王家の鍵・3
その日、王女が帰還しないままに夜を迎えた。
替え玉がバレてしまった今も、柚子は「王女」としての生活を求められる。ミリエランダが自由になりたいからという理由ではなく、一連の事件を解決させるためだと知っていた。ゆえに、柚子は真面目に仕事をする。
まさか大学へ進学する前に、事務仕事をやることになるとは思わなかったが。
(文字が読めないままは、良くないよね)
ブレッソン大臣にいわせると、かえって読めない方がいいこともあるそうだ。国王代理として王女が目を通す案件は多岐に渡り、機密文書に近いものも存在する。署名かハンコを押すだけの作業にしても、紙面を見ないわけにはいかない。
『王女殿下の信頼する人間を疑っているつもりはない』
そう言い置きながらも、大臣は苦い顔だ。
そもそも何も知らなければ、誰かに漏えいすることもない。ミリエランダのようには剣を扱えないし、城内部についての知識も圧倒的に足りない。人物情報が足りないせいで、誰かの甘言に惑わされてしまわないとも限らない。
要するに「信用されていない」と。
(あーあ)
王女のナイトドレスに着替え、王女のベッドに倒れ込む。
替え玉というよりも実質的な身代わりとして、周囲に認められることになってしまった。ある意味で、服毒を事前に回避できたことも評価されているらしい。偶然とはいえ、間接的に王女の命を救った事実が、柚子を城に留めている。
「寝ている間に襲われたら、どうしよう」
この問いは既に、神聖騎士団の団長プライムから回答をもらっている。
本物と偽物で護衛の数を変えてしまうと、身代わりになっている意味がない。そうでなくても「クラインの妹」を死なせたくはないので、きっちり護衛はする。
そんなわけで、扉の向こうには二人の護衛騎士がいた。
侍女は着替えの後に退室してしまい、寝室には柚子だけだ。カーテンも閉め切ったので、月の光もほとんど差しこまない。それでも、地下牢に比べれば明るいものだ。
「ミア?」
足音は聞こえなかったが、何か動いたような気がして体を起こす。
「ただいま」
「えっと、おかえりなさい」
戸惑いながらも答えると、いい匂いのする体が覆いかぶさってきた。慌てる柚子をしっかり抱き込んで、そのままベッドに寝転がる。
「わあっ」
「疲れた。ユーコ、癒やして」
「それなら、抱き枕を作りましょうか?」
「だきまくら?」
「大きさは色々ありますけど、文字通りに抱っこできる枕のことです。安眠できるようにポプリ…………良い香りのするドライフラワーを入れたりします」
「ユーコの言ってる言葉、たまによくわかんない」
よほど眠いのだろう。
いつもははきはき喋る彼女が、舌っ足らずになっている。足を絡ませて距離をなくすと、胸に埋めた顔をぐりぐりと押しつけてきた。むずがる子供にしがみつかれている気分だ。
マルセルと同じように、そっと頭を撫でてみる。
こっちは金髪だが、細くて柔らかい手触りが似ている。
「きもちいい」
「痛くないですか?」
「ん。もっとして」
「分かりました」
素直な反応にくすりと笑い、柚子は髪を梳くようにして撫でていく。
きちんとまとめられていることが多かったから、その長さに驚かされた。ウェーブを描く髪をちょっと引っ張れば、腰まで届いてしまう。寝返りを打つ時や、自分が下敷きにしてしまったら痛い思いをするかもしれない。
頭を撫でるついでに、少しずつ上の方へと移動させた。
「母さま、みたい」
「ミアのお母さん?」
「顔も見たこと、ない。赤ん坊のあたしをブレッソン大臣に預けて、その後に殺されたから」
「…………」
「本当は、王女なんて名乗れない。側妃どころか、愛妾ですらなかった人間が生んだ……父親が誰かも分からない子供」
「でも、アレックス――……アレクセル王は、認めてくれたんでしょう?」
「母さまは男遊びできる性格じゃないって。城仕えはそこそこ長かったけど、他に好いた男もいなかったみたい。そういうの調べるくらいなら、手を出すなっての」
きっと国王の子供が生まれなかったら、彼女は死なずに済んだ。
ミリエランダはそう思っているのかもしれない。状況は違うが、自分の所為で「死ななくてもいい人間が死んだ」という辛さは柚子にも分かる。
でも、どうしようもない。
「聞いて」
「はい」
「あたしの勘だけど、母様を殺した犯人と父様を殺した犯人は繋がっているわ。レノは父様を殺した犯人と近くて、主犯じゃない。首謀者は、他にいる」
しがみつく力が強くなり、ミリエランダの発音もしっかりしてきた。
「あたしは、許さない」
「ミア……」
「ホントはね、自分が冷たい人間なんだって思ってた。復讐なんて馬鹿馬鹿しいし、母様はよくある王族のいざこざに巻き込まれただけ。父様も英雄だなんだってもてはやされてたけど、一人の人間なのは変わらない。マルセルが安心して国王になれるように周辺を整えたら、それであたしの役目は終わるって思ってた」
でも違った、とくぐもった声が繋ぐ。
正直、さっきからミリエランダの息がかかってくすぐったい。真面目な話をしているので笑ってはいけないと耐えているが、そろそろ限界に近い。
「あたしは生まれて初めて、憎しみで人を殺すわ」
静かに宣言したミリエランダに、何か言うべきなのだろう。
何も言わないよりはと口を開きかけた柚子は、言葉としては不明瞭すぎる「ふへっ」という声を発してしまった。体がふるふると震え始め、もう止められない。
「ふ、ふふふふっ」
「ユーコ? あんた、いきなりどうしたのよ」
「や、だ…………あはっ、もうだめ。そこっ、で喋らな…………あはは! やあ、ってダメ…………も、くすぐった……っ」
急に黙り込んだミリエランダが、背中の手を不穏にうごめかせた。嫌な予感はすぐに現実のものとなり、弱い所を突かれる。絶妙なくすぐり加減で、あっという間に酸欠だ。
「ひ…………っ、ひぃ……っも、だめ……」
「人が真面目な話してるってのに、いーい度胸じゃない」
「そんなトコで喋ってる、からっ」
「ふーん」
「うひゃはははは! ごめんなさ、ごめんってば!!」
必死にくすぐり攻撃から逃げようと体をよじるのだが、とっくに足も絡められているので動きが取れない。相手が王女だというのも忘れて、無我夢中で腕を突っ張った。
そこへ護衛騎士たちがやってくる。
「王女!? いかがなされましたっ」
「あー、何でもない。何でもない」
「あはははは!! ひぃひぃ、や~め~てぇ~っ」
「…………え、えぇと」
「戻るぞ。殿下のお楽しみを邪魔してはいかん」
「そ、そうだな」
パタンと扉が閉まる。
あっさり引き下がってくれたのは嬉しいが、ベッドの上でもつれ合う二人の少女についてどう思われたかが心配だ。攻撃が止んだのを機に、柚子はシーツを上まで引っ張り上げた。さんざん笑ったおかげで暑いくらいだが、羞恥心の方が強い。
「ミアの馬鹿」
「なによ」
「絶対、誤解されましたよ!」
「構わないわ。女の子を連れ込んで、イケナイことをする趣味だって? いいじゃない、暴走王女の悪評が増えた所で痛くもかゆくもないし」
「わたしが構うんです。うう…………明日はもう、誰にも会いたくない」
「行為が激しすぎて、起き上がれないんだって邪推されても?」
「いいわけないでしょうっ。そもそも、いきなりミアが抱きついてくるから」
「そうそう。控えめなくせに、結構いい感じの柔らかさなのよね」
「ぎゃあっ」
豪快に掴まれ、思わず悲鳴が上がる。
慌てて口を塞いだが、外にもしっかり聞こえていると思われた。扉がぴくりともしないのは逆に、ものすごく恥ずかしい。もう泣きたい。
「ミアがレズビアンだって知っていたら、近づかなかったのに」
「こら、また知らない単語を使って。意味を教えなさい、じゃないとくすぐる」
「ええっ」
くすぐられるのはもう嫌なので、柚子は大人しく従った。
「ふーん。そういえば、さっきも何か言ってたわよね」
「あ、それは」
ミリエランダは次々と知らない単語の意味を問い続け、結局は空がうっすら白じんてくるまでガールズトーク(?)に付き合わされたのだった。




