第3話 水刺間の女官になったヨム・ソユン
「ねぇソユン、ちょっとあそこのチヂミ取ってきてよ、無理なら隣の生果房の菓子でもいいわよ」
その声に振り返った瞬間、19歳になったばかりの薄い赤色の女官の宮廷民族衣装を着たヨム・ソユンは強烈な既視感を覚えながら目の前でニヤリと笑う少し年を取った濃い緑色の上級尚宮の宮廷民族衣装を着たハン尚宮に答えた。
「またですか? ハン尚宮様って、私が女官見習いになった10年前から、その言葉、いつも私に言ってますよね?」
「はぁ~? ちょっと何言ってんの? そんなことないでしょ! それじゃ、まるで私がつまみ食いの常習犯みたいじゃないの!」
その言葉にミョン・ウンソがソユンの代わりに答える。
「はい、ハン尚宮様は、ず~っと、つまみ食いしてますよ」
「コラ! ウンソ、そんなこと言ってると仕事増やすわよ!」
「え~! なんで私だけ? ねぇ、ソユン⋯⋯ソユンってば!」
その時ソユンは、ぼーっと考えていた。
(10年か⋯⋯長いようであっという間だったな⋯⋯やっと今年、ウンソと希望通りの部署、焼厨房の中の王族の食事を作る水刺間の女官になれて本当に良かった⋯⋯)
ウンソがハン尚宮に追いかけ回されているのを横目に見ながらソユンが仕事を再開しようとしたその時、後ろから男の声がした。
「じゃあ、俺もつまみ食いさせてもらおうかな」
「もう、誰ですか? 怒られるのは私なんですよ!」
そう言いながら振り返ったソユンは驚愕した。なぜならその声の主は、前合わせのある、ゆったりとした薄い紫色の格調高い長衣を着たドラゴガルド王国の王太子、ルキ世子だったからである。長衣の両肩と胸の部分には金色の刺繍で不死鳥が描かれていた。
「そうなのか? ならやめとくか⋯⋯」
「ルキ世子様!!」
驚いたソユンが急いで礼を尽くしているとルキ世子の後ろからルキ世子の妻、リノ世子嬪の優しい声がした。
「いいのよ、そんなに慌てなくても、驚かせたのはルキなんだから」
「リノ嬪宮媽媽⋯⋯」
リノ世子嬪も宮廷民族衣装を着ていたが、女官とは違い光沢のある上品な布に華やか色彩の可愛い宮廷民族衣装だった。可愛い宮廷民族衣装の両肩と胸の部分には金色の刺繍で、薔薇が描かれている。
ルキ世子がリノ世子嬪に向かって口を尖らせ不満げに言った。
「嬪宮⋯⋯いや、リノ! わざと驚かせたんじゃねーよ。それにリノが良い香りがするから水刺間に寄ってつまみ食いしましょうって言ったんだろ」
「ええ、そうそう、それで水刺間に入ったら丁度つまみ食いの話が聞こえて⋯⋯って、ちょっとルキ! 私はつまみ食いしましょうとは言ってないわよ!」
「じゃあ、つまみ食いはしたくないのかよ!」
「したいわよ!」
「やっぱりな!」
リノ世子嬪はルキ世子に言い返そうとしたが、周りの変な空気を感じたため、気持ちを切り替えソユンの顔を見た。
「わ、私もつまみ食いしたかったなぁー⋯⋯だってあなた達が作る水刺間のチヂミは本当に美味しいんだから、うふふ⋯⋯」
その優しい話し方と褒められたことにソユンは嬉しさを滲ませながら答えた。
「リノ嬪宮媽媽、もったいなきお言葉にございます」
ソユンはどこかホンワカした優しいルキ世子とリノ世子嬪に少し気持ちが楽になったせいか急にリノ世子嬪の後ろ側が視界に入ってきた。
その途端、ソユンは一瞬で緊張が増す。なぜなら、そこには世子のお付きである黄緑色の内官の宮廷民族衣装を着た巨大なオスの熊の獣人と、魔術師のローブを着たハイエルフの青年と、世子嬪のお付きである黄緑色の内官の宮廷民族衣装を着た巨大なオスのシロクマの獣人と、魔術師のローブを着た20cm程の羽の生えた妖精の少女が、圧倒的な存在感で控えながら、ソユンを凝視していたからである。
さらにその後ろには大勢の女官もズラリと並び控えていた。
そのさらに後ろで青ざめているハン尚宮の姿がチラッと見えたところでリノ世子嬪の声がソユンの耳に入ってきた。
「ごめんなさいね、仕事の邪魔をしてしまって。今、あなたは私たち王族の夕食を作ってくれてたんでしょ?」
「はい、そうです」
その時、冷ややかな視線と共に魔術師のローブを着たハイエルフの青年の高圧的な怒鳴り声がその場の空気を切り裂いた。
「おい、お前、リノ様にまず名を名乗るのが礼儀だろ!!」
その声にルキ世子がハイエルフの青年に怒鳴る。
「スポックス! お前のうるさい怒鳴り声も礼儀に反してるだろ!」
その言葉にルキ世子の護衛、ハイエルフの宮廷魔術師スポックスは、すぐに淡々と言葉を並べる。
「はい、申し訳ありません、ルキ世子様」
それを見て空中をユラユラと飛んでいたリノ世子嬪の護衛、妖精の宮廷魔術師グリムアが呆れた顔をしてスポックスに聞こえるような声で口を開いた。
「全く、これだからハイエルフの男は⋯⋯」
すぐにリノ世子嬪が叱るような声をグリムアに浴びせる。
「グリムア黙りなさい、世子様の護衛に対し失礼ですよ」
「はい、リノ様⋯⋯」
その時、ルキ世子付きの巨大な熊の獣人の内官クレパンが、チラチラと睨み合っているスポックスとグリムアを制するように一歩前に出てきた。
「まぁまぁ、その辺にしときなはれ」
間髪入れずルキ世子が言葉をぶつける。
「クレパンは口を挟むな、話がややこしくなるから」
「は、はい、ルキ様、わては引っ込んどります」
するとリノ世子嬪付きの巨大なシロクマの獣人の内官カゴパンがニヤリとした顔をクレパンに向けた。
「ははは、怒られてやんの」
「なんやて!!」
ガシッ!!!!
手四つで力比べをするクレパンとカゴパン。
リノ世子嬪が慌てて叫ぶ。
「ちょっと、やめなさいカゴパン!! 今言ったばかりでしょ!!」
その声にすぐさま離れたクレパンとカゴパンを見てリノ世子嬪はソユンに向き直った。
「⋯⋯で、えっと⋯⋯何の話してたかしら」
「あ、あの、も、申し訳ありません! 申し遅れました、私は焼厨房、水刺間の女官ヨム・ソユンです」
「ああ、そうだったわね、ソユンっていうの? 良い名前ね」
その途端、女官たちが控える後方から驚きの声が水刺間に響いた。
「えっ!! そんな!! まさか、あなたなの!!!!」
女官をかき分け後ろから走りよってくる女性。その女性を見たソユンが叫ぶ。
「ハルさん!!!!」
ソユンもハルに駆け寄り両手で大商人ハルの両手を握ると一気に胸が熱くなり涙が溢れた。
リノ世子嬪が声をかける。
「ハル、どうしたの? あなたこの子を知っているの?」
「はい、リノ嬪宮媽媽、取り乱し申し訳ありません。ヨム・ソユンは私の知り合いなのです」
「そうなのね。それで、どういった知り合いなの?」
「えっ⋯⋯そ、それは⋯⋯娘のように可愛がっていた者でソユンが10年前に王宮に女官見習いとして上がってから、針房尚宮様との仕事の度に会えるかと期待していたのですが、一度も会えなかったのです」
「そう、それは感慨深いわね、それなら取り乱しても仕方ないわ」
それを聞いたルキ世子が笑顔でソユンと大商人ハルに話しかける。
「そうか、ならしばらくソユンには休暇を取らせ⋯⋯おっと、他の女官のいる手前、ちゃんとした理由がいるな」
リノ世子嬪が閃いたような顔をルキ世子に向けた。
「ルキ、私今回ハルの店からたくさんの衣服や身に付ける物を買ったの、そのハルの店と私との取次役として王宮の外に出してあげたらどうかしら」
「さすがリノだ! よしそうする。そういうことだから、あとはクレパン頼んだぞ」
「まかしといておくれやす」
大商人ハルは潤んだ瞳でルキ世子に満面の笑みを向けた。
「ではソユンは王宮の外に出ても⋯⋯」
「ああ、但し王様には内緒だぞ、あはは⋯⋯」
「世子様、感謝いたします⋯⋯」
◇
ソユンは荷物を取りに自分の部屋に入った。後ろから大商人ハルも入る。
ソユンは突然振り返るとハルに飛びつくように抱きついた。
「ハル様⋯⋯」
堪えていた涙が頬をとめどなく流れ落ちていく。
ハルはソユンをギュッと抱きしめ優しく声をかけた。
「ソユン元気だった?」
「はい、ハル様、その節は本当にありがとうございました、今こうして元気でいられるのも、全てハル様のおかげです」
その瞬間ハルの頬に一筋の涙が伝う。
「立派になったわね、ソユン⋯⋯」
――それからソユンとハルは積もる話が抑えきれなくなり王宮の門が閉まるギリギリの時間まで話をしたあと、大商人ハルの屋敷に向かうため一緒に王宮の門をくぐったのだった⋯⋯。




