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書記官と騎士・4

 この世界における白衣の天使は、少年の姿をしていた。

「姉さま、具合はどう?」

「おかげさまで」

「そっかあ。良かった」

 ほっと表情を緩めるマルセルを、思いっきり抱きしめたい。

 絶対安静を言いつけられている身の上で、そんなことは許されないと分かっている。仕方なく、柚子は頭を撫でるだけに留めた。

 一本一本を丁寧に作り上げた飴細工のような髪は、実際に触れてみると柔らかくてサラサラだ。昔、友達が飼っていた長毛種の猫もかなり触り心地の良い毛並みだったが、マルセルの髪はそれに似ていなくもない。

(はー、癒やされる)

 結局は王女の替え玉をやるはめになったのだが、こんなご褒美があるなら頑張れる。

 日に一度、朝の食事が終わった後くらいにマルセル王子が訪問する。医療室といっても、入院患者用の部屋はいくつか用意されているらしい。基本的に貴族は立ち入ることがなく、商人たちも城門付近に設置された窓口までだ。必然的に医療室にいるのは薬の研究者や医師くらいなもので、王子の訪問はちょっとした珍事になっていた。

 国王の亡くなった今、二人だけの姉弟だ。

 人々の同情を誘えるから、といい広告になっているらしいとはストラルドから聞いた。書記官は政治に深く関わる身なので忙しいと思うのだが、なんだかんだでよく来る。神聖騎士であるクラインも同じく。

「要するに閑人なのね」

「わたしが失敗したら、ミアが動きづらくなるからですよ」

「大人しいもんね、あんた。見た目はそっくりなのに」

「ミアが上手にお化粧してくれたから……」

 王女様というのは、何でも人任せだと思っていた。

 でもミリエランダは何でも自分でやる。城を抜け出すのに必要なスキルだと言っていたが、そもそも「抜け出す」前提という時点で型破りだ。シクリアで金髪は珍しくないので、化粧で別人の顔を作る。

 今の彼女は、ちゃんとした侍女だ。

「いくら化粧で誤魔化せるって言っても、素顔が似てなきゃ無理よ。現にもう十日は経つけど、誰にもバレてないじゃない」

「それは、そうですけど」

「あと、敬語! ミアって愛称で呼べるのに、なんで言葉遣いが直らないの」

「だってミアは王女様でしょう?」

「あんたは、この国の人間じゃないでしょ」

 だからいいのよ、と断言する彼女の理屈が分からない。

 国王を殺した犯人として捕らえられる時、牢獄でもさんざん言われてきた。自分は人ですらなくて、醜い化け物で、生きる価値がない。クラインたちだって、真犯人を突きとめるために柚子を生かしているだけにすぎない。

「ミア」

「なあに?」

「アレックスを殺した人、って誰……で」

 ひゅ、と冷たい塊が咽喉を通り抜けた。

 それが空気だと自覚した直後、柚子は咳き込む。驚いたミリエランダが傍に駆け寄り、気遣う声はもう遠い。上手く息が出来ない。生まれたその日から当たり前だった呼吸の仕方を、いきなり忘れてしまったようだ。

「あ、か……っは」

「こんな発作が起きるなんて聞いてないっつの! ああもう、誰か…………って基本的に人払いしてあるんだった。運良く誰か来ないかしら」

 あの人を殺したのは、わたしだ。

 だって、そう言われてきたではないか。ぽろぽろと涙の粒がこぼれては落ちる。苦しいからか、哀しいからか。よく分からないから、泣くのも止められない。

(ごめんなさい)

 牢獄から、出なければよかった。

 いいえ、あんな場所には二度と戻りたくない。

 相反する感情が渦巻いて、まともな思考すら戻ってこない。

「これは、どうしたんですか?」

「ルディ!! あんた、この子をどうにかしなさいよ。今すぐ」

「相変わらず、無茶を言いますね」

 ルディ。

 そういえば、牢獄で一度だけその名を聞いた。あれは誰だったろう。妙に響きが良くて、すんなりと耳に入り込んだから覚えている。

 瞬間、血まみれの体がフラッシュバックした。

 突き刺さった剣、襲い掛かる黒い影。赤い光に導かれ、赤い雨によって世界は変わった。もう一度赤いものを浴びれば、柚子は元の世界に戻れるのだろうか。

 赤は、命だ。

(わたしが、死ねば……?)

 この体に流れる赤いものを使えば、戻れるかもしれない。国民だって、ミリエランダだって納得するに違いない。国王を殺した罪は死でしか贖えないのだから。

 違う!!

 今度は別の光景が脳内を占める。

 それは人と竜の哀しい物語だ。平穏に暮らしていたはずの日常が崩れ、破滅が訪れた。夢で語られたのはほんの一部にすぎない。それでも、柚子が理解するには壮大すぎた。

 この世界で起きた何もかもが、想像を凌駕する。

「ユーコ」

 静かな声がして、頬が熱くなった。

「しっかりしなさい」

 今度は反対側もやられて、頬を叩かれたのだと悟る。

「な、にするんですか」

「君は愚かではありませんが、それなりに馬鹿なので」

「叩けば直る家電と一緒にしないでください!」

「実際、治ったじゃない」

「うぐ」

 ミリエランダのツッコミがしっかり刺さり、返す言葉もない。

 だが、とりあえずの危機は去った。何が原因だったのかは分からないが、発作は収まったようだ。顔に触ってみて、かなりひどい有様に驚く。

「ああ、動かない。今拭くから」

「王女様にそんなことやってもらうわけには!」

「今のあんたが王女様。ほら、じっとしてる」

「ふぎゅる」

 ぐいぐいと半ば強引に拭われながら、ものすごく情けない気持ちになった。仮にも年頃の娘が美人の王女とイケメン書記官の前で、鼻水と涙まみれの酷い顔を晒していたのだ。しかも、現在進行形で「王女」に後始末されている。

 ちょっと叩かれた頬が痛い。

「ルディ」

「何ですか」

「強く叩きすぎたんじゃないの? また泣きそうになってる」

「あっ、いえ、これは」

「そうですね、まともな神経の持ち主であれば。己の情けなさに涙に一つも出てくると思いますよ」

「ルディ、ひどい。いじわるだ」

 ちなみに今のは柚子の台詞だ。

 見た目は優しそうな紳士なのだから、あえて言わないでおくという選択肢を選んでほしかった。あるいは別の表現でオブラートに包むとか。

(って、わたしは何を)

 まるで拗ねた子供のような言葉遣いをしてしまった気がする。

 幼い物言いは小学へあがる前に卒業したと思っていたのに、どうしたことだろう。病気になると誰かに甘えたくなるともいうが、それに似た状態かもしれない。考えてみれば、風邪をひいた時には祖母がいつも傍にいてくれた。

 だとしたら、あの頃の気持ちを一時的に思い出してしまったのか。

(普通に恥ずかしいでしょ、それ!)

 顔に熱が集まっていく前に、柚子は布団を顔の上まで引っ張り上げた。

「寝ます!」

「どうすんの、これ。あたし的には面白いもんが二つも見られたから、別にいいけど」

「その趣味の悪さをどうにかしてください。そうでなくても『暴走王女』として、周辺諸国にも悪評が広まっているのですから。嫁の貰い手がなくなりますよ」

「心配なら、あんたが貰いなさいよ。庶子とはいえ、王族の血が混ざれば喜ばれるんじゃない?」

「…………はあ」

「今のため息、ものすっごく腹が立つわ」

「申し訳ありません、王女殿下」

 布団に潜りこんで正解だった。

 両手で耳を塞いでも、彼らに知られることはない。疎外感を感じたり、寂しいと思うのはまだ体が癒えていないからだ。きっとそうだ。

 だから寝てしまおう。

 ぎゅっと瞑った柚子は、ほどなく眠りの淵へ誘われていった。

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