど、精巧な作りね。かなり腕の良い職人が手掛けたんじゃないかしら」
「そうなんだ」
「呆ケテイル暇ガアッタラ、ソレヲ付ケロ。ますたー」
「………………」
「似合うわよ?」
褒め言葉は嬉しいのだが、喜ぶ気になれない。
ぶすりとむくれ顔の柚子は何故か、ミリエランダの手を掴んだ。きょとんとする間もなく、景色が移り変わる。束の間の浮遊感と引っ張られる感覚が重なって、すぐに終わった。
地上へ戻ってきたのだ。
「ミア! いきなり消えちまうから、何事かと思ったじゃねえか」
「ユーコも戻ってきましたか。思ったよりも早かったですね」
二人で顔を見合わせる。
「早かった?」
「ええ。二人が光と共に消えてしまってから、そう時間は経っていませんよ。なので、捜索隊もまだです」
「エンゲルハイトさんがいないみたいですけど……」
「あいつは下」
「ユーコ様ああぁっ」
クラインが地下を示して、エコーのかかった声が応える。
相当深いところまで行っているようだ。ガレキだらけで危ないと話していた気もするが、その辺は問題なかったのだろうか。
とりあえず塔から離れようと、柚子とミリエランダは手を繋いだまま歩く。
「ユーコ? その髪飾りはどこで見つけてきたのですか」
「あ、これは」
ミリエランダの目配せに、とりあえず黙っておく。
(ソレガ賢明ダ。チナミニ地下ヘハ、イツデモ戻レルゾ)
頭の中に響いたのはまさしくアークドラゴンのアレで、悲鳴を上げかけた口はすかさずミリエランダが封じてしまう。クラインとストラルドの怪訝そうな視線は、にっこりと効果音の聞こえる笑顔で返した。
何も聞くな、ということである。
(コノさーくれっとヲ付ケテイル限リ、我ノ声ハますたーニシカ聞コエナイ。二重ぼいすカラ妥協シテヤッタノダ。アリガタク思エ、ますたー)
マスターと呼ぶからには、主従関係は歴然としている。
それなのに偉そうな態度を崩さないのは、間違いなく竜ゆえに。なんとなくミリエランダには今の声も聞こえていそうな気もするのだが、ここで問わないのが吉だ。




