9ー10 安心しろ。お前は無能だ。
カシオ視点になります。
芋虫のような動きでズルズルと這いでてきたリコッタ嬢は、当然のごとく不機嫌だった。
カシオは唖然としながらも、彼女の説明に耳を傾ける。
「つまり助けにきてくれたってこと? 君が? 僕のために?」
「わざわざ本の中に吸いこまれて、です。なんか言うことないですかキモ以外で」
「ごめんなさい……」
「お礼も!」
「ありがとうございましたっ!」
「許さない! もうマジでこのまま死んでしまえお前」
ぷりぷり怒りながら脛を蹴ってくる。
こちらが全面的に悪いのだから甘んじて罰を受けるしかない……のだが、それはそれとして戸惑ってしまう。
リコッタ嬢が身を挺して助けにきてくれたことにも、空間をこじ開けて入ってきたことにも、とんでもなく口調が荒っぽいことにも。
なにもかもが予想外だ。
最初に会ったときは、カシオの悪口を聞いてすぐに泣きながら走り去ってしまった。だから繊細で、おとなしい性格なのだろうと考えていた。
しかし今こうして話をしてみると、可憐な容姿とは真逆の、野生的で気が強そうな女の子だった。
土下座を強要されたので従うと、彼女は靴の踵でぐりぐり頭を踏んできた。
魂のみとはいえ、現実にいたときの姿が反映されているらしい。
お洒落をしてきたのかふりふりドレスで可愛らしいけど、今それを褒めたら変な空気になりそうだ。
「王族だから勘違いしていやがるのかもしれないですが、上下関係ははっきりさせましょう。助けにきてやったのはその場のノリであって、お前を生かすも殺すも我の自由なのです。助けてほしいなら全力で尻尾を振れ。優秀なカシオ様なら、ワンちゃんの真似くらいできるでしょう?」
「わ、ワンワン……」
「リアルじゃない」
「バウバウッ!」
「はい、よくできました」
それで許してもらえるのかと思いきや、頭を踏む力がいっそう強くなってくる。
リコッタ嬢は徹底していた。
本気で、僕のプライドをへし折ろうとしている。
「質問に答えてください。どうやってこの空間に亀裂を作りましたか」
「え……君がやったんじゃないの?」
「我は本の中に吸いこまれただけです。本来であれば別々のところに閉じこめられたまま干渉できないはずなのですが、どういうわけかこちらで手を打つ前に繋がりを作れました。その理由を把握できれば、結界そのものを突破するヒントが得られるかもしれません」
カシオは当時の状況を振り返る。
「最初に母様のことを考えました。優秀でなければ、誰からも愛されない。僕が幸せになることこそが母様の幸せで、だから僕は誰よりも優秀にならなければならないと、心に誓ったのです」
「どこかで聞いたような話なのです。個人的には異を唱えたいところですが」
「なぜです?」
「優秀でなければ愛されないとする場合、説明がつかないことがたくさんあるからです。生まれたばかりの『私』は魂が崩れかけた哀れなゴミクズでしたが、あのときにかけられた言葉はまさしく母の愛でありました。だからこそ『我』は、その願いを叶えようとしています」
奇妙な言い回しだ。
まるで自分が〝ふたり〟いるかのような。
リコッタ嬢は突然、カシオの頭を蹴っ飛ばす。
はははと笑いながら、乱暴に。
「安心しろ。お前は無能だ。忠告を無視して書庫に向かい、お化けに襲われたあげく死体になって転がっている大間抜け。気を引こうとしていた女の子の前でワンちゃんの真似して許しを乞うて、それで助けてもらわなきゃなんもできねえクソ雑魚の中の雑魚。生きているだけで他人に迷惑をかけまくる、それが王宮では神童と呼ばれてちやほやされているカシオ様だ」
「……わかっているよ。だからずっとここで、軽はずみな行動を後悔していた」
「自覚がなければある意味、大物になれたかもしれないですねえ」
甲高い笑い声が、痛めつけられた頭に響く。
リコッタ嬢のイメージが、完膚なきまでに叩き壊されていく。
身勝手で都合のいい幻想が――現実の、容赦ない少女に塗り替えられていく。
カシオは力なく肩を落とし、正直に答える。
「あとは君のことを考えたかな」
「なるほど?」
「最初に出会ったとき、思ったんだ。綺麗だなって」
本性を知った今では『怖い』のほうが強いけど、あのときの気持ちに嘘はない。
ようやく伝えられて、すっきりした。
彼女の反応はどうだろう。
ほんのわずかでも喜んだり恥じらってもらえたりするなら、嬉しいのだけど。
「当たり前じゃん。この世で我ほどすごい美少女はいない」
「そうだね、ごめん。僕はまだなにか、都合のいい夢を見ていたみたいだ……」
「しかしこれでおおよそのからくりが理解できました。我に対して抱いた感情が結界を繋ぐトリガーになったのでしょう。そもそも『ワタシ、キレイ?』という質問を肯定したことで、本の中に魂を吸いこまれてしまったわけですから」
リコッタ嬢は立ちあがれと手で促す。
ここから脱出する手段が、思い浮かんだのだろうか。
「お前は無能だが、間違いなく愛されている」
「どうして君に、そんなことがわかるの」
「ひとりの騎士が今この瞬間も、命を賭けて戦っているからだよ。ボケナスが」




