猫の話
次に注文の入力。商品番号を入力すると商品名、JANコード、価格と展開される。さらに注文数量の入力欄と在庫表示、改行して特記事項。
「実は内部では受注情報と注文明細を分離しました。ひとつの受注で種類の注文は3行までという制限は撤廃されます。画面上では統合して表示されるので使い方は変わっていません」
「商品番号のない商品はどうしますか。名前でも検索できますか」
「それは商品ではないです。商品番号のない商品というものは存在しません。他の会社では例外商品という名前の登録を使ってるところもあります。あるけどそれは良くないと思う。本当に片付けたことにはならないから。ごみ箱を用意したら使ってしまうでしょう。検索については、JANから引けたら便利という意見もあるので検討はいろいろしてます。今は商品番号だけです。Excelで探すことはこれまで通りできるはずなので、不完全でも未完成でも、不便にはなってないと思うんです」
「合計ボタンがなくなりましたね」
「その通りです。顧客番号、商品番号、注文数量、送料のどれかを入力したり変更したりすると関連する項目が自動的に変わります。入力が終わったら登録です。登録ボタンをクリックして受注一覧に登録したら登録完了の表示が出ます。そのあとは画面をリセットして新しい注文番号を作ります」
「ここが前と違っています。販路の表示です」
「そうですね。ここでは卸売と直売を0/1で表現していましたが選択式になりました。またネット以外の直販ルートができた場合は増える可能性もあります。ところでこの価格ですが、これまでと同様に販路によって小売価格と卸価格が切り替わります。もちろん書き換えができますよ」
裕太と山下さんの目を見てこう続けた。
「卸価格は掛け率50%つまり上代半掛けです。メーカーがこの基準から外れると小売店が困ります。大口にはバックする契約で帳尻を合わせてきました。ただ今後は変わる可能性があります。価格交渉の要請は何度も来ます。もしかしたら将来は小売価格と卸価格を別に持つのではなく、契約マスターに掛け率を持たせて計算させるかもしれません。オオミヤさんの政治力は思った以上です。まあ、入力には関係のないことでしたね。話がそれました」
社長は気を取り直すように顔を上げた。
「在庫という項目は前はなかったでしょう。倉庫に在庫がある時はここには何も表示されません。もし在庫がゼロの時は欠品と表示されます。それから右上の詳細というボタン。これを押すと在庫欄に在庫の理論値が表示されますので、実際にどれくらいあるかを確認できます」
「今までできなかったところですね」
「はい。今ここに入っている理論在庫はたんなるダミーではありません。昨日の夕方の段階での竹山在庫です。ああ、すいません。竹山在庫というのはですね、竹山式在庫ノートつまり工場のパソコンで毎日計算している在庫数量のことです。これを昨夜移植しました。実在庫との乖離率は5%以下です。使える数字だと思います」
工場でExcelを使っていることは知っていたけど、そんな名前があったとは。
「それでですね、受注入力をするとこの理論在庫が引き落とされて減るんです。減ってなくなった状態で受注すると仮受注というフラグが立って、受注管理画面というところでもそれがわかるんです。このときに理論在庫はマイナスを許容します。在庫がなくても注文を受けることはできるんですね。受注残がマイナスで出るわけです。その場合は担当の営業やネット通販担当に顧客対応をしてもらいます」
「ネット通販担当は真子ちゃんですか」
「いいえ、真子ちゃんはウェブマスター。ネット通販担当は美智子さんにお願いするつもりです。まだ本人に言ってなかったですね。美智子さん、そういうわけで注文を受けた品物がない時はお客様にメールでお知らせして、お待ちいただくかキャンセルかのご判断をお願いしなければなりません。そういうことはたぶんないと思いますけど、お願いします」
「わかりました。でもそういうことは起きないんでしょう」
「ええたぶん。将来的には、いつ追加生産や入荷するかという情報も共有したいです。そうすればお客様に説明できますからね。でもまだ難しいです」
「ここまでで何か質問はありますか」
「はい。あの、ところで理論在庫ってなんなんでしょう」
社長は腕を組んでしばらく考えていた。
「斉藤さん」
「はい」
「上手な説明をお願いします」
「はい」
斉藤さんは前に出てきて、それからお財布を取り出した。
「美香さん」
「はい」
「300円あげます。ポケットに入れてください」
「はあ」
手を出して受け取った。
「さあ、ポケットにいくら入っているでしょう」
「300円です」
「どうしてわかるんですか。見てないのに」
「さっき300円を入れたからです」
「その時点では実在庫です。でも入れた後は300円あるはずだという仮説でしかないのが理論在庫です」
「はい」
「ポケットに穴があって200円しかないかもしれない。200円あれば自販機で120円のジュースを買えます。でも100円しかなかったらジュースは買えません。つまり理論在庫と実在庫は乖離する可能性があって、その大きさによってリスクも変わるのです。そして理論在庫の正しさを証明する方法は現物確認しかありません。猫が生きているかどうかはわからないのです」
「どうして猫の話になったんですか」
「300円返してください」
「理論在庫はポケットの穴以外でもずれます。破損や紛失や返品を正しく処理していない場合。盗難、数え間違い、勘違い、入力ミス。だから定期的にチェックして補正するのです。代表的なのが棚卸し。あれは税務や財務のために必要なことですし、法律上の義務でもあります。そしてそれ以上に理論在庫を正すための現物確認でもあるのです。棚卸しだけでは足りないので、不定期に確認を行って反映しているのが今の工場のやり方、すなわち竹山式在庫ノートです。今日のシステム導入よりずっと前から、この理論在庫を元に生産スケジュールを組んでいます。この半年以上は欠品はないしギリギリの状況にもなっていません。在庫が過剰になってもいません。それじゃあ、これから工場に猫を見に行ってみましょうか。テンポが悪くて申しわけないですが、受注の続きはそのあとでまた」




