王家の鍵・4
ぱしゃん、と水が跳ねた。
湯けむりがすごすぎて、一面が乳白色の世界だ。浴槽だけで、柚子の自室くらいはあるだろう。あの家にあったものは一人用だったが、今使っている風呂は20人くらい余裕で入れそうだ。
「それにしても、不思議な色ですわね」
「え?」
「姫様のお肌は白磁のようですけれど。ミリィ様は…………そうですわね、象牙色が近いかもしれませんわ。それに、とってもすべすべなのに柔らかくて、吸い付きそう」
赤ちゃんみたい、と彼女が言った。
全力で褒められているのは分かるが、あんまり嬉しくない。ミリエランダも含め、シクリア人はヨーロッパ系の白人種だと思う。柚子はアジア系の黄色人種だが、日本人にも色白はある。祖父もどちらかといえば色白だったので、柚子は祖父に似たのだろう。
「あの、様付けは止めてください。そういうのじゃないので」
「いいえ、そういうわけには参りません。姫様の大事な御方ですもの」
替え玉が発覚した後、何故か柚子にも侍女がついた。正確には王女付きの侍女を「ミリィ」以外に一人、常時つけることになったのである。
それがアンネの姉、カーラだった。
妹は緑がかった銀髪だったが、カーラは紫が入っている。小麦色の肌を、雫がつるりと滑っていった。湯浴みの手伝いをするために髪を結い上げているが、ほつれた一部が肩にかかっていて色っぽい。
目が合うと、にっこり微笑んでくれた。
「ご安心ください。しっかり磨き込んでさしあげますから」
「い、いいです。普通で! 普通でお願いします」
「あらまあ」
うふふと艶っぽい笑い声に、同性ながらも胸が高鳴る。
出る所はしっかり出て、腰はきゅっと締まって、太腿から下も無駄な脂肪なんてない。二人ともが湯浴み用薄布をまとっているため、いろんな所がはっきりしてしまう。
ありていに言えば、この世界の女性はスタイルが良すぎた。
「がっかりされることはありませんわよ」
「あ、いや、顔に出ていましたか?」
どこを気にしていたか悟られ、自然に顔が赤くなる。そんな柚子に、カーラは包み込むような柔らかい笑みで頷いた。
「女同士ですもの。それに、大丈夫。今は無理でも、そのうちに大きく育ててくださる殿方が現れると思いますわ」
「そ、育て……っ」
「うふふ」
緊張で固まった隙に、カーラが手早く洗い流してしまう。
「どうぞ、姫様」
外にはもう一人の侍女マレーネが、湯上りの柚子を待ち受けていた。
これから二人がかりで、全身に香油だの何だのを塗り込められるのだ。王女の嗜みとして必要なものだと言われるが、そもそも柚子は「王女」ではない。替え玉にここまですべきなのかと問えば、替え玉だからこそと返された。
「それにしても……こんなに美しい肌を隠すのは少し、罪悪感がありますわね」
「カーラ」
「分かっているわ。どこで聞かれているか分かりませんものね」
悪びれないカーラに何か言いたげだったマレーネは、とうとう無言で作業を始める。
ほぼ無表情で無口なマレーネは、カーラと対照的な存在だった。まあ、色々な意味で。脱衣所も湯気がたちこめているからか、マレーネも侍女服よりも薄着になっている。全体的にすらりと細身なので、どこか肉感的なカーラより幼く見えた。
しかし実際はどっちが年上なのだろう、と思う。
「首から上と、手首に…………足首も必要かしら」
「鎖骨の周辺」
「ああ、いいわね。ミリィ様って淑やかさは残しつつ、ちょっと大胆なくらいのドレスがお似合いになるかも」
「えっ」
柚子は思わず身じろいた。
「あん、動かないでくださいませ」
「ごめんなさい。それよりも、身代わりって仕事の間だけじゃないんですか?」
「あら。宴や式典のご出席も、立派な王女のお仕事ですのよ」
嫌です。全力で拒否します。
咽喉まで出かけた反発をなんとか飲み込む。こればかりは王女本人に訴えるしかないだろう。確かに「狙われる」前提で考えるなら、替え玉は公の場にこそ必要とされるかもしれない。だが、それは「王女の代わりに死ね」と言われるも同然だ。
(ミアのことは嫌いじゃないし、できれば死んでほしくないって思ってる)
でも、それとこれは違う。
本当にミリエランダたちがそう考えているのだとしたら、城から逃げた方がいいのではないか。そんな考えが脳裏をかすめた。毒入りの紅茶を飲まされそうになったことは、まだ記憶に新しい。毒入りだったかどうかを確かめる術はなくとも、目の前で侍女が飛び降り自殺をしたのだ。
この世界は、王城はあまりにも「死」が近すぎる。
「いつか、ミリエランダ様とミリィ様のお二人が並んでいらっしゃるのを拝見してみたいですわ」
「ミアが城にいる時は、だいたい一緒にいますよ」
「もうっ、そうではありません」
「よしなさい、カーラ」
「マレーネも想像してみたら? きっと素敵だと思うのに」
それには答えず、黙々と着付けに取りかかる。
ゆったりとした夜着はともかく、執務用に着用する王女の服はどれも一人で着られないものばかりだ。特に柚子は地肌の色が違うので、見た目の調整も兼ねて侍女たちが手伝う。
「ああ、ミリィ様の頬ってもちもち……」
「カーラ」
「ちょっとくらい堪能させなさいよ。ミリエランダ様は何でもご自分でこなしてしまわれるから、正式な式典くらいしかお手伝いさせてくださらないんだもの」
すっかり着せ替え人形にされている柚子は、ぼんやり成人式みたいだと思った。
ほとんど着物を着なくなった日本人も、一生に一度は経験する晴れ舞台。来年に成人式を迎える予定の従兄は、自分よりも振袖美女との出会いに心馳せていたようだったが。
(しばらく会っていないけど、元気かな)
小遣いのほとんどをゲームに注ぎ込むほどのゲーム好きだった彼も、受験生になってからは疎遠になってしまった。家を出てからは、バイトを転々としているとも聞く。
柚子がこんな世界に来ていると知ったら、きっと羨ましがるだろう。
「ミリィ様?」
「あ、何でもないです。ごめんなさい」
「いいえ、謝らないでくださいませ」
マレーネがふっと表情を緩めたので、思わず目を奪われた。
どうにもシクリア人は美女が多い国らしい。こっちの意味でも従兄が喜びそうだ。完全に存在を忘れていた携帯電話は電池切れで、単なる鉄の箱に成り果てた。うっかり誰かに見せて、大騒ぎになるのも嫌なのでバッグにしまったままである。
そのバッグもエナメル製だからか、不思議な素材だと言われてしまったが。
(ううん、カルチャーショックだなあ)
文化の違いは学校で学ぶより、肌で感じる方がよく理解できる。
とはいえ、王女の体験はそうそうできるものではない。これから行く先で、どっさり待ち構えているだろう大量の書類を思い浮かべ、柚子は溜息を吐くのだった。
「あ」
「いかがなさいました?」
「二人は、城の外にある塔について何か知ってますか」
途端、彼女たちの雰囲気が明らかに変わった。
「悪いことは申しません。あれには近づかないのが、ミリィ様のためですわ」
「危険です」
「老朽化しているから、とか?」
「それどころか!」
言い募ろうとしたカーラが不自然に黙り込む。
思わずマレーネの方を見たが、こちらはこちらで後片付けを始めているようだ。下を向いているので、その表情までは窺い知れない。あの無表情に戻っているのなら、余計に何も分からないだろう。
柚子は心を読む術を知らない。
だが、今はちょっとだけ使えたらいいなと思ってしまった。




