竜、覚醒す・2
この部屋に窓はない。
唯一の扉は、最後の一名が入った後で閉じた。蝋燭の明かりは三つ、長さが不揃いで、火の揺れ方もばらばらだ。しばらく眺めていると、誰かが口を開いた。
「で、どーすんのさ」
「ジャンは死んだ。いらぬ口を挟む者はいない」
「よくもまあ、ひどいことをするよねー。おっかないの」
「王女の意向に背くことにはならぬか?」
「どの道、背く。あれは、不要」
「あー、あの黒いのね。命まで取る必要ないんじゃないのぉ? あんな可愛い顔してるのに、もったいないわ」
「口を慎め」
「あら、子猫ちゃんは隊長びいきだものね」
「貴様……っ」
数人で始めた会話が不穏な雲行きになり、ざわりと空気が揺れた。
「当分は、様子を見る」
「隊長が言うなら、ボクは構わないよー。あ、ちょっと遊んでみても?」
「止めんか、無駄に騒ぎになったらなんとする」
「いいんじゃねぇか? 話によれば、すぐに傷が癒えるんだろが」
「あらやだ、なにそれ面白い!」
「変態」
「うっさいわね、クソガキ」
「止めよと言うておろうに。ホルス様の御前ぞ」
しゃがれた声が場を静め、それぞれが沈黙する。
蝋燭がジジッと音を立てた。どこからか入ってきた虫が火に飛び込んでしまったらしい。消えかけたり、大きく膨らんだりして、そのうちにポトリと落ちる。三本の蝋燭は何事もなかったかのように、ゆらゆらと影を作る。
「手は、出すな。死にたくなければ、な」
突風が蝋燭の火を全て吹き消した。
同時に、人の声も聞こえなくなる。部屋に残されたのは燃え残った蝋燭だけだった。
****
机を挟んで、二人の少女が向かい合っている。
ほぼ同年代のはずだが、ミリエランダは呆れ顔で頬杖をついていた。対するユーコは申し訳なさいっぱいで、しょんぼり項垂れている。
「今後のことも考えて、護身術くらい習わせた方がいいかなあとは思ってたんだけど。それほどの腕前だと、逆に止めておいた方がいいかもねえ」
「うぅ、ごめんなさい」
事の次第はこうだ。
マレーネが朝食の準備が出来たと知らせに行った時、護衛をしているはずの神聖騎士がそわそわと落ち着かなさげにしていた。理由を聞けば、何やら部屋の中で物音がするという。心配になった彼が声をかけたのだが、ユーコは「大丈夫」の一点張りだった。
侍女としての務めを果たすため、マレーネが部屋に入ってみてびっくり。
「寝室で、刃物を振り回す馬鹿がいるか。この馬鹿」
「返す言葉もないです……」
「一歩間違えば、自分が大怪我をしていたかもしれねえんだぞ。自覚しろ」
「はい」
ユーコは傷の治りが異常に早い。
それを踏まえた上での素振りにしても、軽率すぎた。護衛をしていたエンゲルハイトが聞いたのは、鏡台に刺さったナイフを引き抜こうとしていた音らしい。これがまた深々と刺さっていて、騎士の力でも難儀したそうだ。
そんな威力で体を傷つけたなら、腕の一本くらいなくなってもおかしくない。
「また生えてくるんなら、別だが」
「わたしは蛇か何かですか!」
「落ち着いてください、ユーコ。それにクラインも、慣れない説教はそのくらいにしてはどうですか。王女が即位前に笑い死にしそうですから」
「勝手に殺さないでよ。腹筋は少し鍛えられた気がするけど」
「お、まえらなあっ」
今日も今日とて、ストラルドが執務室にいる。
議員の半数が粛清対象になったため、議会がまともに機能しなくなったのだ。新しい議員は近いうちに選出されるが、それまでの仕事はブレッソン大臣やストラルドたちが担当することになった。執政官や書記官もかなり数が減り、執務室はひっきりなしに人がやってくる。
「殿下、新しい書類です!」
どさりと置かれた追加分は、二の腕くらいの量がある。
「そこに置いといて。ついでに、右側に積んであるやつを議会室へ。分類は済んでるけど、一応は将軍に目を通してもらってね」
「御意」
「ああ、すみません。ウィンベルトを呼んでいただけますか。どうにも手が足りなくて」
「彼はマルセル様の所にいらっしゃるようですが……」
「なるほど。それでしたら、呼ぶ必要はありませんね。引き留めてしまいましたが、もう行っていいですよ」
「はいっ、失礼しました。ケストナー執政官」
若い文官は持ってきた量よりも多い書類を抱え、慌ただしく出て行った。
とりあえず見送ってから、クラインは気になったことを訊ねる。
「執政官?」
「昨日、でしたか。筆頭書記官から、執政官に任命されました。他の人事も、順次行われているはずですよ」
「お前が執政官、ねえ」
「何をしみじみ言っているのですか。私は執政官程度で満足するつもりはありません。……クラインも、そうでしょう?」
「ああ、まあな」
それは幼い頃の誓い。
「懐かしわねえ。っていうか二人とも、覚えてたんだ? あんな昔のこと」
「悪かったな、覚えてて」
「拗ねなくていいのに。あ、照れてるの?」
「照れてねえし、拗ねてもいねえ!」
楽しげにからかってくるミリエランダに言い返し、いらんことを言うなと目線でストラルドに訴える。当の本人は素知らぬ顔で、山と積まれた書類を片づけている最中だ。
そしてユーコはといえば、所在なさげにボロい紙をいじっていた。
古代の言語で書かれた、いわゆる古文書らしい。竜に関する伝承は数百年以上経っているせいもあり、ほとんど文献が残っていない。お伽話はあくまでもお伽話として、肝心の部分は隠されてしまっている。
ならばシクリアに存在していた魔術師の末裔はどうかと探せば、一様に口を閉ざして寄る辺もない。
プライムによると、禁忌の一つに含まれるらしい。
そんなことは知ったことか。今、こうしている間にも竜は胎動を繰り返しているかもしれない。ユーコの持つメダルが『鍵』だというが、竜を封じたといわれる塔は崩れ去った。何がきっかけで、どんなことが起きるかは全くの未知数だ。
アークドラゴンという名前以外、何も分かっていない。
「な、なに?」
知らず、ユーコを見ていたらしい。
動揺のあまりに敬語が取れている。そわそわと落ち着きなさげに身じろきをして、耳にかけていた黒髪が前に落ちてきた。
明るい所で見たことはなかったが、黒い瞳もなかなか悪くない。
「なんか分かったか」
「ううん……、そもそも読める文字がほとんどないんです。おじいちゃんの手紙に書かれた文字と照らし合わせて、少しずつ手探りでちょっと分かるかなってくらいで」
彼女の「おじいちゃん」はアレクセルの弟だ。
未だに信じられないことだが、そういうことらしい。公爵家の人間に執務室まで来てもらい、ユーコといくつかの話をしたそうだ。それで確信が得られたというから、クラインが疑うようなことではない。
あの国王にして、この弟ありというべきか。
国の秘宝にも等しいメダルを持ち出して、異世界に渡ってしまったという。魔術師の家系は、シクリア貴族だけではない。婚姻を繰り返すことで、王族にもその血は混ざっている。というわけで、アレクセルもそれなりの魔術を扱えたらしい。
今の今まで知らなかったのだから、何を見てきたのだろうと思いたくなる。
「……飽きてきた」
ぼそりとミリエランダが呟き、その場がぎくりと凍りつく。
「街へ行きたい」
「ミア、もうちょっと頑張って。署名とハンコ押しくらいなら手伝えますし」
「あんたは古文書読んでなさい! それも大事な仕事」
「う…………、はい」
「王女、もう少ししたら休憩にしましょう。カーラが王女の好きな紅茶を用意したそうですよ」
「お菓子も食べたい」
「太るぞ」
クラインの一言は大いに余計だった。
ぎろりと音がしそうなほどに眼光鋭く、睨み殺せそうな視線が突き刺さる。しまった、と思った時には既に遅し。名工が拵えたという高級机から、白い紙束が宙を舞った。
「ちょ、…………ミア!?」
「やってられるかあーっ」
「おい、ミア! ここ、三階…………って聞こえてねえな。くそったれ!!」
ガラスのない窓など、最初から解放されているも同然だ。
ひらりと身を躍らせたミリエランダは、とっさに掴んだ布を命綱に急速滑降をした。びりびりと情けない音を立てた天幕の端が釘に引っかかる頃、今度は壁を蹴っている。大きく広がったドレスの裾が着地の衝撃を和らげたか。
続いてクラインが空を飛んだが、視界の下では軽やかに走っていく王女の背。
「待てや、脱走王女!」
「いーやー!!」
運悪く居合わせた庭師が腰を抜かし、ミリエランダはその上を飛び越えていく。
人間離れした身体能力の高さだ。王族がそうなのか、彼女がそうなのか。今は本当にどうでもいい。何の用意もなく着地したおかげで、足が少し痺れた。
「この……っ」
つまり、クラインが執務室に詰めているのはこのためである。
あらゆる一般認識を無視し、時には超越するミリエランダを捕らえるための最終手段。クラインは久方ぶりに、本気を出すことにした。




