表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/73

書記官と騎士・5

 目を醒ますと、今にも鼻を削ぎ落さんとする刃が見えた。

「お久しぶりです……」

「ああ」

 短く応えるクラインは、あっさりと剣を収めてくれた。殺しそこねたな、という不穏な音は聞かなかったことにしておく。問うたところで、楽しい会話になりそうもないのは明白だ。

 もしかすると、寝ている間に斬られていたかもしれない。

(こんなこと考えるなんて、麻痺しちゃったのかな)

 死ぬなと再三声をかけてくれた人だけに、意外といえば意外だった。

 むしろ驚いていない自分に、刃を見つめながら挨拶すらできてしまった自分に驚く。この世界へ来てからというもの、あまりにも『非現実』に触れすぎたからだろう。死、というものが近くに感じられる。

 異常だ、と柚子は己を評した。

 ぶっちゃければ、頭がおかしくなっている。一度は本当に、精神崩壊の危機にあったかもしれない。そこから元通りになれたかどうかの自信がない。

 かつての有原柚子を知る者は、この世界のどこにもいないのだ。

「お前は、本当に化け物なのかもな」

 意味を掴みかねて、瞬きをする。

 クラインは眉間にしわを寄せ、機嫌が悪そうだった。

「痛みはまだあんのか?」

「あ、そういえば」

 酷い環境から一気に衛生的な場所へ移ったからだろう。

 背中や腕にあった打ち身は完全に消え、あちこちの切り傷も痕は残らないだろうということだ。最も深刻だったらしい足も、そろそろ歩いてもいいと言われている。

「まだ20日しか経ってねえんだぞ」

「ですよね。ここの薬って、すごい効き目――あうっ」

 布団に置いていた手を無造作に引っ張られた。

「この腕は、壊死しかけていた」

「え、し」

 ただ反芻するしかない柚子に、クラインはますます眉間のしわを深くする。

「腐りかけていた」

「えぇ!? そ、そんなはずないですよ。ちゃんと動かせてたし」

「足は、指が取れかかっていた」

「…………」

「他にも」

「も、もういいです! 分かりました、から」

 柚子は普通の人間だ。

 少なくとも、元の世界ではそうだった。傷の治りだって、早くもなければ遅くもない平均水準。風邪はもちろん、インフルエンザの経験もある。軽い怪我は専ら保健室の先生に手当してもらったし、短期間の通院もやった。ごくごく一般的な、どこにでもいる女子高生だ。

 そのはずだ。

「わたし、何なんでしょう」

「それを聞いてる」

「あ、はい。そうでした」

「…………ミアがお前を死なせるなと言うから、俺は従った。だが、お前が本当に化け物なら……あいつに害を与える存在になるなら、容赦はしない」

 もう一度、目の前に刃を当てられた心地がした。

 実際には抜刀していなかったが、クラインの目は本気だ。王女を、ミリエランダのことを本当に大切に思っているのだろう。

 そして化け物かもしれない柚子を、警戒している。

「死にたく、ないです」

 心のどこかで殺されても仕方ないと思いながら、音にできたのはそれだった。

「信じてもらえないかも…………しれません、けど。でもわたし、ミアのことを傷つけたいなんて思っていません。アレックスの、娘だから」

「アレクセル様、な」

「え? あれ、やっぱり偽名だったんですね」

「ほとんどバレバレだったけどな。一応、落ちぶれ貴族のアレックスっていうのが通り名だった。王都じゃ誰でも知ってる」

「そ、それじゃ皆も国王さまだって分かってて、あんなに普通に接してたんですか?!」

 さすがに驚いた。

 柚子も国王がどれだけ偉いのかを知っている。国民の全てに傅かれる存在だ。貴族はもちろん、平民も例外ではない。そして貴族は、平民よりも偉い。

「いちいち頭下げられたり、平伏してたら仕事が滞るだろ」

「視察の、ですか?」

「街の」

「ああ……」

 そうですね、と空々しい相槌を打つ。

(当たり前なんだ。この世界というか、この国ではそれが常識になっちゃってるんだ)

 だからアレックスは、護衛も連れずに歩き回れたのだろう。

 従者を一人、しかも時々は撒いて単独行動しながら、気が向いた店に立ち寄る。少なくとも、柚子と話している時のアレックスに国王の威厳は見つからなかった。落ちぶれ貴族だというなら、確かに頷けてしまう。

「それで人気出ちまうのが、アレクセル様のすげートコなんだけどな」

「何か問題が、あるんですか?」

「大有りだ。あんまり楽しんでるから、王女が真似しちまった」

「ああ……」

 二度目の相槌、そして納得。

 王女付きの侍女を演じているはずのミリエランダは、ちょくちょく姿が見えなくなる。最初のうちは、そういうものだろうと思っていた。柚子を身代わりに置いておいて、その間に何かしら事を進めるつもりなのは既に聞いている。

 だが実際は、大手を振って歩き回れる自由を満喫しているとか。

「…………いいんですか、それ」

「いいわけねえだろ、馬鹿。ちっとは考えろ、馬鹿」

 二度言われて、むっとする。

「それなら、ここで喋ってる暇ないと思いますけど。王女に何かあったらどうするんですか」

「心配ねえよ、あいつは自分で自分の身を守れる」

「でもっ」

 アレックスは、それでも殺された。

 黒い影に襲われるミリエランダを想像して、思わず頭を振った。死は、誰にでも訪れる。祖父母は長生きした方だ。柚子自身、臨死体験によく似たものを経験したような気がしなくもない。

「絶対大丈夫とか、そんなの…………分からないじゃないですか」

「あのな」

 頭に手を置かれ、びくりと体が跳ねた。

 剣は平気なのに手がダメとか、自分で自分がよく分からない。

「そのために、あいつが動いてんだよ。お前のためでもある」

「な、んで?」

「そのうち分かる。だから、今は完全に体が治るまで大人しくしとけ。そんで、あいつに目一杯恩義を感じろ。間違っても、間違ったことを考えるんじゃねえぞ」

「はい」

 だいたい言いたいことは伝わったので、柚子は素直に頷いた。

 改めてクラインを見ると、年頃はそんなに変わらないように思える。この世界ではかなり早い段階から、仕事に就けるらしい。騎士は騎士でも、柚子には「神聖騎士」が何なのかはまだ分からなかったのだが。

 彼なりの信念はなんとなく、感じた。

 そういう生き方ができるのを少しだけ、羨ましく思ってしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ