陰謀・4
胸の辺りがモヤモヤする。
あれから、また柚子が「王女」を演じていた。といっても、謁見や恒例行事のようなものはしなくてもいい。こんな心理状態で民に愛嬌を振りまくのも無理だから、それは助かる。
「姫様、お飲み物をどうぞ」
「ありがとう」
ミリエランダが不在なので、侍女は別の人間だ。
カップとソーサーを受け取ってから、ふと首を傾げた。なんとなく違和感があったのだ。声が違ったような、それとも顔色が悪かったのかもしれない。気のせいならいいが、体調が悪いのに世話をさせるのは申し訳ない。
そう思った柚子は、顔を上げた。
「ねえ」
侍女と目が合う。
かすかに瞳が揺れた。湖よりも淡い色が、石を投げ込まれた水面のように震える。薄い唇が何かを告げようとした。
そして柚子は、悟った。
「姉さま!!」
「マルセル?」
執務室の扉を突き飛ばすようにして入ってきた少年は、息を切らせて叫ぶ。
「ダメだ、姉さま! それを飲まないでっ」
「チッ」
侍女が舌打ちをする。柚子からカップを奪い取ろうとしたので、とっさに中身をこぼした。床は見事な絨毯が敷かれているので、ドレスのどっちにしようか迷った挙句に布を重ねている胴へぶちまける。指にかかって、ぴりっと痛みが走った。
「姉さま?!」
「うわああぁっ」
「ち、ちょっと!」
止める間もない。侍女は真っすぐに走っていき、そのまま空を飛んだ。
ガラスの割れる音が幾重にも重なる。キラキラと眩しく、光の乱舞がスローモーションのように見えている中で嫌な音がした。本能的に、それが何か分かってしまうのが嫌だ。
ふらふらと立ち上がる。
見ては駄目だ。そう思っているのに、足が吸い寄せられた。王女の執務室は窓が大きく作られていて、天井と床をガラスで繋いでいる。初めて入った時は、その眺めの良さに開いた口が塞がらなかったほどだ。
その一枚が割れ、辺りに破片が散らばっている。
パキパキンと足で踏みつつ、柚子は窓へ近づいた。この季節らしい、涼しい風が吹き込んでくる。普段なら、心地良さに目を細めただろう。
「姉さま、ダメだよっ」
「でも」
「そっちに行かないで! 姉さままで落ちちゃう。死んじゃうよ?!」
「死……」
あの侍女はどうなっただろう。
やはり、死んだのだろう。ここから下界は遠い。執務室は三階にあるのだから当然だ。眼下を歩く人は小さく、ちょっと声を張り上げないと会話もできない。それくらいの距離がある。それくらいの距離を越えたのだ、彼女は。
(また、わたしのせいで)
人が死んだ。
いきなり足元が消え失せる。錯覚か、そうでないかも分からない。柚子は誰かの呼ぶ声を聴きながら、底の知れないどこかへ落ちていった。
****
ミリエランダは、弾かれたように顔を上げる。
「お嬢?」
「…………今、何かが」
ユーコの身に何かが起きた。
それは直感だった。しかし確信があった。
「ごめん、後はお願いするわ。報告はローランドを通じて回してくれればいい。報酬はそれからになるけど、構わない?」
「あ、ああ、いいぜ。他でもないお嬢の頼みだからな」
「ありがと」
体中の血がどくどくと脈打っていた。
心配そうなカイに、ちゃんと笑えていた自信はない。不確定情報に関して、こんなにも動揺している自分がいっそ可笑しい。同時に、一刻も早く何が起きたのかを確かめなければならないと気が逸る。
「行けよ、お嬢。立ち止まってても、何も変わりゃしないぜ」
「それもそうね」
頷いた。
爪先が地面を蹴り、倒れ込みそうになりながら駆ける。すれ違った小太りの女が、ぽかんと口を開けていた。巻き上がった風に、ストールが浮く。ミリエランダは小さな風になっていた。路地に飛び込むと、王城へ伸びている坂をまっしぐらに貫いた。
嫌な予感がする。
(ユーコ!)
そして、願った。
幼馴染のどちらかでいい、彼女を助けて。手遅れになる前に。
ストラルドが「後手に回ってばかりいる」と愚痴をもらしていたのを思い出す。確かにそうだ。こっちは思いつく限りの手を駆使しているのに、尻尾の先しか掴めない。レノはクーベルタン一族に守られているため、迂闊には手を出せない。
首を引っ込めて隠れているなら、あぶり出す。
そこから攻勢に転じるのだ。国王を殺し、この国を危険に晒す存在をミリエランダは絶対に許しはしない。最初から、王位なんて欲しくもなかった。他にいないから、いずれはそうなるのだろうと思っていただけだ。
今はマルセルがいる。
時間を稼ぎ、真犯人を捕まえ、可愛い弟が安心して王政に専念できるようにする。それがミリエランダに与えられた役割であり、義務だ。神聖騎士がシクリアの民を守るように、ミリエランダはシクリアという国の全てを守る。
ユーコは、シクリアの民ではない。
だが「アレックス」が気に入った人間だ。ならば、ミリエランダはユーコも守らなければならない。自分たちは、まだ知り合ったばかりなのだ。友達になれるかもしれない。
急げ。
城門に近づいたミリエランダは栗色の髪を、勢い良く引き抜いた。




