王家の鍵・6
月が明るい夜は、星がほとんど見えない。
男が足音を忍ばせ、中庭を横切ったのはそんな夜のことだった。ランプもいらないくらいの明るさだったが、その手にはしっかりと光源が灯されている。
ほどなくして辿り着いたのは、東の塔。
外套を翻し、男はぺたぺたと外壁を撫で回し始めた。顔も近づけて、円筒状に造られた塔をぐるり一周する。王城に比べれば狭いものだが、庶民街の家屋が一つくらいはすっぽり収まる広さはあった。
再び扉の前へ戻ってきた男は、おもむろに背を屈める。
「これだ……」
どこからどう見ても、普通の鍵穴である。
わざわざ塔の周囲を見て回るだけの必要があったのかどうか。男は興奮を押さえ込むようにして、ひどく緩慢な仕草で鍵を取り出した。細くて長い、針金のような鍵である。元々がそういう色なのか、鈍い赤銅色である。
男が鍵穴に差し込むと、手応えがあった。
「ど、どうしたんだ!? 何故、開かないっ」
扉に取っ手らしきものはないので、押して開けるものであろう。しかし、どれだけ男が力を込めようと、体当たりをくらわせようと、木製の扉はびくともしないのだ。老朽化しているという噂を疑いたくなるほどの頑丈さだ。
男は鍵をもう一度差し込んだ。捻る。
「…………くそっ」
ガチャガチャと何度も試した末、ようやっと諦めた。
だらりと下げた手には鍵が握られていたが、力の抜けた指の間から滑り落ちていく。伸び放題になっている草のどこかへ見えなくなってしまった。
「よくもやってくれましたね、王女殿下」
「あぁら、気付いてたの」
わざとらしく驚いた風を装い、ミリエランダが木陰から姿を現した。
隠密気取りか、裾の広がるドレスとは違った騎士の装いだ。凛々しく女性的な作りになっているが、仮にも王家の人間として相応しい姿ではない。
男は目を細め、口の端を上げた。
「貴女の魂は気高く、美しい。この月の光でも、そうそう隠せるものではありませんよ」
「ありがとう、口がお上手なのね」
「真実を述べたまでです」
「あっそう」
雰囲気がガラリと変わった。
東の塔は王城の裏側、どちらかといえば牢獄に近い。つまりは騎士団の詰所からも離れていないわけで、二人分の影が増えたことも驚かなかった。
あの王女が、単独であるはずがないのだ。
「お探しの鍵はこちらにありますよ、ジャン・レノ執政官」
「まあ、あいつから奪った鍵で挑戦しようとしなかっただけマシか?」
「…………鍵穴を見れば、一目瞭然でしょう」
筆頭書記官のストラルドと、神聖騎士団の騎士クライン。
王女の幼馴染にして最も信頼されている側近たち伴なって、王女が現れた。それは彼女が決断を下した、ということに他ならない。
愚かな者たちは単なる「暴走」と思っているが、真実は異なる。
王女は誰よりも、自らが置かれた微妙な立場を心得ている。しかし父王譲りの精神は時に、その立場を権利として行使するように囁きかけるものだ。出生がどうであろうと、シクリア国王アレクセルが在位中に「王女」と認めた存在にして、今は国王代理を務める事実上の最高権力者。
「ミリエランダ王女」
「結局、あんたの目的に気付くまで相当な時間を費やしたわ。でも、これでお終い。潔く観念して、アセビの鍵を渡しなさい」
「私の、目的?」
「そうよ。王の持っていた鍵は代々、国王を継ぐ者にだけ伝えられる鍵だそうね。どこで鍵のことを知ったか知らないけど、塔の中には踏み込ませない」
「鍵を手に入れるためだけに、陛下を弑し奉ったと?」
笑わせる。
だから、あのような下賤の娘に触れるなと言ったのに。一夜のお情けを受けただけで満足せず、あろうことか子供を孕んだことを告げ、国王に近しい者へ預けてしまった。その浅ましい女の血がこの王女の中に流れているのかと思い、嫌悪で身が震える。
「陛下の血が表に出ているうちは目を瞑ろうと、そう思っていたのに」
「は? 何言ってんの」
「陛下は黒装束どもに殺されたのですよ? あの化け物娘が、そう言っていたでしょうに。まあ、あのようなもの証言など、信じるに値しませんが」
「馬鹿じゃない?」
「ば……」
「誰が、国王暗殺の主犯があんただって言ったの」
虚を衝かれた。
そういえば、二人の青年は未だに動こうとしない。王女の台詞が全て終わるのを待っているのか、さっさと男の捕らえてしまえば全て終わる。焦らして喜ぶ者は、どこにもいない。
怪訝そうに見やれば、王女は無表情だった。
「その鍵、どこにあったか覚えている?」
「…………」
「知らないでしょうね、あんたは庶民街なんか立ち寄らないだろうから。国境沿いのいざこざがあっても、王都の警備をおろそかにしたりしない。貴族も、平民も、等しく守る。それが神聖騎士団の誇りよ」
「間違っている……。貴族と同じである、などと」
「偽の鍵を用意して、死刑確定の囚人と入れ替えておくのは簡単だったわ。あんたの雇った人間たちはどうせ、家の人間を二人殺せとしか命令されてない。鍵の特徴も曖昧。そもそも塔の鍵みたいに細長いものは、けっこう珍しいのよね」
「んで、てめえは馬鹿正直にここまでやってきた。扉の前で奮闘してる姿は、なかなか貴重だったぜ」
「悪趣味な……」
「否定はしませんが、貴方に言われたくありませんね。レノ執政官、屋敷に保管してありました『陛下の剣』はこちらで回収させていただきましたよ」
男は薄く笑った。
剣が見つかったのなら、それが木刀だったということも判明しているだろう。国王暗殺が行われた日、同行していたのはレノ執政官だけだ。娘と国王の遺体を回収したのは王立騎士団だが、彼らが到着する前に剣を入れ替えておくのは造作もない。
まさか国王が、鍵を持ち出していたとは知らなかった。
部屋のどこにも見つからなかった時には、目の前が真っ暗になったくらいだ。
王女が『王家の鍵』を受け取っているはずはない。王位継承者はマルセル王子だと定まっているのだから、存在すらも知らされていなかっただろう。となれば、国王が息絶える直前まで傍にいた者が持っていることになる。
天地が引っくり返っても、あってはならないことだ。
「ふ、ふふふ……」
「何がおかしい!?」
「呪いですよ。あれほどに聡明な御方でも、呪いに勝つことはできなかったのです」
「いきなり何を言ってやがる」
「古より続く、竜の怨嗟の声が聞こえませんか。神にも等しい存在…………竜を殺したという大罪を犯しながら、その真実から目を反らし続けてきた。その呪われた一族こそが、シクリア王家であるというのに!」
二人の青年が驚いても、王女は平然としている。
さすがはアレクセルの娘というべきか。
「クライン、この男を捕らえなさい」
「……いいんだな?」
「ええ、必要な『証拠』は全て揃えたわ。さんざん邪魔してくれたけど、クーベルタンもさすがに大人しくするしかないでしょ」
罪深い一族よ、呪われた血よ。
その恐るべき魔力は、こうまで狂わせるか。とっくに気付いていてもよさそうなものなのに、未だに両の眼は開ききっていないようだ。
青年の一人が歩み寄ってくる。
無抵抗の相手を拘束するのは気が進まないらしく、月明かりに照らされた顔はとても不本意そうだ。他の二人のように、事務的に事を済ませればいいものを。
男に触れる直前で、血が奔った。
「ハイ、ここまぁで~ヨ?」
「助けろと言った覚えはありませんよ」
「てめぇ……っ、何者だ!」
「駄目よ、クライン。あんたじゃ歯が立たないっ」
「今のは不意を突かれただけだ。やってみなきゃ分かんねえだろうが!」
「ミーも王女サマの言うコト、聞いといた方がイイと思うナ」
「んだぁ? おかしな喋り方しやがって」
それまで沈黙を守っていたストラルドが静かに告げた。
「…………王女、人が来ます」
「悔しいけど、ここまでね」
「ミーは構わないヨ? 最近、誰も殺してないカラ」
ぎりっと音がしそうなほどに王女が睨み、侵入者は忍び笑った。
この者が来たということは、あちらの用事が済んだわけだ。となれば、男のすべきこともなくなった。鍵は偽物で、扉は開かない。王家の鍵を持っていても、これ以上の進展は望めない。
「行きますよ」
「だってサ? 残念だネ、王女サマ」
「このような所におられたか、ミリエランダ王女。さて、大人しくしていただこう。騎士クライン、ケストナ―書記官もだ」
現れたのは王立騎士団。
わらわらと三人を囲んでいく様を最後に、男はその場を去った。




