インクの小瓶
「このアシスタント、美香さんに似てますよね」
「何について調べますか」
「似てる」
「職場でこんな派手な服は着たくないよ」
斉藤さんと美香さんが雑談しているところに社長が戻ってきた。
「ただいま。ふたりだけですか」
「おかえりなさい」
「これからお昼ですか」
「モスはずいぶん混んでたよ。景気がいいのか悪いのかわかんないね。これあげる」
「ありがとうございます」
左手のコンビニ袋からプリンを取り出して渡すと斉藤さんはスプーンを取りに行った。美香さんは招き猫の横にお供えしている。社長は自席できんぴらライスバーガーを取り出した。
「家庭用プリンターで使える便箋とカードがウェブサイトで売れてますよ」
「特集ページに効果あったんだ」
小さな写真が4枚とストーリー。Wordで手紙を書く。インクジェットプリンターで便箋に印刷する。切手を貼って投函する。受け取った人が喜ぶ。
「あれ工場長が出てきてびっくりしました」
「山下さんがご自宅まで撮影に行ったらしいですよ」
「ワープロ専用機もそうだったけど、プリンターとパソコンは新しい文房具なんだろう」
「とくに Word 97 は書き方まで教えてくれます。新緑の候、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます」
「初めは無駄な機能に思えたけど、でもあれで手紙を書き始める人がいるんだから。過ごしやすい時季とはいえ、ご無理をなさいませんようご自愛ください」
社長はモスチキンとオニポテに交互に取りかかった。
「業界全体を見ましてもペーパーレス化が進んでいるのはビジネス用途だけのようです。家庭需要の増加が補っています」
「どうかな。ずっと安泰な会社なんてないよ。半導体や自動車だってどうなるかわからないくらいだ」
「社長は悲観的なんですか」
「そんなんじゃないよ。襟を正しただけ」
しばらく黙って食事を続けたあと、食後のコーヒーを飲み始めた社長は何かを取り出した。
「これ、かわのインクさんの。工場を見に行ったら最後だからってくれた。記念品だって」
「インクじゃないですか」
「うん。最終ロットのおすそわけ」
「残念でしたね。ファンも多かったのに」
「しょうがないよ。万年筆用のインクだけじゃ続けられない。最近は円安だから輸出に望みをかけてたけど、まあ力尽きたみたいだ」
「どこかに飾っておきますか」
「誰かが使うのがいちばんいい。誰かいないかな」




