王家の鍵・5
うーん、とミリエランダが首を捻る。
「分かんないわねえ」
「うん……」
時間だけが経過していく中、柚子も考え事をしながら体が動かせるようになってきた。
カップに紅茶を注ぎ、可愛らしい皿に盛られた菓子をテーブルに置いていく。難しい顔をしたミリエランダがその一つを齧り、紅茶を啜る。ちら、と視線が動いた。
とんとん、と指がテーブルを鳴らす。
「……えっと、それじゃ失礼します」
迷っている間にどんどん視線が険しくなるので、仕方なく椅子に座る。
ベッドで一緒に寝てからというもの、ミリエランダは柚子を傍に置きたがるようになった。何かにつけて呼び出しては、ジェスチャーで「ここにいろ」と指示してくるのだ。脱走率が減ったのは、単純に外での調べ物が片付いたからかもしれないが。
大臣や城の人間に見つかったらと思うと、気が気ではない。
「あれからまた調べてみたんだけど。分かったのは、あの鍵が塔に入るための鍵じゃないってことくらいよ」
休憩中のミリエランダは、手元に書類を置くのを嫌う。
しかし今は古ぼけた紙束が、ティーセットを避けるように散らばっていた。綴じていた紐がもうボロボロで、その役割をはたしていないのだ。持った端から散らばっていき、ミリエランダの顔に青筋が浮いたのを見てしまった。
床に落ちた分も全部拾い集め、柚子も読めないなりに睨めっこをしている。
「あ。ねえ、ミア」
「ん~?」
「なんだか書いてある文字が違うような気がするんですけど」
「ああ、気のせいじゃないわよ。この書はね、古語で書かれているの」
「こご」
「古の言葉」
それは分かる。
柚子は改めて、古語で書かれた紙を見つめた。
手触りがごわごわしているのはパルプから作られた紙でないからか。元の世界でも、古代文明では羊皮紙が使われていたというから、それに近い素材なのだろう。
いつもの柚子なら、読めないと分かった時点で諦めている。
最近は文字の勉強もしているから、こうも気になるのだと思おうとした。何故か、執務中に見る書類の文字よりも、古語の方に馴染みがある。そう、どこかで見たような――。
「我は、拓く者」
どくんっと何かが震えた。
鼓動に近い。だが、柚子の心臓は特に何の変化もない。
「契約に従い」
「ちょっと、ユーコ? あんた…………まさか、これが読めるの?」
「ここに」
――止せ
「…………!?」
「きゃっ」
勢いよく顔を上げた。
直前までどんな体勢だったかも覚えていない。一瞬遅れて、ぶわっと汗が噴き出た。そんな気がしただけで、本当は何もかも錯覚なのかもしれない。
「今の、何?」
「そんなの、あたしが聞きたいわよ。どうしたの、何が起きたの?」
「よく、分かりません」
「説明になってない。はい、やり直し」
そんな無茶な。
柚子は思わず眉尻を下げるが、ミリエランダは許してくれそうにない。額がくっつきそうなほど顔を寄せて、おそろしく真剣な目で見つめてくる。
菫色に、何もかも見透かされてしまいそうだ。
「どうしてあんたに、古語が読めるの?」
「だ、だから読めるわけじゃなくて……」
「読めないのにその文節と同じ言葉が出てきたのは、何故」
「あ、あの…………ミア?」
こんな顔は見たことがない。
戸惑うばかりの柚子に、ミリエランダが何か言おうとした。
「王女! 休憩のところ、申し訳ありません。至急、お耳に入れたいことが」
「構わないわ。報告を」
「はっ」
びしっと敬礼したのは、扉の前にいる護衛騎士の一人だ。
ミリエランダの許可を得て、足早に近寄ってくる。慌てて立ち上がった柚子に慮ったのだろう。何やら耳打ちをしたのだが、ちらっと聞こえてしまった。
(国境を、越えた?)
ガロア王国は、シクリアの北に位置する。
大陸内で最も広大な耕地面積を保持していることで有名だが、近年は西域からの砂漠化が進んでいるという問題もある。農業で発展してきた国だけに、砂漠の拡大は深刻な課題だ。
その国が侵攻してきたというのだろうか。
「神聖騎士団の出動を許可します。すぐに砦の援護に向かわせなさい」
「ははっ」
「編成はプライムに任せるわ。できるだけ穏便に、でも手加減は無用よ」
「御意!」
命令を受けた護衛騎士が、足早に部屋を出て行った。
そのまま騎士団の詰所へ向かのだろう。
団長やクラインの顔が脳裏に浮かんで、何やら心が揺れる。戦になるのだろうかという不安、知り合いの誰かが傷つくかもしれない恐怖、そして彼らならば平気だという妙な安心感。それらが入り混じって、とても複雑だ。
「ホント、あんたって鏡みたいね」
「え?」
「あたしが心のどこかで不安だったり、怖かったりすると…………そういう気持ちが、あんたの顔に表れているみたい」
「そんなこと、ないですよ。顔に出ちゃうのは、わたしが弱いからで」
「大丈夫、今回のはただの小競り合いで済むわ。喪に服している国へ攻め込むのは、道理に反するからね。下手を打てば、周辺諸国から叩かれるのはあっちよ」
それよりと言い置いて、ミリエランダは紅茶を一気に呷った。
「おかわり。うんと熱いのをお願い」
「分かりました。じゃあ、厨房へ行ってこないと……」
「美味しいお菓子も忘れないのよ?」
「はいはい」
小さく笑って、空になった食器をプレートへ移す。
護衛騎士のおかげで助かった。あのまま追求されても答えられなかっただろう。
(ミア、ちょっと怖かったな)
中身をこぼさない歩き方も、この数か月で習得したものだ。量が多い時には台車を使うが、それ以外はプレートでなんとかなる。それに今は、カーラたちがほとんどやってくれるので柚子が実際にやるべきことは少なくなった。
(そうだ、お菓子はどうしよう?)
この世界にはケーキが生まれていないらしく、まだ一度も見たことがない。なんだかんだで街へ下りていくこともなく、大抵のものは厨房からの調達で済ませていた。
無意識に、城の外へ出ては駄目だと戒めていたようだ。
こうして侍女の仕事をするまでの経緯が経緯だけに、仕方ないという気もする。だが、一度思いついてしまうと誘惑を振り払えない。そのうちにミリエランダへ頼んでみようと思いつつ、柚子は階下へと急ぐのだった。
扉が閉まり、室内はしんと静まり返る。
おもむろに皿へ手を伸ばすと、無造作に掴んだ菓子を口へ放り込んだ。ぼりぼりと盛大な音を立てて砕き、もう一度がりぼりとやる。
ストラルドが入ってきたのは、ちょうど三度目の咀嚼中だった。
「やれやれ、威厳の欠片もありませんね」
飲み込んでから、ぷいっと横を向く。
「小言を並べるために来たのなら、さっさと持ち場に戻れば?」
「かねてからの準備が整いましたので、ご報告に。国境のことがなければ、少し派手にしても良かったのですが……」
「トロトロしてたし、仕方ないんじゃなーい?」
「ご機嫌斜めですか」
「斜めね」
「彼女が何か粗相を?」
細い目を更に細めて言うものだから、ミリエランダは眉間のしわをぐぐっと深めた。王女として、額の平穏は常に維持しなければならないと分かっているが。
「相変わらず嫌味な男」
「マルセル殿下にも言われましたよ。姉弟で似るものですね」
「会ったの?」
「ええ、数日前に」
どんな会話をしたのかは言わず、ストラルドがテーブルにばらまいた紙の一つをつまんだ。ふわりと空中で遊ばせてから、気障ったらしい手つきできちんと支える。
わずかに見開かれた緑が、左右を素早く往復した。
「古語ですか。随分と古いものを引っ張り出したのですね」
「大したことは書いてないわよ。ほとんど、お伽話みたいなもんだし」
確かに、と頷く。
「概要は我が国に伝わる童話と変わりませんね、特に目新しいものがあるでもなく。それがこの書に記されている、ということは?」
「…………そういうこと、よ」
「なるほど」
嫌そうなミリエランダに反し、ストラルドはどこか面白がっている節がある。それが古い伝承についてではないと気付き、じっとりと睨んだ。
頬杖をつき、残りの一枚をばりんと砕く。
「猫被りは疲れるでしょう。慣れないことはしない方が御身の為ですよ」
「それじゃ、一発でバレるっつの。あの子が真面目にやってるのに、あたしがそれを台無しにするわけにもいかないじゃない」
「いえ…………彼女には最初に、王女の特徴について説明しておいたはずなのですが」
「へえ?」
ミリエランダの声が低くなり、ストラルドの笑みが深くなった。
「案外、王族としての素質がありそうですね」
誰かさんと違って。
言外に隠された台詞を正確に読み取った「王族」は完璧な笑顔を保ちつつ、手の中の紙を見事に握り潰した。




