第4話 三人と再会したヨム・ソユン
大商人ハルの屋敷にヨム・ソユンとハルが入っていくのと入れ違いに、一人の若者がハルの屋敷の前を通った。
この辺りは主に王宮勤めの両班の屋敷が立ち並んでいる地域だが、その若者はここから、そう遠くない山の麓の町で生まれ育った若者だった。
ハルの屋敷から、しばらく夜道を歩いていた若者が、ある屋敷に入る。
その屋敷とは王様直属の三つの部署の一つ、王様の身辺警護のための近衛国王軍、内禁衛のキム親衛隊長の屋敷だった。
若者は奥の部屋にいるキム親衛隊長の前で礼を尽くし口を開く。
「ただいま戻りました」
「うむ。ドニョン、明日は朝から王様の警護だったな。今日は夕食を食べて早く休みなさい」
「分かりました」
――自分の部屋に行き寝転ぶドニョン。
(あれからもう10年か⋯⋯私に取っては20年にも30年にも感じるほど長かった⋯⋯ああ、今頃お嬢様は、どうしていらっしゃるのだろう⋯⋯)
キム・ドニョン⋯⋯いや、かつてはユ・ドニョンだった若者は、あの日の事を思い出していた⋯⋯。
(お嬢様⋯⋯今参ります⋯⋯)
12歳のユ・ドニョンは目を開けた。目の前には王宮の立派な武官がいる。
「ん?⋯⋯おお! やっと気がついたぞ、良かった!!」
「⋯⋯誰?⋯⋯ここはどこ?」
「私は内禁衛のキム親衛隊長だ。お前は山で崖から滑り落ちて意識を失ってたんだ。ここは私の屋敷だ」
ドニョンは起き上がろうとしたが全身に痛みを感じた。
「痛い!!」
「まだ、寝ていなさい! お前を山から連れ帰ってから、もう七日。やっと今、意識が戻ったほどの大怪我なんだぞ。さぁ、この薬を飲みなさい」
「七日⋯⋯あっ、お嬢様は!? お嬢様はどこ? お嬢様ーー!!!!」
「どうしたんだ一体!? 誰だ、お嬢様とは!」
「⋯⋯行かなきゃ⋯⋯」
再び起き上がろうとするドニョン。
「待て! まだ傷は癒えてないぞ!」
「でも、お嬢様が⋯⋯」
「いいから寝ていなさい」
その夜、ドニョンは屋敷を抜け出した。
幸い、ここが町の近くの両班の屋敷の地区だと分かり足を引きずり、山の麓の町を目指して歩いていく。
――町についたドニョンはソユンお嬢様を探した。しかしソユンはいなかった。どこにもいなかった。這いつくばるようにして町中を探したがどこにもいなかった。
「お嬢様⋯⋯」
心身共に疲れ果てたドニョンは町の真ん中で立ち尽くしていたが、やがてクラクラとした、めまいと共に意識が遠のくのを覚えた⋯⋯。
「ドニョン! ドニョン!」
その声に現実に引き戻された22歳のキム・ドニョンは目を開けた。目の前にはキム親衛隊長がいた。ドニョンは強烈な既視感を覚えながら、すぐに起き上がった。
「何でしょう⋯⋯」
「ちゃんと夕食を食べてから休みなさい」
「分かりました、アボジ⋯⋯」
◇
その頃、王宮ではドラゴガルド王国国王が、背中に銀色の縦線が入った黄緑色の内官の宮廷民族衣装を着た、王様付きの巨大なマウンテンゴリラの獣人の内官長ゴリツンに話しかけていた。
「ゴリツン、余はまた王宮の外へ密かに赴き民の暮らしを見たい」
「視察でございますか? ウホッ。では一般の両班に変装するための衣服と10名程の護衛をご用意いたします。ウホウホ」
「いや、護衛がそんなにいては目立ちすぎる。ゴリツンの他は護衛二人でよい」
「ならば明日の護衛の中に内禁衛で一番の剣の使い手ドニョンがおりますので宮廷魔術師長と、そのドニョンの二人を護衛として連れて参りましょう」
「ドニョン? ドニョンとは、たしか内禁衛の親衛隊長の息子だったな?」
「はい、養子だそうです、よくご存知で」
「ああ、それは文官の採用試験の科挙を15歳で受かった神童、ミナ大提学と並び、武官の採用試験の科挙を15歳で受かった神童として有名だからな」
「左様でしたな、それで王様、どちらへ視察に」
「そうだな、若い学生を見たい」
「も、もしかして⋯⋯ホッ、ホッ、ホッ、ホッ⋯⋯」
ホッホ言いながら胸を両手で連打しドラミングを始めるゴリツン。
ドンドンドンドン⋯⋯。
「まぁ、そう興奮するな、察しの通り成均館だ」
「アーーーー!!!!!!!!」
「うるさいぞ、ゴリツン! 吠えるな!」
◇
ヨム・ソユンは大商人ハルに、かつてのお嬢様のような生活を日々させてもらい満喫していた。だが今朝ハルから衝撃的な話を聞き、気が滅入ったソユンは昼ご飯を食べたあと、外に出て一人散歩をしながら考えていた。今は成均館通りを歩いている。
(10年前のあの日、アボジとオモニが毒殺されたかも知れないなんて⋯⋯そしてその犯人は十中八九、王宮内の者に間違いない、か⋯⋯もしそうなら必ず真相を突き止め犯人を白日のもとに晒してやるわ⋯⋯)
ソユンは良い香りにハッとした。辺りを見ると、いつの間にか成均館の目と鼻の先にある露店が並ぶ場所に来ている。前方にはソユンの方に向かって歩いて来ている騒がしい集団が見えた。
それは見るからに両班令嬢と、前合わせのある水色の長衣を着た、この国の最高学府である成均館の学生達だった。
もう少しで、すれ違う所で、一人の両班令嬢の大きな声が聞こえてきた。
「ご結婚おめでとうございます、ジアン様。ソル・ジアンから、ついにヒョン・ジアンになるのですね。ジアン様の幼き頃からのミンジュン様への一途な恋心には胸打たれましたわ」
「ありがとう。私は幼い頃から絶対にミンジュンと結婚すると決めていたのよ、私ソル・ジアンは卒業してヒョン・ジアンになります! なんてね、オホホホホホホ」
その瞬間、ソユンは歩くのを止めた。
(ソル⋯⋯ジアン⋯⋯?)
考えるより先にソユンの体と口が動く。
「ジアン? あなたジアンなの? 私、ソユンよ! 覚えてる?」
ジアンの集団は立ち止まり皆冷たい視線をソユンに浴びせている。
ジアンがソユンを上から下までマジマジと見て口を開いた。
「あなた、なんなの、いきなり⋯⋯えっ、まさか本当にソユンなの? なら、あなた王宮の女官よね? それを聞いて私、かつての両班のお嬢様が随分落ちぶれたものだと思ってたけど、なぜこんな所で両班のお嬢様みたいな格好でいるの? まさか王宮を抜け出して盗んだ衣服を着てるんじゃないんでしょうね?」
ソユンは驚きの声を上げた。
「ジアン⋯⋯どうして私が女官だと知ってるの?」
「そ、それは⋯⋯」
「それに私は世子様の命令で王宮の外に出てるのよ」
「世子様の命令? なんで⋯⋯」
その時、ジアンの後ろから一人の成均館の学生が出てきてソユンの前に割り込んできた。
「なぁ、ソユンなのか? めちゃくちゃ美人になってるじゃないか!! 俺だよ俺、ミンジュンだよ! 懐かしいな!」
「⋯⋯ミンジュン? 誰ですか?」
「おい、忘れたのか? 幼い頃、許嫁だっただろ! なぁ、女官なんか辞めて俺の所に来いよ、妾にしてやるからさ」
次の瞬間、ミンジュンの両肩がジアンの両手によって後ろに大きく引っ張られた。振り返ったミンジュンに怒りの顔を向けるジアン。
「は? 何言ってんの? 私と結婚したばかりなのよ! いえ、そもそも妾なんてダメに決まってるじゃないの!!」
「黙れ! ソル家が安泰なら構わないだろ!!」
そう言い放ったミンジュンは、ソユンの方に向き直るとソユンの腕を取り引っ張った。
「さぁ、ソユン、屋敷に来い!」
「やめて! 離して!!」
その時、露店から一人の若者が飛び出してきて、剣を抜きミンジュンの首元に突きつけ言った。
「やめろ! 嫌がってるだろ、その手を離せ!」
すぐにソユンの腕から手を離したミンジュンだったが、若者の見た目から両班ではないと分かると顔を引きつらせながら叫んだ。
「おい、お前、俺は両班だ! 俺に怪我をさせればお前の命はないぞ!」
「だからどうした?」
「何!?」
若者がソユンを背に回し剣を改めてミンジュンに向かって構えると露店にいる人々がザワザワし始めた。
その時、露店から両班姿の巨大なマウンテンゴリラの獣人内官長ゴリツンがウホウホ言いながら駆け寄ってきた。右手には人の頭ほどの巨大な焼きリンゴを持っている。
ゴリツンは若者に声をかけた。
「どうした? 何かあったのか?」
「いえ、申し訳ありません、騒ぎにはしたくなかったのですが」
ゴリツンは若者の前に出てミンジュンを見下ろしながら低い声で言葉を発した。
「うちの従者が何か粗相をしましたかな?」
そう言って右手に持っていた人の頭ほどの巨大な焼きリンゴを一瞬で粉々に砕いた。
グワシャッ!!
ミンジュンとジアン達は、その迫力にたじろいでいる。
ジアンがミンジュンの袖を引っ張ると、ミンジュンは叫んだ。
「お、覚えてろよ!!」
ミンジュンは逃げていった。ジアンや他の者もミンジュンを追いかけていく。ソユンは若者に声をかけた。
「助けていただいて、ありがとうございます」
「いえ⋯⋯」
「あの、お名前は? お礼をさせてください」
「キム、ドニョンと申します。お礼など要りません。あたりまえの事をしたまでです」
「そんな、ドニョン様、是非お礼をさせてください。私はヨム・ソユンと申します」
「えっ!! ヨム・ソユンですと? そのお名前⋯⋯まさか、まさか、まさか⋯⋯面影もある⋯⋯も、もしや、あなたは右議政様のお嬢様なのでは? 私です、幼い頃、ヨム家でソユン様の従者だったユ・ドニョンです!!!!」
「本当に、あのドニョンなの!?」
「はい、お嬢様、あの時、山から戻れず、おひとりにしてしまい申し訳ございませんでした!!!!」
その場に土下座し泣き崩れるドニョン。
「ドニョン!!!!」
ソユンは、ドニョンの肩を抱くようにして上から抱きついた。
「いいの、いいのよ! 分かってるの! あなたは私を置いて逃げる人なんかじゃない! きっと何か理由があったのよね?」
「お、お嬢様ーー!!!!」
そう叫んだあと言葉を発せないほど号泣しているドニョンの姿に巨大なマウンテンゴリラの獣人内官長ゴリツンは露店にいる王様と宮廷魔術師長を気にしながらも不思議そうな顔をドニョンに向けたのであった⋯⋯。




