スピンオフ・カップリングテーブル 1/2
先年のお見合いが実を結んで美香さんの結婚が決まった。仕事は続けたいと言ってくれているので、おおいに安堵した。式の日に入籍もして、それから彼女は木下美香さんになる。
「そうなんですよ。同じ姓だから名前が変わらないんです。なんか得しちゃいました」
「でも美香さんと呼ぶのはおかしいでしょう。木下さんとお呼びします」
「前にもそう言ってましたよね。でも自然に名前になっちゃうんですよ、この会社は。どちらでも良いですよ」
名前は同じでも住所や身上は変わる。雇用保険、社会保険、通勤費、年末調整も手続きがある。事前に書類を用意しておくと斉藤さんが言っていた。
「それじゃあ裕太君、明日は受付をよろしくね。これが出席者の名簿だからプリントアウトして使って。山下さんと山根さんにもよろしくお伝えしておいてね」
式の前日まで仕事をしていた美香さんはそう言い残して昼で退社した。
結婚式は明日。俺と山下さんは休暇を取って出席することになっている。ついでに弟さんといっしょに受付係を務める。もうひとりいればなと話していたら、社長が山根さんは業務で手伝いをするようにと命じた。まだ俺がいないと動けないからだ。
手元のフロッピーを見て裕太君は思った。わざわざ印刷しなくてもいいんじゃないの。
「新婦側14人、新郎側16人。大安でも平日の昼ならこれくらいなんでしょうね」
「それで段取りなんだけど」
裕太君が提案した手順に山下さんも同意した。バブル時代と違う地味婚にすこしばかりの憐憫も感じていた。それならできるかぎりのことをしよう。
「どれからやればいいんだ。各テーブルに配るのはやっぱり印刷しとかないといけないんだろうな。次に倉庫のあれを持ってきて設定とテスト。車両の使用許可ももらわないといけないし、シールも買って来ないと」
「倉庫には私が行ってきます。裕太さんは社長のところへ」
「そう、じゃあ山根さんはさっき話したシールを徒歩で買ってきてください」
「わざわざ言われなくても徒歩でいきますよ」
言わないわけにはいかない。彼女の運転には大問題があると判明したのだから。
水曜日の大安の日。美香さんの受注業務は美智子さんが行い、姉の智子さんがサポートする。工場は通常通りの業務で営業部は休み。配達を休んで発送に切り替えた店のことを山根さんは気にしていた。裕太君は心配していない。ちょっと頭を下げて結婚式の話でもしてやれば、かえって関係が深まる相手だと考えているからだ。そういうことも教えなくてはいけないと思った。
決めるまでが長くて、決まったら迅速。美香さんは社長をそう評したことがある。決めるまで何年かかるのかと思っていたら、商品番号や顧客番号を作り出し、パソコンとExcelを導入し、次はJANコードだ。迅速すぎて目がまわる。だけど以前の停滞よりずっと良い。自分に部下や後輩ができるなんて。
大通りに面した伝統あるホテルの小さな宴会場が会場。披露宴は11時30分に始まる。1時間前に行って準備をすれば、ちょうどいい頃合いに出席者が現れるはずだ。
「木下満です。本日はよろしくお願いいたします」
弟さんは大学生。成人式で使ったスーツに新品の白いタイをしている。彼が受付の責任者だ。
裕太君と山下さんは仕事用の濃紺のスーツ。裕太君は黄色、山下さんは水色のネクタイをしている。山根さんは普通のブラウスと膝丈フレアスカート。受付なので淡いピンクのコサージュを胸元に付けている。
「比野文具の近藤と山下です。それからこちらは山根です」
「よろしくお願いします。それにしてもいったい何を持ってこられたんですか」
「ええ、受付に必要な機材です。それとこちらは印刷済みの名簿です。各テーブルとスタッフさんの分です。もし足りなければご用意しますので言ってください」
受付のスペースは細長いテーブルに椅子がいくつか。奥のパーテーションの後には小さなテーブルと椅子が隠れている。コンセントの位置を確認。スタッフさんが不思議そうに電話で教えてくれた情報通りだ。
「では手筈通りに。山根さんは芳名帳と筆記具とシールを取り出してください」
カローラバンで運んできた大きな機械を山下さんが抱えてパーテーションの裏に運びこんだ。PC-PR101TLはNEC純正のPC-98シリーズ用の熱転写プリンターだ。カラーリボンも使用可能だが今日はブラックしか持参していない。最新の IBM ThinkPad 230CS をこの古いプリンターにパラレルケーブルで接続する。ドライバは Windows 3.1 のFDからインストール済みだ。レーザープリンターと交代でお蔵入りになっていたものを山下さんが復活させた。
「終わりました」
「こっちも終わった」
机の右端に置かれた黒い箱は IBM ThinkPad 500 だ。それからFDDとACアダプターも。起動する。満君が不思議そうに見ている。
「こんなパソコンを受付に使うんですか」
「簡単で確実なのがいいでしょう。手順を説明しますね」
「本日は誠におめでとうございます」
山根さんがまっすぐにお辞儀をした。
「ありがとうございます。新郎の伯父の佐藤でございます。本日はお世話になります」
「佐藤様、恐れ入りますが、まずはこちらの芳名帳へ御芳名のご記入をお願いできますでしょうか」
佐藤さんがペンを走らせているあいだに裕太君は名簿からお名前を探し出す。佐藤さんは書き終えると内ポケットから薄い袱紗を取り出して開いた。
「こちら。些少ですがお祝い金でございます。どうぞお納めください」
「ありがとうございます。ご祝儀、たしかに頂戴いたします」
満君が両手で受け取って場慣れしていない様子で挨拶をする。笑顔が自然で良い。
「それでは、本日の席次表でございます。披露宴のお時間まであちらの待合ロビーにて少々お待ちくださいませ」
山根さんが佐藤さんをご案内しているあいだに満君はご祝儀袋の裏面右下に小さな丸いシールを貼り付けた。これは市販の番号シールで間違いの元となる6と9を抜いたものだ。番号はランダムでいいと言ったのに満君は端から使う。
「001番です」
Excelの名簿の佐藤の名前の右に新郎ご親族とある。その右に裕太君はご祝儀袋の番号を書き付けた。ご祝儀袋は満君が椅子の上に置いた箱に保管している。机の向こう側からは見えない絶好の位置だ。
ご両親はすでに中にいるのでご親族は伯父伯母ばかり。新郎にご兄弟はいないのだな。次々と受付しているところをホテルのスタッフが驚いて見ていた。
「ご親族は全員いらっしゃいました。もうしばらくしたら会社関係やご友人がいらっしゃるはずです。ここまでを集計しましょう」
フロッピーにファイルをコピーして満君に渡すと、彼は一礼をしてご祝儀袋とともに裏に消えた。
山下さんは裏でじっと待っていた。思ったよりテーブル幅が少なくて自分が行くと窮屈になりそうだったから。満君が声をかけるとあからさまにほっとした顔をした。
「お待たせしました。予定通りの時間ですね」
「では始めましょうか」
山下さんはフロッピーを受け取るとさっそく名簿をコピーして開いた。満君はご祝儀袋の束を取り出す。
「ひとつずつ番号と金額をお願いします」
「はい。001番、5万円」
山下さんは番号を探して、その右側に金額を数値で入力していく。
「002番、10万円」
簡単な作業だ。だがもしこれが手作業だったらどうだったかな。
「これで終わりですね。途中集計しますか」
「あ、はい。できればお願いします」
「印刷できたら持っていくから先に受付に戻っていてください」
満君は現金を数え直して手提げ金庫に入れるとそれを持って出て行った。
「本日は誠におめでとうございます」
「おめでとうございますー。新婦の短大の友人の、高橋と申します」
「同じく加藤です。おめでとうございます」
「同じく佐川です。よろしくお願いします」
「高橋様、加藤様、佐川様ですね。それでは、まずはこちらの芳名帳へのご記入をお願いいたします」
3人が記帳しているとき、奇妙な音が聞こえ始めた。ジーカタカタジジー。
キョロキョロしたり首を傾げたりしている様子は美香さんに似ている。友人も似るものなのだろうか。やがてご祝儀と席次表が交換されて彼らもロビーのほうに移動して行った。
「高橋様034番、加藤様035番、佐川様070番です」
「ちょっと待って。番号は飛ばしたんだ」
「あ、はい。わからなくなったので手元のを貼りました。まずかったですか」
「いいよ。はい、記入終わりました」
山下さんが印刷済みの途中集計を持ってきてすぐに引っ込んだ。満君はそれを確認してから封筒に入れて金庫にしまった。




