9ー7 地下書庫の亡霊
リコッタ嬢→マルローネ視点になります。
「侵入者探知用の結界と扉の鍵が破られていますね」
「つまり、カシオ殿下は地下の書庫にいるってことですか?」
リコッタ嬢の言葉に、マルローネはうなずく。
誘拐や暗殺の可能性がなくなったからか、表情には心なしか安堵の色が見える。
しかし彼が戻ってこない理由があきらかではない以上、まだ気を緩めるべきではないだろう。
ハングーレ宮殿は古代の遺跡を再利用しているがために未知の領域があり、とくに殿下が向かった先は、怪談めいた噂まであるいわくつきのスポットなのだから。
道すがら、書庫の七不思議について教えてもらう。
「ワタシ、キレイ? ――ですか。『そうですね』と返したらどうなるのです」
「なら一生おそばで暮らしましょうと言われて、本の中に魂を吸われてしまいます」
「じゃあ『やーいブス』と返した場合は?」
「逆上されて、首を刎ねられて殺されてしまいます」
「理不尽」
「相手は死霊のたぐいですから。カシオ様が襲われていないといいのですけど……」
マルローネは本気で怪談を信じているようだった。
まあ、無理もない。
普通の場所ならともかく、王宮の地下には手つかずの迷宮が存在する。
冒険者の常識では迷宮に潜む魔物が外に出てくることはありえないが、砂漠の迷宮とは別種の領域である点も考慮すると、絶対に大丈夫とは言いきれない。
だからこそ普段は厳重に施錠されていて、亡霊が出没すると噂されている夜以降は、大人でさえ立ち入らないようにしているのだろうし。
「本の中に魂を吸いこまれるとのは、具体的にどういった状態なのです。普通に死ぬ? それとも戻せば回復する? 怪談だし深く考える必要はないかもしれないですが、カシオ殿下がすでに襲われていて……というパターンも想定しておかなければなりませんからねえ」
そう言ったところで書庫の入り口にたどりついたので、マルローネの先導で中に入っていく。
暗闇と静寂、かび臭い空気。そして、
「懐かしいのです」
「え?」
「あ、お気になさらず。生まれたところが洞窟の中なのでつい」
とっさに言い訳する。
嘘ではない。
だが、懐かしさを感じたのはまったく別の理由からだった。
――いる。
よくない流れだ。
思えばハングーレ宮殿に来たときから、我は〝それ〟を感じ取っていた。
やれやれ。なぜすぐに、思い浮かばなかったのだろう。
迷宮の魔物ではない。
死んだ人間がお化けになって出てきた、とかでもない。
しかし我にとっては。
すなわちゲスジゴクにとっては、それに近いものを感じてしまう。
数分後。
リコッタ嬢たちは、冷たくなったカシオ殿下を発見する。
予想できたことだ。
書庫に潜んでいるのが彼らならば、こんな上等な獲物を見逃すはずがない。
よもやよもや。
生き残っているとはなあ、こんな近場で。
神が。
◇
マルローネは膝から崩れ落ちた。
近しい者の死を経験したことは何度もある。それが入団したころからの同僚であったり、前日まで楽しそうに将来の展望を語っていた部下だったり――騎士として職務を遂行していく中で、良くも悪くもそういう別れには慣れていた。
だが、それが幼い子どもとなると、耐えるのは難しい。
可愛がっていた、守るべきだった、尊い教え子であるなら、なおさらだ。
最後に交わした会話を思いだすと、いっそう胸が締めつけられる。
あのとき、もっと強くご忠告すべきだった。
部屋を抜けだして書庫に行くかもしれないと、見張りをつけるべきだった。
責任は私にある。命をもって、償うしかない。
「――実に興味深いのです」
耳を疑った。
リコッタ嬢が亡骸を眺め、目を細めている。
怒りを通り越して、唖然としてしまう。
この子はいったい、なにを考えているのか。
「我がさきほど言ったことを覚えていますか?」
「……本の中に魂が、吸いこまれた」
「ですです。その状態を、死と断定するのは早計でしょう」
「つまりカシオ様は、まだ助かると」
「手遅れではないかも、くらいですかねえ。素人目には死んでいるのか抜け殻になっているのか判別できませんでしょうし、お姉さんが動転するのもわからなくはないのですが」
目の前の少女が一瞬、得体の知れないものに見えた。
頭に二本の角が生えていて、鋭い牙もあって。
淡い紫色の髪が、書庫の薄暗い灯りの中でぼうっと浮かびあがっている。
可憐で無邪気な表情の奥に、ぞっとするような、なにかがある。
「はるか昔、天上の神々は今よりずっと高度な魔法技術を有していました。彼らは不死に近い存在でしたが、滅びることがなかったわけではありません。交配してぽこぽこと増えることができませんから、その消失はむしろ、人間たちのものよりずっと重い意味を持っていたのです」
「なんの、話」
「アカデミーの本に書いてあった話です。蘇生魔法の探求について」
聞いたことがない。
最新の研究論文? いや、そんなはずは。
私は迷宮の調査と遺物の解析を主任務として扱う、黄騎士団の長なのに。
「死者を甦らせる。すなわち、失われた魂を呼び戻す。人間よりはるかに上等な存在である神々ですら、その実現にはいたりませんでした。しかし肉体から切り離したり、それを再び元の器に戻したり、時間経過によって劣化しないようにするとか、そういう技術を生みだすことには成功しました。聞くところによると、エルカザードにも『他者に憑依する』魔法があるらしいですね」
「禁呪ですよ、それは」
「知っています。絶対に悪用されますもんねえ、楽しそう」
リコッタ嬢はそう言って、マルローネの身体に魔法をかける。
どんな効果? わからない。
八歳の少女が、私の知らないことを喋り、私の知らない魔法を使っている。
「書庫の亡霊は、なんらかの理由で〝魂を収集している〟と考えられます。本の中に吸いこませているとなると、特定条件を満たすことによってのみ発動できる、大掛かりな禁呪なのかもしれません。生贄を必要とするというのは、邪悪な儀式の定番ですから」
「具体的にはどうすればいいの。私はなにをすれば、カシオ様を助けられるの」
「役割分担なのです」
マルローネは切迫した状況も忘れ、きょとんとしてしまう。
それくらい、次の言葉は予想外だった。
「お化けが出てきたら、やーいブスと罵ってください」




