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陰謀・3

 王妃毒殺未遂事件は、またたく間に王都へ広まった。

 未だに国王暗殺の犯人が処刑されていない。化け物が逃げ出したのではないか、共犯がいたのではないか、という憶測も飛び交っていた。民は不安に怯え、商人たちも王都への足取りが重い。シクリア王国は工芸品の流通、つまりは交易で発展してきた。

 このままでは、経済そのものが揺らぎかねない。

「あの男を吊るしますか」

 ストラルドが表情一つ変えずに、そう言ったのも無理はない。

 目下のところ、国王暗殺の真相に最も近いのはレノ執政官なのだ。柚子は、この世界について何も知らなさすぎた。黒装束の暗殺集団など、普通にどこかで潜んでいそうなくらいに珍しくもない。

 ミリエランダは書類に走らせていた筆を止める。

「吐くと思う?」

「吐かせるしかないでしょう。ここまでくると」

「珍しいな、ストラルド。焦ってんのか?」

「何もかも後手に回っているのが気に入らないだけです。向こうの出方を待つだけなど」

「お前の得意技じゃねえか」

 柚子はそっと息を吐く。

 とりあえず紅茶を置いて、立ち去りたい気分だ。

 そうできないのは目下の厳戒態勢で、城内の行動が制限されているからだった。王妃を狙った犯人もまだ見つかっていない。適当な人間を処刑すれば済むとも聞いたが、濡れ衣で殺される人間はどうでもいいのだろうか。

 少なくとも、ここにいる三人がそういった考えを持っていないのを祈るばかりだ。

「ユーコ」

 ミリエランダに呼ばれ、柚子は顔を上げた。

 給仕を終えてしまったら他にやることがない。普段は執務室を辞して、王女の私室を掃除したりする。洗濯物もいくつかあるし、息抜きに中庭でも眺めたい気分だ。余裕があれば、書庫で本を探してみるのもいいと思っている。

(子供向けの本があれば、の話だけど)

 かなり今更な話だが、会話は問題なく出来るのに文字が全く読めない。署名のために覚えたミリエランダのフルネームくらいで、書くこともほぼできない。仕事に慣れてくると、ちょっとした合間の時間が手持無沙汰になってしまうのだ。

 ではなくて。

「どうしたんですか、ミア」

「嫌なことを思い出させるんだけど、父様が殺された時…………何かおかしなことはなかったかしら? 何でもいいの」

「…………っミ、ア」

「お願い」

 息が詰まった。

 ミリエランダの真剣な表情が揺らぐ。いや、彼女がどうかしたのではない。どうかしたのは柚子の方だ。胸を抑え、軽く咳き込む。

 ぐらりと世界が揺れた。

「ユーコ!」

「思い出して」

「おい、ミア」

「大事なことなのよ。ユーコ、あたしの目を見なさい」

「あ、……っく」

 足が勝手に後ずさり、ついに崩れた。誰かの腕が倒れ込むのを防いでくれたが、柚子の呼吸は戻らない。

 痙攣が始まった。

「ミア!」

 クラインが苛立ったように怒鳴っても、ミリエランダは動かなかった。

 びくんびくんと跳ねる柚子も、彼女の目線をなんとか維持しようとする。涙がこぼれ、閉じられない口からは涎もしたたる。とても見てられない姿になりつつも、柚子はどこか別の場所にいるような心地になった。

 この感覚を覚えている。

「こ、しの……」

「腰?」

 ミリエランダが瞬いた。

 首を傾げた拍子に、輝く髪がサラサラと流れていく。その色を、その眩さを覚えている。力強くて、見る者の目を引き付けて離さない魂の色。


『この娘は関係ない。無辜の民をも巻き込むのが、貴様らの信念か!』


 アレックス…………いいえ、アレクセル。

 この世界の人間ではない柚子を、その身を挺して守ってくれた国王。

 毒矢を受けながら、不敵な態度を崩さなかった。自らの実力を信じて疑わなかったからこその笑み、そして驚き、そして――。

「戦わな、かった」

 今なら分かる。

 腰に差すのは剣だ。素手の勝負に賭けるなら、彼はとうに黒装束たちへ向かっていっただろう。あるいは襲い掛かる者から払い落としていったか。

 柚子を庇っていたから、動けなかったのだと思っていた。

「ち、がう」

 何本もの剣が突き刺さる直前、彼は笑っていた。

 どうして。

 死の間際、鍵を託された。レノに奪われてしまったが、そこまで執着するほどの何かだったことは確かだ。レノは鍵を奪いたかったのか。しかしアレクセルは、鍵を――。

「あ……、あああっ」

「ユーコ?!」

「王は暗殺されるの、知ってたんだ……」

 柚子の登場はきっかけに過ぎなかった。

 アレクセルが怒ったのは、暗殺者たちが柚子も巻き添えにしようとしたからだ。思い返せば、レノはいつもタイミングを計ったように現れた。地下牢に何度もやってきたのは、最初から「鍵」が狙いだったのだ。

 いつしか、呼吸は元に戻っていた。

 目の前に差し出されたハンカチで、濡れた顔を拭く。すっきりしたおかげで、また少し頭の中が整理できた。

「ミア、鍵のこと…………覚えてますか?」

「覚えてるわ。漠然としすぎて、どんなものかは分からないけどね」

「えっと、牢番の人がすっごい鍵マニアで…………一度だけ、見せたことがあるんです。もしかしたら、その人は形とか覚えてるかもしれません」

「まにあ?」

 柚子は牢獄でのことを簡単に説明した。

 ミリエランダがクラインに目配せをし、頷いたクラインが部屋から出ていく。全て信じてもらえたとは思わないが、調べてみる気になったようだ。

(レノ、さんに確かめるのが一番早いんだろうけど)

 闇の中での会話を思い出し、ぞくりと震える。

 すると肩を抱いていた力が強くなり、柚子はやっと傍にいる人間に気付いた。さっきからずっと、ストラルドが後ろから支えていてくれたのだ。ぼんやりしたまま受け取ってしまったが、ハンカチも彼の持ち物に違いない。

「王女、今日はここまでにしましょう」

「ルディ……、そうね。鍵のことは、あたしも古い文献をあたってみるわ。王家の人間じゃないと見られないものもあるだろうし」

 二人のやり取りを聞きながら、柚子は軽くパニック状態だった。

 すぐ立ち上がるべきなのは分かっている。汚れたハンカチを手の中で揉みながら、謝るべきか礼を言うべきかで悩んでいた。あのストラルドに素直な感情をぶつけたところで、まともな反応が返ってくるとも思えない。

(ミアの手伝いをしたいけど、まだ文字読めないし)

 いや、それよりもストラルドに何か言わなければ。

 いやいや、王妃が毒殺未遂なのだ。王女であるミリエランダも狙われている可能性は高い。こんな状況で、傍を離れるのはあまり良くない気もする。何ができるわけでもないが、毒を代わりに受けるくらいは――。

「あ!」

 机を離れようとしたミリエランダが、柚子を見た。

 アレクセルによく似た風貌に、一瞬閃いた何かが急速に形を取り戻す。柚子はまだ、全てを彼女に話していない。あの日、アレクセルが話した言葉を思い出せ。

「メダル」

「もしかして、ユーコが大事にしていた持ち物に入っていた?」

「そうっ」

「王女?」

 ストラルドはメダルを見ていないので、怪訝そうだ。

 一方、ミリエランダは何か考えるような顔になっていた。彼女は今までに、ハンドバッグの中身を見る機会があったはずだ。その時にメダルを見ていたなら、何か気付いたことはなかっただろうか。

「アレックス…………じゃなくて、王様が他の人に見せちゃだめって言っていたんです。わたしにとっては祖父の形見ですけど、もしかしたら」

「謎ばっかり増えるわね」

「今は一つずつ解いていくしかないでしょう。焦っても良いことはありませんし」

「でも、メダルは」

 もどかしい。

 柚子はミリエランダに伝えるべきことがあったはずなのだ。あのメダルは柚子を元いた世界から、こちらの世界へ連れてきた。亡くなった祖父は、メダルについて詳しいことを知っていたはずだ。その片鱗を、どこかで聞いたような感じがつきまとう。

「ユーコ、とりあえず今日は休みなさい。無理をさせて、悪かったわね」

「ミア!」

「鏡を見たら? かなり酷い顔よ」

「それは…………えっと、でもわたしも」

 役に立ちたいんだ。

 そう言えたら、良かった。振り回されてばかりで、いつ元の世界へ戻れるかも分からない。二度と戻れないかもしれない。今では完全に足手まといだ。犯人の顔を見ているはずなのに、有益な情報の一つも伝えられないのだから。

 役立たずだ。

 アレクセルが殺されたシーンを思い出すだけで、震えがくる。呼吸が上手く出来なくなる発作なんて、起こらなければいいのに。

「ユーコ、落ち着きなさい」

 こういう時ばかり優しい声で、ストラルドが頭を撫でてくる。

 ミリエランダは既に部屋を出て行った後だった。護衛がついていったのか、開け放した廊下にも人影は見当たらない。しんと静まり返った部屋は、冷たく音を響かせる。

「君は頑張っていると思いますよ」

「それを聞くの、二度目ですね」

「…………全く。本当に、君は」

 素直じゃない。

 そんな呟きが聞こえた。柚子は意図的に、聞かなかったことにした。


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