9ー8 マルローネの奮闘
マルローネ視点になります。
「ワタシ、キレイ?」
「ええ。とっても――おげげっ!」
魂が奪われる姿は、想像していたよりもずっと壮絶だった。
幼い少女の口から白い光の渦が溢れだし、暗がりの奥に引き寄せられていく。
書庫の亡霊が本を広げると、食虫植物が捕食するときのように吸いこまれてしまう。
抜け殻になったリコッタ嬢は、頭からびたんと床に倒れた。
心配になるが、今のところ事前の打ち合わせ通りに計画は進んでいる。
◇
「夜にのみ現れるのは、その時間帯がもっとも魔力が強く作用するから。強大な力を持つわりに噂レベルの存在に留まっているのは、目立たぬように計画を進めているからでしょう。すなわち敵は用心深く、気の長い性格です。希少種のごとく隠れられたら厄介ですが、今日にかぎっては心配いらないはずです。むしろ日中だろうとなんだろうと、姿を見せると思います」
「どうして?」
「我がここにいるからなのです。たとえばほら、このように」
リコッタ嬢は言うなり、足もとの床を強く踏みしめる。
どこからともなく硝子が割れるような音がして、周囲の空気に変化があった。
書庫に来てから感じていた、異様な冷気が薄れている。
彼女がなにをしたのか、さっぱりわからない。
だから推測するしかないが、今の行動で『なにか』を壊したのだろう。相手が長期的なプランで計画を遂行しようとしているのなら、もっとも嫌がるのはそれを台無しにされることだ。
「人間〝ごとき〟では太刀打ちできません。間違っても戦おうとはせず、時間を稼いでください。我はちょっと本の中にお邪魔して、カシオ殿下を内側から引っ張りだしてきます」
「リコッタちゃん。あなたはいったい……何者なの?」
「日当たりのいいところでぽけっと光合成するだけの、観葉植物なのです」
◇
マルローネは暗がりに目を凝らす。
一つ目の亡霊というからサイクロプスのような魔物を想像していたが、実際に目の当たりにすると、もっと不気味で得体の知れない『異形』だった。
顔はなく、頭部にあたる部分は黒々とした球体。
中心にもうひとつ宝石のような物体が埋めこまれており、それがぼうっと光を放っている。
一方の身体はどう見ても女性のそれである。艶かしさすら感じるほどの薄布越しに、白く透明な肌を透かせている。おぞましい姿なのになぜか視線が引き寄せられて、目が離せなくなる。
――魅了だ。
深層にいる上位種の、中でもとくに強大な魔物だけが持つという、精神汚染の力。
正気を失わずにいられるのは、リコッタ嬢のおかげだろう。
ここでようやく、彼女が事前にかけてくれた強化の効果を理解する。
「ワタシ、キレイ?」
「んなわけないでしょ。このキ⚪︎タマ頭」
守るべき王子であり、愛しい弟子でもある少年の命を、奪おうとしている敵だ。
怒りに任せて、罵倒を浴びせる。
「――ッ!」
一瞬だった。
十分に距離を取って警戒していたのに、巨大な球体が目と鼻の先にある。
とっさに物理障壁を展開し、攻撃に備える。
自慢じゃないが、防御魔法の腕だけなら全騎士団の中でも随一だ。
しかし、
「ワタシ、キレイ?」
「う、ぐ……」
まったく通用しなかった。
書庫の亡霊はいともたやすく障壁を突破すると、細くしなやかな指でマルローネの喉を締めあげる。足が宙に浮き、じたばたともがく中で、どうにかそれを引き剥がそうとする。
なんで! 掴めない!
空気のごとく、すり抜けてしまう。
相手はこっちを触れるのに、こっちは相手を触れない。
干渉できない。
まずい、このままだと――。
静寂に包まれた書庫に、固いものが砕かれたときの鈍い音が響く。
マルローネの頭が、ごろんと床に転がった。
◇
「嘘……でしょっ! 無敵なんて……反則っ!」
歯を食いしばって痛みに耐える。
目がチカチカする。鼻血だって止まらない。
死を経験したのは久しぶりだ。しかし悠長にはしていられない。
敵もすぐに気づく。
時間を稼ぐならとにかく動きまわって、撹乱しないと。
マルローネの戦闘能力は低い。
ただ生存能力に限定すると、騎士団の中でもっとも優れている。
幻影魔法。
そして自らが生みだした幻を実体化し、意識を同期させる天賦――。
二つを組み合わせることで、彼女は完全な【分身】を作りだすことができる。
迷宮探索において、生存を前提としない戦略は非常に有効だ。罠があるかもしれないから試しに通ってみる、囮になって魔物を引き離す、火薬を抱えて自爆する、などなど。
あとは単純に、人手が増えるという利点がある。
たとえば二手に分かれるとして、その両方に指揮官であるマルローネを配置できるのは、迷宮の調査を主任務とする黄騎士団にとって、どれほど効果的かは言うまでもないだろう。
もちろん、代償もある。
分身が死ねば反動を受けるし、そのたびに魂は削られる。ジークが蘇生魔法を用いた際に寿命を失っていくのと同様に、マルローネは分身を消費するたびに命が刈り取られていくのだ。
しかし今、そんな些細なことを気にする必要はあるだろうか?
惜しむ理由があるだろうか?
私は、なんとしてでも、お救いしなければならないのだ。
騎士として。
家庭教師として。
なにより、大切な家族として。
カシオ様を――。




