姿勢制御
カヌレを手に取った社長が興味深そうに聞いた。
「せっかくなので食べながら話しましょう。でもなんで帰省のお土産が銀座なの」
「自分用に買いに行ったんです。ついでです」
山下さんは明日からの出社のはずだった。小さな紙箱をもうひとつ手元に置いているのが自分用なのだろう。
「まあいいや。今年もよろしく」
「お湯が沸きましたよ。ネスカフェでいいですか」
「せっかく来たんだから仕事の話もしようか。先月の集計をさっき見ていたところだ」
コーヒーとともにカヌレに向かうのは裕太と山下さんだけ。竹山工場長と美香さんは昼で上がった。他は今日まで正月休みだ。
「Excelで商品ごとに売れた数と日付を見られるようになったのがすごく大きい。しかも必要ならいつでも集計ができる。以前は作った数と棚卸し結果から売れた数を年末に計算していた。請求書や入金記録から商品の集計をするのはなかなか難しい。だからよくわからないまま作ったり売ったりしていた。これで何年分も見られるようになったら経営が変わるよ。このカヌレは思ったより表面がカリカリだね」
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前年在庫 + 生産数 - 現在庫 = 売れたはずの数
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受注レコード
注文番号、納品状態、集金状態、顧客情報、注文明細は1件に3件まで (商品番号、商品名、単価)
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あれからまだ一年も経っていないのに、集計だけでなく仕事のやり方そのものが大きく変化した。紙が減ったわけではないが、紙そのものが見やすく整理されたものになっている。商品や顧客は番号や数字でやり取りされるようになった。トイレの張り紙ひとつ取ってももはや手書きではない。
「JAN整備も進んでる。うちでは新商品も廃番も数年ぶりなんだよ。同じものばかり作って売る会社だった」
「以前の新商品ってなんです」
「昭和の終わりにパソコンゲーム用に方眼ノートが売れたことがあった。それで大きいサイズを出したのが新商品。売れなくなって止めたのが廃番。つまんないでしょう」
どんな人が方眼ノートを買っているかは客先で聞いて知ったのだろう。どうやって需要を計測したのか、誰が新商品を決めたのか。興味深い。
「洋酒が入ってる。ラムかな」
食べ終えてひとやすみ。年末は大雪だったのに年が明けたら暖かい。山下さんは茶色のタートルネックだけでコートも着ていない。
「JANのほうは売上構成比の大きいものはだいたい終わりました」
「旧商品の在庫はそれなりだ。売れるものは売れてなくなる。売れないものは残る」
「残っているのはB5ですね。A4はどれも売り切って廃番です」
行政が変わると大会社が追随する。そうなれば中小企業も合わせざるを得ない。学校も家庭も変わる。その早さは想定を超えていた。それを考えたらB5の在庫はうまくやったと褒められるくらいには調整されている。この調子なら大丈夫だ。
裕太がようやく食べ終えて話題に参加する。こぼしているところを見ると食べにくかったようだ。手を拭いてからカバンから薄いカタログを取り出した。
「商品マスターには定番、特注、廃番ってありますね。でも定番ってなんなんでしょう。測量用のノートはカタログにないけど、倉庫にはあるし、測量会社からも普通に注文が来る。学校向けの集計用紙はそもそも他社の商品です。カタログに載ってなくて在庫も持ってないのに定番扱いなのが不思議です」
「カタログ掲載や在庫の有無は定番とは関係がない。そういえば説明したことなかったか。定番というのは契約書のない約束なんだよ」
契約書のない約束。聞きなれない言葉に裕太はわずかに困惑している。カタログをめくっていた手が止まる。
「測量会社と約束があるんですか」
「ある。顧客のほうは発注したら持ってくると信じてる。こちらも注文には必ず応える。そういう約束が成立している商品が定番品」
「じゃあ廃番というのはなんなんですか」
「もう売らないという意思決定。だから手続きが必要になる。測量会社さんの注文に廃番だから出せませんといきなり言うのは約束違反。だから事前に言っておくとか、残り在庫をまとめて買ってもらうとかの手続きがないとできない。廃番後にどうしても欲しいと言われたら特注だ。契約を交わしてロットで作る。同一SKUでも状態が変われば扱いが変わる」
「ちょっと待ってください。カタログが無関係と言ったら誤解が生じます」
「それはそうだな。じゃあ説明してみて」
山下さんが割り込むと社長はすこし笑ったように見えた。これは予想されていたのかもしれないな。裕太君からカタログを受け取り主力商品のページを開いて見せた。
「カタログに掲載されている商品はすべて定番です。これは間違いありません。しかしすべての定番品が載るわけではないのです」
「そこが俺の疑問なんですよ。なんで掲載する定番としない定番があるんですか」
「売りたい定番品を掲載する。それだけです。たとえば利益の多い商品を優先的に売りたい。多くの人が欲しがる商品を売りたい。ニッチな商品はあまり宣伝したくない。廃番候補はとりあえずカタログから下げる」
今まではそれもできてなかったんだよなあ。同じカタログの表紙の年号だけ変えて出していた。数年前に一部商品の入れ替えがあり、それからは価格改定をちょっとしたくらい。山下さんには古いファイルを渡して、まずは商品番号を付けてくれと頼んだ。今年はどこまでやれるかな。
「ああ、わかった。どの商品にJANコードを付けるかって話と同じだ」
「そういうこと」
そこで話が終わったらもったいない。せっかく理解が進んだのだから続けよう。
「定番はひとつの状態じゃないんだ。主力商品、維持商品、育成商品、廃番候補。それは売上や利益率で決めるのか。データは判断材料でしかないです。決めるのは会社の意思と責任です」
「そういう状態も商品マスターに書き込むんですか」
「いや書き込まない。別にまとめて参照する。判断はマスターデータではないから。営業、企画、工場、経理はみんな考えが違う。斉藤さんはひとつ作ったらひとつ減らすのが良いって言ってたな。それもひとつの考え方です。話し合って決まらなかったら私が決めます。決めた結果を表現するのがカタログ。営業にとってカタログは出発点になるけど、会社の判断としてはカタログは結果になるんです」
裕太君の中でカタログの意味が変化していることが表情からわかる。彼もだんだん主任らしくなってきた。
「ついでに特注のことも聞いていいですか」
「ちょっと待って。コーヒーのお代わりを作ってくる。君らもいるか」
魔法瓶とネスカフェとティーバッグと角砂糖が事務机に置かれた。
「定番は供給継続、廃番は供給終了の意思。そこまではいいね」
「特注はどちらでもないんですよね」
「まず特注品の在庫は持たない」
それはそうだ。残っても困るから。じゃあどうやって残らないようにしてるんだろう。前は残ることもあったよな。
「うちは頼まれた分を作る。作ったものは全量買い取り。そのことは契約書にしっかり書いてある。つまり個別契約の商品が特注品」
「さっき廃番商品が特注になるって言いましたよね。ロットで売ることになるからですか」
「在庫を持たないためにはロットで売るしかない。もちろん在庫を持つという契約をすることは可能です。でもやらないことにしている」
「じゃあ廃番商品の在庫が残っている場合はどうですか。注文が来たら応じるでしょう。でも特注じゃない」
「本当は売り切ってから廃番にしたいんだ。それができないのは営業が在庫情報を持っていないから。なんとかしたいね」
社長が箱に手を伸ばした。裕太君はひとつだけ残ったカヌレを見つめた。




