竜、覚醒す・1
鏡の前で、ため息一つ。
今までは変装用にミリエランダが化粧をしてくれたり、身代わりのために必要な準備をカーラとマレーネがこなしてくれていた。だが、今は柚子しかいない。ミリエランダは執務で忙殺されているし、侍女の二人はその世話をしなければならないのだ。
黒髪黒目に偏見、あるいは差別思想のあるシクリアでは、柚子の外見を気にしない人間は希少だった。かといって男であるストラルドたちに頼むわけにもいかない。
「お化粧は、簡単でいいよね……」
これでも年頃の娘だ。
ミリエランダほど上手ではないが、やり方くらいは知っている。元の世界にあったメイクセットと勝手が違いすぎるので、ちょっと苦手にしているだけだ。
派手にならない程度に顔を整え、最後にカツラを被る。
ヘアバンドやゴムがないので、いつの間にか伸びた地毛はまとめるのが大変だ。きちんと入れておかなければ、栗色がカツラだとバレてしまう。そうなると、どこにもいけない。やっと王都の治安も落ち着いてきた、と聞いたばかりなのに。
「お出かけ、したいなあ」
なんだかんだで、一度も城の外に出られなかった。
カツラを被るのは王城で、自由に歩き回りたいからだ。化粧は「侍女ミリィ」の時に施しているものを参考にした。やや地味な色を選んだので、ユーコだと気付かないと思う。
「はぁ……」
二度目のため息を吐いた時だった。
ガツッ
肩を落として、頭を下げた拍子に頭上を何かが通過したのだ。正確には「通り過ぎ」たわけではない。まだ感覚が残っている。怖くて頭を上げられないが、あまり楽しいものでないのは間違いない。自信を持って言える。
ぱちぱち、と場違いな拍手が聞こえた。
「運がいいねェ、流石サスガ」
「だ、誰ですか!?」
「お初にお目にかかります、だネ。竜公女サマ」
「なんですか、それ」
はは、と乾いた笑いが洩れた。
ゆっくりと振り向けば、ひょろりと背の高い男が一人。いや、もう一人は床に伏している。どんどん赤いシミが広がっていって、柚子の体は冷えていく。
「こ、ろした……の?」
「キミを狙ってたんだヨ」
「ど、して」
「ミーがキミを助けたコト? ソレとも、キミが狙われたコトかな」
「どっちも」
声が震えそうだった。叫びたかった。
女王に即位する流れで、王が使うべき部屋は全てミリエランダが使うことになった。必然的に空室となる王女の部屋は、柚子が使うようにと言われたのだ。今までも寝る時には王女の寝室を使わせてもらっていたので、むしろありがたかった。
もともと窓が少なく、ガラスも使われていなかったので夜風で冷えることもない。
侍女の仕事も、王女のふりもしなくていいので、今朝はゆっくりだった。肌色を整えるために朝風呂が定番だったことを考えれば、今日は入りそこねたとも言える。
目下、それどころではないからだ。
「ン~、賢明だネ。悪くない判断だヨ」
「な、何が」
「キミが叫んだら、護衛がやってくるヨ。そしたらミーは、全部殺す。邪魔、されたくないネ。そういうの、嫌いだから」
「…………」
「アラ、怒った?」
優しいネ、と男は言った。
「でも大丈夫、安心して。ミーはキミを傷つけないヨ、竜公女。ずっと待ってた。気が遠くなるような時間をずっと、ズット」
「意味が、分かりません」
「仕方ないネ。皆して、キミに意地悪してる。マダマダ、知らないコトはイッパイある」
「…………」
「教えてあげてもイイ。デモ、キミは頷かない。ミーには分かるヨ」
ニヤ、と笑う。
目は布に隠れているのに、ちゃんと柚子へ焦点を合わせているようだ。時折、弄ぶかのように手にした得物をくるくると回す。細長いナイフのようだが、くねくねと曲がっているように見えるのは錯覚だろうか。
剣にしては短く、持ち手も細すぎて分かりづらい。
回しているうちに血糊はすっかり落ちて、妖しいまでの銀光を放っていた。
「キミは、想像通りのヒト。ミーは、気に入ったネ」
「は?」
「今、すごくスゴク考えてる。どうすればイイ、どうすれば……。キミは戦う術を持たないカラ、ミーには勝てない。助けを呼ぶ、ダメ。ミーが殺しちゃう。じゃあ、どうすればイイ。ミーが何者か気になってるネ。デモ、問わない。知りすぎるト、死ぬ。キミはよく分かってるネ」
「…………っ」
「大当たり、流石サスガ」
ぱちぱちと拍手をする。
悔しいが、全部その通りだった。
扉の向こうにいるエンゲルハイトに助けを呼べば、この男に殺されてしまう。問いを投げるのは簡単だが、何でも答えてくれるとは限らない。仮に情報を得たとして、それを誰に話せるというのか。ミリエランダは信じてくれるかもしれないが、他の人たちにはまず疑われる。
「お出かけはイイ。デモ、危ないヨ。キミは殺される」
「邪魔だから?」
「竜公女だからネ」
柚子は頭を振った。
つい問い返しそうになって、止めたのだ。全く嫌な予感しかしない。近衛騎士には数人しか会っていないが、あまり良い感情は持たれていないようだった。そこで死んでいるのも、そういった人間の一人だろう。近衛騎士の服は着ていないが。
シクリア王国と呼ばれる国のことを、柚子はほとんど知らない。
竜のことも、まだ何か進展があったわけではない。
女王の即位、ミリエランダの王位継承式は半年後に迫っている。その間にも次々と王子派の貴族や大臣たちが粛清された。マルセルは、実の母であるレティシアと共にクーベルタン家で謹慎中だそうだ。
そんな時期に、騒ぎは起こしたくなかった。
(とりあえず、メダルには近づかないようにしているし)
色々試してみて、分かったことがある。
柚子が触らなければ、赤い光は出ない。光が出ていても他の人間は触れるが、それ以上のことは何も感じられない。鼓動や熱は柚子だけが感じ取れる。
ミリエランダだけが触った時にへんな顔をしていたが、メダルそのものに変化らしい変化は起きなかった。おそらく王族にしか反応しない仕組みなのだろうと、ストラルドが結論づけている。
そういう意味なら、ミリエランダの方が強い反応を示しても不思議ではない。
この辺りは『拓く者』という呼称が関わってくるのだが、この話について近衛騎士団は口を閉ざしてしまった。ホルスが団員に指示を出しているのは間違いない。
「ヒトツだけ」
「え?」
「ミーはキミに会ってるヨ」
瞬きをした。
とっさに記憶をたぐったが、どこにも引っかからない。
「思い出したら、ご褒美あげるネ。とてもイイモノ」
「い、りません」
「アセビの鍵でも?」
「!」
「そろそろミーは行くヨ。また今度」
バイバイと手を振り、男はいずこへと消え失せた。
柚子はしばらく呆然としていたが、視界に死体が入ってきた途端に顔をそむける。そうして、気付いてしまった。
彼は、この国では使われていない単語を使っていたのだ。




