↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/113

山根さんの仕事

山根さんは住宅街と商店街の境目に位置する文房具屋を朝いちばんに訪れた。しばらく雨が降っていないのでビニールのひさしが排気ガスで汚れている。


「おはようございます。比野文具でございます」


青いエプロンの中年の店長がクリップボードを手に振り返った。


「ああ、ゆりちゃん。おはよう。今日はお相手する余裕がないんですよ。すみませんね」

「今日は棚卸しの日でしたか。せっかくですからお手伝いしましょう。どこまで終わってますか」

「助かります。じゃあその列だけお願いできますか」


にこやかにペンと用紙を受け取り棚に向かう。

お店からメーカーや問屋に手伝いに来いと言うのはさすがにまずい。だけど、たまたま来て自分から手伝いを申し出るなら問題になりにくい。

その列だけと言ったのに小物ばかりの列を追加された。望むところです。今日はヒールが低めなのです。指示された場所を終えるのに1時間くらい。倉庫の奥も見たかったな。


「ありがとう。今日は発注はないんだけど、また顔を出してよ」

「はい、ありがとうございます」


このお店は定番のノートを2SKUだけ置いてくれている。A4の白い表紙の細罫と太罫だけ。店長に増やす権限はないので要望を口に出してはいけない。このお店には配達でなく運送屋が届けているので、こうやってたまに巡回しているのですよと説明してある。ただ営業が様子を見に来ただけ。


店を出てすこし歩いてから日陰で立ち止まり名刺入れを取り出す。彼女の名刺入れはマイクロ規格の5穴システム手帳になっている。他社から発売されて流行しているものだ。

訪問先リスト。次は同じ小売会社の別の支店。場所を把握して地下鉄マップを開く。一駅移動して徒歩、いやここから歩いても時間はそれほどかからない。歩こう。手帳の最後のページは手鏡。周囲に注意しながら髪と化粧を確認する。問題なし。


「おはようございます。比野文具でございます。こちらも棚卸しなんですね」


小さなお店ほど早く終わるので先に訪問した。最後の支店は大きめなので昼までかかるだろう。運が良ければそちらも手伝える。



入社後は上司で主任の裕太さんの配送に同行して営業の仕事を学んだ。それから配送ルートを分担しようとしたときに重大な事実が判明した。山根さんは自動車の運転が致命的に下手だった。


「この免許証はどこで買ったの。本物じゃないよね」

「教習所なら普通に運転できるんです。路上教習はたまたまうまくできて」


裕太さんが頭を抱えた。彼女に配送は無理だ、社長は採用前に実技試験をするべきだったと顔に書いてあった。


「役割を変更しよう。既存客は俺が見る。今までひとりでやってたから大丈夫だ。山根さんは新規担当」

「私にも配送くらいできます。ちゃんと前を見て運転するよう努力します」

「取り返しのつかないことになるよ。本当にまずい。電車で移動してお店に飛び込んでください。それなら誰も死なないから」


それからは裕太さんが用意した文房具店の地図を見ながら訪問活動をした。お取り引きのないお店ではサンプルとカタログを渡して商品の説明。ロットや注文方法など。すでにお取り扱いのあるお店では他の商品のご紹介など。

給料分は働いているという自負はあるけど、言われた店に行って決まったことを話すだけなんてつまんないな。



「サンプルOK、社内調整OK、価格OK、物流問題なしです」


山下さんがオオミヤ案件の結果を報告している様子を見ながら思った。たったひとつの契約で経営が変わるほどの売上が見込まれる。すごい。

やる気を奮い起こした山根さんが自分で作った訪問先リストを見た裕太さんはまた頭を抱えた。


「複数店舗の会社ばかりだ」

「そうです。効率がいいです。重点的に狙っていくべきです」

「行くなとは言わない。ついでにアタックするならかまわないけど」

「本当ですか。それならついでに行きますので認めてください」


裕太さんが作ったリスト通りにお店を訪問する。そのついでに自分が狙いたいお店にも行く。

大きければ大きいほど経営者やバイヤーに会うのは難しかった。大量に名刺をばら撒き、会えるなら社長でなくても会ってノートの使いやすさを説明した。店長さんとお話ししたり、POP書きを手伝ったりすることもあった。うちの商品がひとつもない棚を飾り立てるのはなかなか複雑な気分だった。

だけど契約まで行くのは裕太さんが選んだお店だけ。何がいけないのだろうか。


「100件まわれば1回会える。100回会えば1件くらい取れるよ。家族経営の小さな店はそれぞれ10回ですむ。どちらが効率的だろう」


裕太さんは意地悪だと思った。



ある日、私鉄沿線に書店を5店舗運営するグリーンブックさんからご指名が来た。

ここは本屋さんなのに文房具にも力を入れているお店だ。何度か訪問をしたけれど仕入れ担当者には会えなかった。だけどお店がきれいなので空振りでも楽しかった記憶がある。


「山根さん、おひさしぶりです」


指定された時間に本社に向かうと知った顔の人に出迎えられた。店長さんだ。


「来月から営業本部長に就任することになりましてね。お店を増やすのが仕事です。仕入れの権限はないのだけれど、バイヤーに紹介するくらいはできます。実は山根さんが置いていったサンプルを渡したら反応が良くて。それでお話ししておこうと思ったんですよ」


それから文房具バイヤーの山野さんを紹介され、電話で何度も話し合い、1SKUだけ棚に置いてくれることに決まった。


苦労と売上と効率とが頭の中でぐるぐる回る。何が正しいかまだわからないけれど、ひとつの方向が見えた気がした。帰社するとコージーコーナーのシュークリームを抱えた裕太さんが待ち構えていた。



それからは意図して関係構築を狙うようになった。狙ったお店の大掃除、棚替え、POP替え、棚卸しは把握しておいて偶然を装って手伝いに行く。名刺はケチらない。営業は恩を売って縁を買う仕事だ。

今日のブンキチ商店さんはきれいな新店舗と老朽化した旧店舗の違いが大きい。リニューアルか移転か新店かわからないが何か動きがあるはずだ。人事もきっと動く。私の予感ではあのブルーのエプロンの店長さんが役員になる気がするんだけどね。だってあの人が店長になってからお店が持ち直してる。そして社長さんと同じ苗字。それだけなんだけど。


公衆電話を見つけたので上司に連絡する。


```

*2*27542923171## (モトリマス)

```


ピーピー鳴る電話機からテレホンカードを取り戻して手帳のカードホルダーに収納する。冷たい秋の風が路上を吹き抜けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。