フライングソーサー
営業の裕太君が出社して一服しようとしたらアルミ灰皿が消えていた。書類をどかして探すが見つからない。机の下にもない。窓を開いて空を見上げても、そんなところにあるわけない。灰皿が飛ぶわけでもあるまいし。
「なあ、灰皿知らないか」
お茶を飲んでいた美香さんは無言で壁を指差した。ホワイトボードの右端に新ルールが縦書きで書かれている。先頭の4文字には赤のマーカーの傍点まで打たれていた。
・・・・
室内禁煙。裏口の内側に灰皿を設置する。使用者が掃除すること。
「なんだこれ」
「パソコンに悪いんだって」
意味がわからない。健康のため、の間違いじゃないの。それにしても。
「今までそんなこと言わなかったじゃん」
「でもそう決まったの」
「社長はどこ行ったの」
「たぶん工場」
裕太君はもう一度、窓から空を見上げた。厚い雲に太陽が見え隠れしていた。
工場では竹山工場長が困った顔をしていた。彼にとって正しいことはその手帳に書いてあることだ。今は書いてないことを言われて反応できずにいるのだろう。今まであまり口出しせず、まかせきりにしていたのだから、こうなるのも仕方がない。
「製造日報は工場長だけが書いていました」
社長が日報の束をばさばさと振りながら言った。
「これからはそれを他の社員にも書かせるようにしてもらいたいのです。工場には3人います。新卒も入れるつもりです。全部で目がいくつありますか」
社長は答えを待たずに続けた。
「竹山さんひとりの分の数より多いと思いますね」
それはそうだ。
「他の社員が書くとしても何を書きますか。自分の作業分なら書けるでしょうが、工場全体を見ているのは私だけです。私が全部把握してるんです」
「だからそれを改めようって話なんです。全員で工場全体を見たら、もっといろいろ気付くんじゃないですか。たとえば」
と床を指差して言う。
「ラインテープが剥がれて意味をなくしてますね」
「わかっています。貼り直すつもりです」
パレットや木箱の通り道をふさがないよう白テープで誘導している。それが無効化されていたら作業が止まるかもしれない。衝突事故だって起こり得る。けっして些細なことではない。
「でも報告していない。みんなで見ていたら報告されてたと思います。そしてすぐ直したでしょうね。5Sはひとりでやるものではないですよ」
ちゃんと書いてあったのに、To Do の優先順位を間違えたのだ。工場長の頭の中のリフィルが整理されて順序が入れ替わる。整理、整頓、清掃、清潔、躾。なるほど、社長は自分をしつけているのだ。気持ちを落ち着けて、かつての部下の顔を見た。先代社長とよく似た顔で話し方もだんだん似てきたように思えた。
笑みを浮かべた竹山工場長に社長はしばし黙った。
「ともかく順番に日報の担当を回してください。そのための書式を作ります。それから日報は今までは事務所でファイルしてましたけど、今後は確認後にコメントを入れて現場に戻します。ファイルして保管してください。こちらに置いたほうが役立つでしょう」
「わかりました」
社長は立ち上がりかけて何かを思い出したようだった。
「それともうひとつ」
「はい」
「工場の社員にも喫煙者がいましたね。道路に出て吸っているのを見たことがあります。事務所側の裏口に灰皿を設置したので、そこを使うように指導してください。使用者が交代で掃除をするようにとも」




