7ー10 迷宮百景(3)
深層に足を踏みいれてようやく、その名の意味を理解した。
迷宮の中とは思えないほど高い天井に、広々とした通路。
そして、見渡すかぎりの緑色。
壁も床も、宝石で作られているかのように輝いている。
ここはまさに――【翡翠の迷宮】だ。
「鉱石……ではないですね。不思議な質感をしていますが、これは苔?」
「魔力を帯びた胞子体の植物なのです。構造物の表面を覆いつくすように深緑の苔が生えているため、ぱっと見だと階層全体が翡翠で作られているように見えるのだとか」
「理解しました。あなたがここに連れてきた理由を」
「地上ではまずお目にかかれない、迷宮ならではの絶景。しかし今いるところはほんの手前にすぎません。この階層を発見した冒険者によると、奥にはもっとすごいらしいです」
「いいですね。ひとりの『芸術家』として、興味が湧いてきました」
リコッタ嬢は唐突に、魔法をかけてくる。
砂漠で使うような、熱を遮断する強化に近い。
しかしそれよりも、ずっと高度な構成式のように感じられた。
やはり只者ではない。
等級はブロンズ級らしいが、実際はそれ以上の腕だろう。
自分と同じか。あるいはさらに――。
「長くいると肺に苔が繁殖します。ちなみに発見者の死因はそれ」
「怖」
「あと危険な魔物がうようよいます。ほとんどが植物系で、再生するとか分裂するとか猛毒とか酸性のブレスとか、初見殺しの厄介な能力を多数備えています。お姉さんはまあまあ強いのですけど、さすがに単独だと普通にやられますので、我からなるべく離れないように」
「もしかして、とんでもないところに連れてきたのですか。ぼくを」
返事の代わりにいたずらっ子のような笑み。
ハナエがここで死んだとしても、リコッタ嬢は「あちゃー」くらいですませてしまいそうだ。
◇
道なりに歩いていくと、苔だけでなく、見慣れない植物の姿も増えてくる。
迷宮の内部というより、樹木がうっそうと茂る森の中をさまよっているような感じだ。
砂漠地帯のエルカザードで、そういった場所を目にする機会はほとんどない。
しかしハナエはかつて船乗りだった父親に連れられて旅をしたとき、南国の島々で密林を散策したことがある。
厄介なのは視界が遮られるせいで、魔物が潜んでいてもわからないところだ。生息しているのが植物系ばかりなのだとしたら、草木に紛れこんでいても見分けがつかない可能性すらある。
しかしリコッタ嬢は、相変わらずのピクニック気分。
「見て見て。なんかの果物」
「なんかて。食べられるのですか?」
「さあ。――うはっ! めっちゃ甘い」
しかしそのあとでゲボゲボ吐いていた。
わかっていたけどこの子、自由すぎる。
◇
深層に眠る素材や遺物は、当然のごとく高値になりやすい。
リコッタ嬢は瞳をキラキラとさせながら、探索の最中に戦利品を採取している。
たとえばどんなものが使えるの――とたずねたところ、彼女は得意げな顔で講釈を垂れてきた。
「ここは植物系の魔物が多いので、大抵はポーションの原料です。我はこう見えて王都魔法生物研究所とコネがあるので、調合に有用そうな成分は予習済みなのです。食いしん坊だからなんでもかんでも口に入れているわけではなく、味見をすることで内容物を分析しているのです」
けろっとした顔で、とんでもないことばかり言う。
「お姉さんに馴染みがあるところだと、色の原料になる素材もあります」
「染料とか顔料ってこと?」
「ですです。たとえばビークスパイダーの分泌液。ほら綺麗な黄色」
「……虫から採取したって聞くと気持ち悪いですけど、赤なんて大抵はカイガラムシをすり潰して作った塗料ですから、今さらかもしれませんね」
いずれにせよ、興味深い話だ。
魔物から採取して作った色か。
ハナエの中にある創作魂が、沸々と燃えあがる。
「以前に工房でお会いしたとき、我は『お姉さんの強みってなんです』とたずねました。そのときはむっとされただけで終わりましたが、今ならすぐに答えられるのではないですか」
「冒険者であること?」
「いえいえ。冒険者であるかどうかなんて、鑑賞する側にとってはどうでもいい話なのです。我々がまず見るのは、その絵が心を震わせるかどうかのみ。ずらっと並べられたときに目を奪われてしまうような、あなたの作品にしかない『魅力』――それを表現するために、芸術家は全霊でもって臨むのではないでしょうか」
リコッタ嬢の言葉は、真摯に受け止めるべきかもしれない。
迫力がないのもギラギラとした熱がないのも。面白みに欠けるのも。
作品よりも、自分の立ち位置を優先していたからだ。
手段を選り好みしている時点で、中途半端だったのだ。
冒険者として。絵描きとして。
その両方を駆使して、ハナエ・スカーレットならではの表現を突き詰めるべき。
「青が欲しいですね。ビークスパイダーの黄色と混ぜれば、翡翠色が再現できそうですから」
「にゃるほど。でしたら、あそこにちょうどいい感じの花があるのです」
「ずいぶんと高い木の枝にありますけど、肩車すれば届くかもしれません」
「楽しそう!」
リコッタ嬢をひょいと持ちあげて、肩に乗せる。
すると木々の隙間から、蔓が伸びてきた。
――ぱくり。
くるくると巻きあげられて、小さな身体はあっという間に飲みこまれてしまう。
採取しようとしていた花と同じ色の、でっかい魔物。
「ええええ……」




