4ー7 サリナの死
しかし存在としての成り立ちがまったく違うのだから、歴然とした差が埋まることはあり得ない。
生まれながらにして最強であるがゆえに、リコッタ嬢は人間の『弱さ』を甘く見積りすぎていた。
認識の差。危機感の差。
あるいは、生物としての差。
迷宮の深層は一流の冒険者であってもたやすく命を落とす死地であり、本来であれば準備もせずに迷いこんだ時点で、まず助からないと判断すべき状況なのだ。
最初の失敗は、ペース配分を考えていなかったことだ。
リコッタ嬢は体力も魔力も無尽蔵だが、サリナにかぎってはそうではない。
リビングアーマーとの戦闘の最中、それまで百発百中だった狙撃が外れ、リコッタ嬢めがけて左右から剣が降りおろされる。もとより力量差があるのでなんなく撃退するも、その刹那の隙を突いてリーダー格の金色甲冑が、後方のサリナに迫る。
あわや両断――というところで割って入り、逆に相手の剣をへし折って吹っ飛ばす。
今のはひやっとした。
とどめを刺したあとで振り返ると、サリナがぺたりと尻餅をついたところだった。
「ごめん。魔力切れ」
「一休みしてから上を目指しましょう。このエリアはもうすぐ抜けられるはずです」
ところが間の悪いことに、そこで新たな敵の気配を察知する。
高低差がある構造というのは厄介だ。
ドーム状エリアの上層に身を潜めていた魔物がいっせいに動きだし、遠隔攻撃魔法の雨を降らせてくる。
リコッタ嬢は矢のような速さでサリナの襟首をつかむと、羽を生やして飛びあがる。
この姿を見られたくないとか、言っている場合ではない。
真上を目指すのではなく、水平に。
参考にしたのは、ジャイアントビートルのホバー飛行。
敵がいる位置は遠くない。
このまま一気に距離を詰めて、焼き尽くす。
ごうっと火柱が上がり、魔物の群れは一掃される。
どんな種族だったか、どんな姿だったかも定かではない。
出会い頭に、まとめて灰に変えてしまった。
サリナを真っ先に降ろし、続いて自分も着地する。
羽を仕舞ったあとで腕を見ると、壁面の螺鈿細工に負けないくらいキラキラとした鱗が生えていた。
懐かしくもあり、忌まわしくもあり。自分の中の、竜の性質が濃くなっている。
問題なのは、今はそれをうまくコントロールできていないことだ。
力を使いすぎると、戻れなくなるかもしれない。
せっかく人間らしくなってきたのに、また『化け物』になってしまう。
しかしそんな些細な問題は、すぐに吹き飛んでしまった。
――サリナがぴくりとも動いていない。
慌てて駆け寄った。地べたに血だまりができている。
飛んでいる最中に攻撃魔法を受けたのか、脇腹にえぐられたような裂傷ができていた。
背嚢を漁り、治療薬の瓶を取りだし、口移しで飲ませる。
何度か呼びかけると、彼女はふっと息を吐いてから、意識を取り戻した。
しかし歩くことはもちろん、立ちあがる元気はなさそうだ。
なにか喋ろうとしていたので、口に手を当てて遮る。
「邪魔ですねえ。見捨てたいですねえ。でも我は優しいので、助けます」
くくっと呆れたような笑い声がした。
よろしい。こういう状況だからこそ、普段どおりに振る舞うべきだ。
状況は依然として最悪だった。
地上に繋がる出口は一向に見えず、今いるドーム状エリアの上層部も休憩地に選ぶほど安全とは言えない。
遮蔽物がなくて見晴らしがよすぎるし、そこかしこに魔物の気配が感じられる。
襲ってこないのは単に、我の強さを見て怯んでいるからだ。
探索を続けるならサリナを抱えて歩かなければならないし、そうすれば当然、魔物たちは隙を突いてくる。
さきほど使った治療薬とて万能ではなく、魔力と体力を前借りして治癒能力を増強しているだけ。
魔力がほとんど枯渇している状態で投与したせいで、裂傷こそ塞いだもののサリナは相当に消耗している。
次に怪我を負ったら助かる見込みはないし、そうでなくてもこのまま放置していれば命が危ない。
一瞬だけ目を閉じ、魂の調和を崩す。
人の身を維持することをやめ、竜の性質に寄せようとする。
我は所詮『化け物』だ。
胎児と融合して以降も、抗おうとしなければ自然と本来の在り方に引き寄せられていく。
そして今は人である『我』ですら、本来の在り方に戻ろうとしている竜の『我』に呼応している。
今なら、サリナを見捨てることだってできる。
自分ひとりだけなら、魔物の群れを蹴散らしながら迷宮を脱出するのはたやすい。
調和を維持しながらの戦闘モード。地上に出たあとは普段の愛らしい姿に戻って、迎えにきたジークに泣きつけばいい。そのときサリナがいなくなっていたとしても、責められるどころか同情してもらえるはずだ。
しかしそれは『化け物』の生き方だ。ようやく人間らしくなってきたのに、親友認定したばかりのお友だちを平気で見捨てるどぶカスの道を突き進むことになる。
生き残るためですらない。保身のために、今の平穏を維持するために、嫌いだった過去の自分から目を背けるためだけに。ようやく得られた『きっかけ』を自ら放棄する。
選択肢はふたつにひとつ。
人間の皮をかぶった化け物として、生きていくか。
人間らしい心を持った化け物として、生きていくか。
考えている間にも変異は進んでいく。
必要なのは強さではなく、愛嬌ではなかったのか。
学ぶべきは小動物のような生き方ではなかったのか。
なのに我は今、捨てようとしていた『強さ』を求めている。
竜の性質が濃くなれば、人間の社会には戻れない。
むしろ魔物として、討伐対象にすらなりうる。
それで結局、守ろうとしていた『心』すらも失うかもしれない。
だとしても――。
「リコ」
「なんですか。今は喋らないほうがいいですよ」
「ごめんね」
それだけだった。
サリナはそれきり、動かなくなった。
もっと早くに気づくべきだった。人間は『弱い』生き物なのだと。
裂傷を負った時点で彼女の命は消えかけていて、治療薬を投与しても気休めにしかならなかった。
我には最初から選択肢なんて与えられていなかった。
生まれてはじめて得た親友になってくれるかもしれない相手を、ただ見送るほかなかったのだ。
ほら見ろ。
強さなんてなんの役にも立たないではないか。
力を求めたところで、欲しいものなんてなにも手に入らないではないか。
こういうとき人間は、神様に祈ったりするのだろう。
しかしそんなやつはとうの昔に殺してしまっている。
だからひとりでめそめそと泣くしかない。
いつまでも。いつまでも。
ふと気配を感じて、顔を上げる。
なかなかの魔力だ。
今の弱りきっている我なら、息の根を止めてくれるかもしれない。
しかし相手はこう言った。
「こんなところで迷子か。お嬢さん」
筆頭騎士、ジークフリード・ジフレッド。
エルカザードの民を守るべく日々尽力する、高潔な男。
絶望に瀕した冒険者が祈るのは、神様でも悪魔でも奇跡でもない。
同じ冒険者による――救助なのだ。




