11ー3 禁じられた遊び
ホン→ジーク視点になります。
翌朝。
出立する前に身を清めようと考えたのか、獣人の幼女は湖に向かった。
その間、筆頭騎士は旅の身支度を済ませるようだ。
日が出ているとはいえガキをひとりで沐浴に行かせるとは、王都はずいぶんと治安がいいところらしい。
路地裏の物陰に身を潜め、指で印を切る。
透明になるだとか音や臭いを消すだとか、いわゆる隠密魔法と呼ばれるものは王都にも存在する。
しかしホンの天賦はその強化版――『存在そのものを認識させない』効果を持つ。気配や殺気で隠密魔法を看破する達人であろうと、あっさり不覚を取ってしまうのだ。
もちろん、弱点も存在する。
自分で声を出したり、集中を切らしたりすると効果が消えてしまう。
もっとも今回にかぎっては気にする必要はない。
水浴び中のガキを攫うだけなのだから。
(背後からそっと近づいて、鶏をやるときみてえに首をきゅっと絞めてやる)
砂漠の民は沐浴中も男女混合が一般的なのだが、ブルークレセントでは暗黙のルールとして北側の端っこは女性の旅人専用ということになっている。
当然リコッタ嬢はそちらに向かった。早朝とあって周囲にひと気はない。
「らんららんららんらーらん。ふっふー!」
立ちこめる朝靄の向こうから、幼い少女の鼻歌が聞こえてくる。
ぴちゃぴちゃちゃぷちゃぷ。ばしゃばしゃばしゃしゃ。
泳いでいるのか、実に騒がしい。
ホンはにやけ面を浮かべたまま、水面にそっと身を沈めた。
「お、引っかかりましたか」
(なに……!?)
異変を感じて、とっさに湖から出ようとする。
だが、水面が接着剤のようにへばりついて、足を引き抜くことができない。
まさか、気づかれたのか!?
どうやって――。
「我たちが鍋料理を食っているところを、遠くからずっと見ていましたよねえ」
(そんなに前から!?)
「ブルークレセントは治安が悪いと聞いていますし、宿に入るときも尾行されていましたので、スリか強盗かなあと思いまして、あらかじめ罠を張っておいてよかったです」
(ぐっ……。だが……このまま集中を切らさずにいれば、チャンスはあるっ!)
それこそが隠密魔法にはない、ホンの天賦ならではの強みだった。
攻撃を受けたり罠に引っかかったりしても、集中を保ってさえいれば効果を維持することができる。
今のはけっこう危なかったが、ぎりぎり耐えることができた。
相手は罠の発動こそ感知したものの、ホンの姿を確認できないことを不思議がっているようだった。
朝霧の向こうで、湖のあちこちを探している小さなシルエットが浮かびあがっている。
湖が浅いことが幸いして、腰から上は動かせた。
肩にかけていたナイフを鞘から引き抜き、ぱちゃぱちゃと近づいてくる水音に耳をすませる。
やがて目の前に、一糸纏わぬ幼女の姿が現れた。
(今だ!)
ガチン。鈍い音が響く。
首筋を狙ったはずなのに、なんだこの手応えは。
「ふひゃひゃ。ふぇふあぃほはんふぇんにふぁふくほは、ひゃりまひゅな」
「馬鹿な……! 口で、止めただと……?」
直前まで、気づかれていなかったはずだ。
ナイフが目の前に現れたのを見てから、とっさに噛みついたということか。
刀身は鋭い牙に挟まれ、力を込めてもびくともしない。
そのまま食われそうだったので、慌てて手を離す。
だが、うっかり声を出しちまった。
天賦の効果が切れ――。
しかし相手は咥えていたナイフを指でつまみ直すと、微笑みながら言った。
「ご安心ください。お兄さんに危害を加えるつもりはありません」
「へ?」
「水浴び中の幼女を襲うとはど変態もいいところですが、我としてはむしろ願ったり叶ったりの状況なのです。わかりますか? この意味が」
「お嬢ちゃん、まさかそういう――いや、おませさんにもほどがあるだろ」
「禁じられた遊びに興味津々なお年頃なので。たとえばほら、これなんだかわかります?」
ナイフを握っていないほうの手のひらには、玉のような物が乗っている。
輪郭がおぼろげで、ゆらゆらと揺らめいている不思議な光。
「……わかんねえな。湖の底で見つけた石かい」
「いえ、お兄さんの魂なのです」
幼女はそう言って、光の玉をぎゅっと握りしめる。
直後、ホンの身体に激痛が走った。
下半身を水面に固定されたまま、がくがくと痙攣する。
「インテリジェンス・ウェポンを作る前に予行練習をしておきたかったのです。しかしその辺の一般人を実験台にするわけにはいきませんし、どこかにちょうどいい感じのクズいないかなーと探しておりまして。そしたらお兄さんのほうから来てくれたわけじゃないですか」
「おおおあああああっ! いいいぎい……あがががががっ!」
「この距離だと肉体と同期したままでいられるのですねえ。魂をにぎにぎされる感触はどうです? 痛いですか? それとも気持ちいいですか? あーでも、雑に扱うと崩れそう」
「たす……たすけっ! たのむ……やめっ!」
「貴重なサンプルですから、もちろん大事に使わせていただきます。お兄さんが持っていたナイフってそこそこの魔道具っぽいですねえ。なにからなにまで、ご協力感謝なのです」
「あああああっ! なになになに……意識が……吸いこ、ま、れ……」
シュポン。
空気が抜けるような音とともに、ホン・パロロの視界は真っ白に染まった。
◇
リコッタ嬢が沐浴から戻ってくると、その手に見慣れぬナイフが握られていた。
ジークは眉をひそめ、たずねる。
「お土産は帰りに買うと決めておいたはずだが」
「いいじゃないですか。たぶん掘り出し物ですよ、これ」
手渡されたので、試しに鞘から引き抜いてみる。
確かに……刀身は不思議な虹彩を放っていて、一目で業物だとわかる。
オアシスの市場にはたまに古い魔道具が売られていると聞くが、このナイフもそういった砂漠の民が所蔵していた骨董品だろう。
値段をたずねると「タダ同然」と言われたので、ならいいかと投げて返す。
リコッタ嬢は鞘ごと受けとめ、得意げな顔。
「王都で転売してボロ儲け、なのです」
「それで大量のウエハースかエヴァ様グッズを買うわけだな」
ジークは呆れながら、アンドレの鞍に旅の荷物をくくりつける。
そのときにふと、
(……タ……ケテ……)
「なんか言った?」
「我はなにも。アンドレじゃないですかね」
「俺もようやくこいつの声が聞こえるようになったわけか。あるかもな」




