9ー12 今はワンちゃんでしょ!
マルローネ視点になります。
「マルローネ……ッ! 君は、こんなになってまで……」
「カシオ様のほうこそ……。お身体に支障はございませんか?」
「ああ、どこも問題ないよ。リコッタ嬢が、助けてくれたから」
慌てた様子で駆け寄ってきた少年の頭を、マルローネはそっと撫でる。
こうも心配されるほどだから、今の自分はさぞかしひどい状態なのだろう。限界の肉体を支えていた緊張の糸が切れてしまいそうになったが、気を失う寸前でぐっと踏ん張った。
書庫の亡霊は物理的に干渉できず魔法も効かず、依然として『無敵』のまま。推察するにその脅威度は、深層の上位種をも凌駕する。
低く見積もっても等級SS以上。
騎士団が総出であたってようやく討伐できるかどうかの、厄災クラスの魔物だ。
対するこちらは、瀕死の騎士と九歳児と八歳児。
普通に考えれば勝てるわけがない。
それどころか、隙を見て逃げることすら難しい。
絶望的な状況は、依然として変わらないはずだった。
だが――もう大丈夫だ。
不思議なことに焦りや不安はなく、なにかとてつもなく巨大な〝力〟に包まれているかのような安心感だけがある。
マルローネの腰にしがみついて必死に支えようとしているカシオ様も、同じ気持ちでいるようだ。
羨望のまなざしで、暗がりの先に立つ少女を見つめている。
「僕はどうやら、とんでもない女の子に惚れてしまったみたいだ」
確かに。
弟子は師に似るというが、実らぬ恋まで真似しなくていいのに。
そもそも彼女の隣に並び立てるような存在が、この世に存在するのだろうか?
かつてジークに感じた『差』ですら、今となってはたいしたことのないように思えてしまう。
まるで夜空の星を見上げて、その輝きに手を伸ばそうとするような――。
「おかげさまで『魂』についての理解が深まりました。その内側に秘められた力は種族によって差異はなく、たとえ人間のそれであっても、はるかに強大な存在が施した結界を打破できてしまう。ずいぶんと長い時間をかけて地下一帯を【聖域化】させていたようですが、苦労の割に合わない代物でございましたね。ごくごく平凡な師弟愛よりも、脆弱だとは」
リコッタ嬢はくすくすと笑っている。
無敵に思えた書庫の亡霊が、彼女のただならぬ存在感に気圧され、怯んでいる。
「カシオ様、がっつり愛されているじゃないですか。生きようとするだけの理由があるじゃないですか。魂を奪って糧にしようとするにせよ、全体的に詰めが甘すぎるのです。やるならとことん痛めつけて心をへし折って、魂レベルでわからせてからじゃないと」
……待って。なんだか急に雲行きが怪しくなってきた。
彼女の語る内容の、細かいところまではわからない。
ただ悪事を断罪しようとしているというより、拙い仕事ぶりに対してダメ出ししているような雰囲気である。
リコッタ嬢はちょいちょいと手招きする。
カシオ様に『来い』と言っているようだ。
一応は、王位継承第七位のやんごとなき御方なのだが。
「手本を見せます。カシオ、お座り」
「バウバウッ!」
「ちょっ!? なんですかそれ!?」
「本の中で調教しておいたのです。腹パンしたり踏んだりケツ蹴っ飛ばしたり。物覚えがいいから躾けるのも楽だったのです」
「いいんだ、マルローネ。彼女に逆らったら大変なことになる」
「今はワンちゃんでしょ! 喋ったらだめ!」
「……くぅーん」
マルローネは信じがたい光景を目にして、膝から崩れ落ちそうになった。
愛しい弟子が。気高き王子様が。
優秀でなければ誰からも愛されないと、必死に背伸びしていた少年が。
同年代の女の子に尊厳破壊されて、従順なペットになっている――。
「ここまでやれば、本の中に吸いこまれたとしても逃げだすことはできません。いわば完全にわからされた状態であり、その心を縛っているのは我なのですから。むしろ自ら進んで魂を捧げようとするでしょう。ねえカシオ。リコッタちゃんのためならなんでもする?」
「ハッハッ……!」
「ああああっ! お願いですから、嬉しそうな顔しないでください!」
マルローネが叫ぶと、リコッタ嬢はパンと手を叩く。
カシオ様は催眠魔法にかかったように、その場でころんと転がった。
本人は『どこも問題ない』とおっしゃっていたけども。
どう見たって、問題がありすぎる。
「ではではお化け退治といきましょう。準備はいいですか、騎士様」
「いいわけないでしょう!?」




