竜、覚醒す・4
結局、西の塔へ辿り着いたのは日が傾き始めてからだった。
(ちょっと見て帰るだけだから、そんなに時間もかからないよね)
軽い気持ちで足を踏み入れたことをすぐに後悔することになるのだが、この時の柚子は気付いていなかった。竜の目覚めはとっくに、秒読み段階へ入っていたのだ。
「うわっ、ガレキだらけッスね。ユーコ様、おれが先導します」
「エンゲルハイトさん、気を付けてくださいね」
「ッス!」
顔に「うわあ、心配されちゃったよ」と書いてあるのは見なかったことにする。
同僚の騎士であり、友人でもあるユリウスによると、彼は「感動屋」さんだそうだ。どんな風に美化されてしまっているのかは知りたくない。こうして同行してもらっているのは彼の熱意に負けたからではなく、また近衛騎士がいるかもしれないからだ。
予想に反して、そこに黒ずくめの騎士はいなかった。
「あれ?」
「意外ですね。メダルを持っていないとはいえ、あらかじめ宣言されたからには待ち伏せていてもおかしくないと思っていました」
「ですよね」
一面を埋め尽くすガレキの量は、西の塔がかなりの高さであったことを物語っていた。しかし東の塔と違い、円筒状の塔部分だけがぽっかりと空いている。
先に塔の跡地へ着いたエンゲルハイトが、首を伸ばして覗き込んだ。
「あっ、地下へ続く階段があるッス。中は……、ちょっと暗いな」
「地下ですから当然でしょう。あいにく、今回は様子を見るだけのつもりだったので、灯りになるようなものは持ってきていませんが」
どうしますかと振られ、柚子は迷う。
「これだけガレキが散らばっているんですから、地下への通路もガレキだらけってことですよね。扉があったとしても、崩れたもので埋まっちゃっているかもしれません」
「力仕事なら任せてくださいっ」
「いえ、そこまでしてもらうのは――」
言葉が続けられなかった。
最初に襲ってきたのは、眩暈。それから動悸。まるで病気の初期症状だと、他人事のように思う。どくん、どくんと脈動が頭の中で響いた。
ドクン、ドクン……ッ
違う、これは共鳴だ。
「あ、う」
思わず胸を抑えた。
体勢を崩した柚子を、傍にいたストラルドが支えようとする。エンゲルハイトが何か言っているが、よく聞こえない。鼓動が大きすぎて、それ以外の音が遠くへいってしまったかのようだ。
(なんで? メダルは持っていないのに)
全身から汗が拭き出す。
しかしそれも幻なのか、本当なのかも判別つかない。それに胸が熱い。心臓の辺りだろうかと何となく探って、愕然とした。服越しでよく分からないが、肌に何かがある。
「ゆ、ユーコ様!?」
「何をしているのですか」
襟を思いっきり広げて、中を覗き込む。男たちの声はもちろん聞こえていない。
「半月の、痕? いつの間に、こんなものが」
刺青というよりは焼印だ。
二重の円の間に文字がぎっしりと並んでいた。途中で一部が切れているので、本来は丸かったのだろう。しばらく見つめていると、それが見覚えのある形に思えてきた。
半月の欠けた部分、真円での中央が赤く光る。
「や……っ」
この体はどうなってしまったのだろう。これから、どうなってしまうのだろう。
光はどんどん強くなり、また柚子の意識を飲み込もうとする。ほとんど反射的に、抵抗した。このまま気を失って、またベッドの上で目を醒ますのか。知らないうちに事態は急展開を見せ、望みもしないのに嵐の中へ放り込まれる。
そんなのはたくさんだ。
「わた、しは」
胸を抑えたまま、残りの手を真っ直ぐ伸ばす。
何かを掴もうとしたわけでなく、何か掴めると思ったわけでもない。それでも濁流に放り込まれた人間が本能的に、手近なものへしがみつこうとする心理に似ていた。歯を食いしばり、更に腕を伸ばそうとした直後、確かな感触に目を見開く。
「ユーコ!」
「ミア?!」
いつの間に、どうしてここへ。
問いかけは言葉にならず、引き合うように両手を絡ませた。塔の裏側から来た彼女が、扉側にいた柚子と手を繋ぐことができた不自然さに気付く間もなく、二人の胸から赤い光が溢れだした。血の色よりも鮮烈で、炎よりも艶やかに、まさしく光と呼ぶにふさわしい。
風ではない何かが、下から吹き上げてくる。
柚子とミリエランダは向かい合って、塔の上に浮かんでいた。光の奔流は、エンゲルハイトが見つけた地下通路の先から出ているようだ。見上げれば、真っ直ぐに光の柱が空を貫いているのが分かる。
東の塔と違うのは光の中に、二人の少女がいることだった。
「竜が目を醒ますわ」
「いいの? また大陸を襲うかもしれない」
「よくないに決まってるでしょ。悪さをするつもりなら、ぶん殴ってでも止めるのよ」
「ドラゴンは殴ったくらいじゃ、止まらないと思うなあ」
「あら、やってみなきゃ分からないわ」
同じ顔が笑う。
どちらともなく握り合った手を強めれば、いきなり周囲が切り替わった。屋外から屋内へ、地上から地下へ、天と地が石造りの壁に囲まれた空間に立っている。灯りらしいものはないのに、途方もない奥行と高さなのはすぐに分かった。
「ユーコ、前見て」
「え? …………う、わぁ……」
RPGをバーチャル体験しているような気分だ。
石にびっしりと苔が生えているので、全体的に緑色っぽい世界に見える。地下神殿と呼ぶには何もなさすぎたが、どこからか吊り下がっている蔦が装飾っぽい。そうしてミリエランダの示す方向を見れば、見上げんばかりの巨躯が鎮座していた。
わざわざ確かめるまでもない。
「これが、アークドラゴン……?」
「でっかいわねえ。翼があるみたいだけど、飛べるのかしら」
「飛べるんじゃないかな」
柚子だって、実際に竜を見るのは初めてだ。
数十メートル――いや、もっとあるかもしれない。王城の三階にあるベランダに立てば、この竜と視線を合わせられそうだ。今いる場所からだと、巨木よりも太い足と胴体くらいしか見えない。照明器具が見当たらない空間で、これだけの視野が確保できているだけでも十分すぎる。
頭は薄暗がりに霞んで、どんな形をしているのか窺い知れない。
「あっ、そういえば」
「何?」
「ストラルドさんたちを置いてきちゃいましたね」
「敬語が戻ってるし……。クラインも近くにいたはずだけど、ここへ来る方法が分からないから。ま、どうしようもないんじゃない?」
気楽すぎるミリエランダに何か言おうとした時、地響きが聞こえた。
――契約に導かれ、再び我の下へ来たるか
頭に直接届けられた声は、いつか聞いたような気もする。
感情の一切を取り払い、無機質にも感じられるのに重くて威圧感がある。竜が世界最強の生き物だといわれるのも分かる気がした。こんなものに、人間が勝てるはずもない。あらゆる存在を超越した生き物だ。
神ではないが、神に限りなく近い。
「ちょっと、あんた」
「み、ミア!?」
「まともに喋らんないの? そんな見てくれでも、一応は生き物なんでしょ」
「ミアってば!」
柚子は真っ青になって、掴んだ肩をガクガク揺さぶる。
どんな腕の立つ剣士でも、竜の爪で一撃死だ。尻尾は奥にあってよく見えないが、一振りでぺしゃんこにできるくらいの威力はあるに違いない。何よりも竜の全身から溢れてくるオーラのようなものが、絶対に逆らえない気持ちにさせるのだ。
それなのにミリエランダはいつもと変わらない。
「実はハリボテです、とか言わないわよね? ちょっと動いてみせなさいよ」
「ミア!」
ほとんど悲鳴だ。
――クク……、面白い娘だ。300年余り経っても、そなたは変わらぬ
思わず竜を凝視し、それからミリエランダを見た。
「知り合い?」
「んなわけあるか! 初対面よ、そんな気はしないけど」
「しないんだ……」
肩透かしを食らったような気分を味わっていると、竜の鎮座しているところがパラパラと破片を落としている。おそるおそる上を見上げれば、かなり近い所に巨大なトカゲの顔が来ていた。悲鳴は飛び出す寸前で、ミリエランダに蓋をされる。
「ふがっ」
「コレデヨイカ、しくりあノ王女」
「ふん、まあまあの顔ね。悪くないわ」
「ソナタハ見テクレモ、中身モ全ク変ワラヌ。異ナルノハ、黒髪ノ娘クライカ。セッカク忠告シテヤッタトイウノニ、一ツモ覚エテオラヌヨウダ」
「ち、忠告、ですか?」
軽く頷いてみせた竜は、直後に鼻息を吹いた。
生温くて、生臭い風をまともに受けた二人は揃って顔をしかめる。どちらかというと「カビ臭い」が近い。鼻が曲がるほど酷くないが、二発目は直撃したくない。
「ちょっと、いきなり何すんの」
「我ガ笑エバ、ソナタタチハ容易ク吹き飛ブゾ?」
「ユーコ、竜に笑われたらしいわよ」
「解説しなくていいです」
どこまでも緊張感のない会話だ。
脱力ついでに、ようやっと現実味がわいてきた。メダルがないのに塔が反応したのは、柚子が『拓く者』であった可能性が高い。ミリエランダはこの国の王女だから、互いに共鳴したのだろう。
アークドラゴンが理性的なのは、不幸中の幸いだった。
「ここって、塔の地下ですか?」
「ソナタタチノ言葉デ表スナラ、西ノ塔ニナル」
「転移してきちゃったんだ。……すごい」
「感動してる場合? あんまり長居してると、居残り組が何を始めるか分からないわよ」
「ああっ、そうでした! あの、すみません。アークドラゴンさん、わたしたちを地上へ戻してもらえませんか?」
至極真っ当なお願いをしたつもりなのに、竜は目を細めただけだった。




