第七話:偽りの救世主と、漆黒の支配者
クスコの太陽神殿の前庭は、朝から熱狂の渦の中にあった。
今日は、太陽神の使徒として讃えられる第二皇子、ワイナの五歳の誕生日であった。
三歳で神託を授かり、車輪をもたらし、製鉄の炉に火を点け、衛生の概念で病魔を退けた幼き天才。そして、西園寺恭弥という至高の協力者を得て「恐竜兵」と「近代火器」という圧倒的武力を手に入れた帝国にとって、ワイナの誕生日は単なる幼子の成長を祝う日ではなく、タワンティンスーユ(インカ帝国)が新時代へ羽ばたく象徴的な祝祭であった。
「使徒ワイナ様に、太陽神インティのご加護あれ——!!」
集まった万の民から上がる歓声が、アンデスの澄み切った空を揺らす。
黄金で彩られた特設台の舞台上。豪奢な刺繍が施された装束に身を包んだワイナは、その歓声を一身に受けながら、どこか引きつった笑みを浮かべていた。
(……五歳か。前世の年齢を足せば二十二歳だけど、この身体はまだたったの五歳。重圧で胃が痛い……)
ワイナの隣には、威厳に満ちた表情で満足げに頷く父上・皇帝トゥパック・インカ・ユパンキ。そして、そのすぐ後ろには、完璧な仕立てのスーツを纏い、品格漂う穏やかな笑みを浮かべる西園寺恭弥が控えていた。
「素晴らしい人気ですね、ワイナ様」
西園寺が屈み込み、優しく囁く。眼鏡の奥の瞳は、いつもと変わらぬ知性と慈愛に満ちていた。
「西園寺さんのおかげですよ。あなたが持ち込んでくれた物資と、古代の竜たちがいなければ、今日のこの平和と活気はあり得なかった」
「ふふ、滅そうもない。私はただ、あなたの描く偉大な未来に手を貸しているだけに過ぎません」
謙虚にお辞儀をする西園寺。その完璧な「協力者」としての立ち振る舞いに、ワイナは胸の奥で深い感謝と全幅の信頼を寄せていた。
宴が最高潮に達した時、父上皇帝が立ち上がり、大声を張り上げた。
「民よ、聞け! 我が子ワイナは、太陽神の命を受け、この国をさらなる高みへと導く! 太陽神の使徒と、異世界より訪れし友・西園寺の知恵を以て、我が帝国の威光を、熱帯の深き緑……アマゾンへ! そしてさらに北、無限の地に広がる北アメリカ大陸へと広げるのだ!!」
地を揺るがすような歓声が上がった。
アマゾン盆地と、遥か北の大地への進出。それは、ヨーロッパから押し寄せるであろう征服者たちの侵攻ルートを先回りして遮断し、広大な資源と防衛拠点を確保するための、ワイナと西園寺が立案した国家戦略だった。
竜騎士団が火炎放射器と自動小銃を掲げ、空に向かって威嚇射撃を行う。咆哮を上げる恐竜たち。民はそれを「神の奇跡」と信じてひれ伏した。
ワイナは密かに決意を新たにする。
(そうだ。アマゾンを制し、北米まで勢力を伸ばせば、ピサロたちがどこから来ようと完封できる。この国を、絶対に滅ぼさせはしない……!)
しかし。
万雷の拍手と熱狂の中、ワイナのすぐ後ろで優雅にお辞儀を繰り替えしていた男——西園寺恭弥の頭の中には、ワイナの想いとは似ても似つかない、冷酷で醜悪な計算が渦巻いていた。
―――◇(西園寺視点)◇―――
(まったく……笑いをこらえるのが大変だよ、本当に)
西園寺恭弥は、眼鏡の位置をそっと直しながら、胸の中で冷酷な嘲笑を浮かべていた。
目の前で「偉大なる使徒」として民に手を振っている5歳のガキ。
西園寺には分かっていた。このガキの正体が、現代日本で冴えない生活を送り、くだらないアクシデントで死んで転生してきた「しがない男子高校生」に過ぎないということを。
(『現代の知識で歴史を変える』……クックック、実にめでたいおめでたさだ。自分を英雄か救世主だとでも思っているのだろうね、霧沢輝クン?)
西園寺が持つ能力——『次元の扉。』
それは無数の時代、世界を行き来し、あらゆる物資や生命を自由に移送できる絶対的な力だった。西園寺はこの力を使って、表の世界では「西園寺コンツェルン」のトップとして君臨し、裏の世界では無数の時代から超常的な利権を貪り尽くしてきた。
西園寺にとって、この16世紀のインカ帝国などは、ただの「宝の山」であり、「最高の遊び場」に過ぎなかった。
(最初はただ、金や銀の埋蔵量を独占し、現代の市場や異世界のブラックマーケットに流し込んで巨万の富を得るだけのつもりだったが……まさかこんな面白い『玩具』が転がっているとはね)
西園寺が初めてこの時代に来た時、ワイナという高校生転生者が「太陽神の使徒」のハッタリで大人たちを騙しているのを見て、腹がよじれるほど可笑しかった。
だからこそ、西園寺は「親切な協力者」の仮面を被って近づいたのだ。
ワイナに武器を与え、恐竜を与え、調子に乗らせる。
「君のおかげだ」「救世主だ」とおだて上げ、自分への全幅の信頼を植え付ける。
その裏で、西園寺はこの国を骨の髄までむさぼり尽くしていた。
(インカの無知な原住民どもは扱いやすい。神の贈り物だと偽って安物の工業製品を渡し、その代わりに最高品質の無垢な金、銀、古代の宝飾品を大量に回収する……。現代に持ち込めば、国家予算レベルの利益だ)
西園寺の悪事は、財宝の略奪だけに留まらない。
彼はすでに、この帝国の裏側で「人間」すらも商品として扱っていた。
自分に逆らう者、邪魔な政治的対立者、あるいはただ単に気に入らない労働者や抱き飽きた女を、秘密裏に『ゲート』の向こう——異世界の奴隷市場や、危険な資源採掘現場へと売り払っていたのだ。
侍女のキリが怯えていたのも当然だった。彼女は偶然にも、夜中に西園寺の部下が反抗的な兵士を『扉』の向こうへ押し込み、二度と戻らない闇の中へ消し去る現場を目撃していたのだから。だから西園寺に犯され、壊されてから異界の奴隷商人に売られた。
(綺麗なおべっかを使い、美味い酒と武器や製品を与えておけば、皇帝以下の将軍どもは私を神のように崇める。女も金も、私の思いのままだ。そしてワイナ……お前は『自分が国を救っている』という全能感に酔いしれながら、私の泥泥しい利権稼ぎの『最高の広告塔』として働いてくれている)
西園寺の視線が、ワイナの幼い背中に注がれる。
(アマゾンと北米への進出、か。実に素晴らしい提案だよ、ワイナクン。アマゾンの未開の秘境には、未知の薬草や広大な資源が眠っている。北米には膨大な金鉱と広大な土地がある。お前が兵を動かして土地を平定し、インフラを整えてくれれば……私はその全てを横から美味しくいただくことができる)
西園寺にとって、ピサロ率いるスペイン軍など、どうでもいい存在だった。
やって来たら、持ち込んだ最新兵器で吹き飛ばせばいい。だが、征服者を退けた後に残るのは、西園寺恭弥という一人の男によって完全に支配された、巨大な「財産搾取プラント」としてのインカ帝国だ。
(自覚のない人形ほど、使いやすいものはない。そのまま私に感謝し続けながら、一生私のために踊り続けるといい……『小さな使徒様』)
西園寺は、誰にも気づかれないように、眼鏡の奥で暗く、酷薄な笑みを深めた。
◇
誕生会から数ヶ月後。
ワイナの指示のもと、大規模な「アマゾン遠征隊」が編成された。
進軍の主力を担うのは、西園寺が提供した甲竜や肉食恐竜に跨がる「竜騎士団」。そして、西園寺のルートで大量導入された防霜・防湿用の近代的な野営資材と、抗生剤やマラリア予防薬などの現代医薬品だった。
かつては「緑の地獄」と恐れられ、踏み込むことすら困難だった過酷な熱帯雨林。
しかし、恐竜たちの圧倒的なパワーで樹木を押し拓き、近代の衛生知識と薬品で感染症を完全にシャットアウトされた帝国軍は、破竹の勢いでアマゾン奥地へと進撃していった。
「使徒様! アマゾン流域の先住部族たちとの交流に成功いたしました! 彼らは我らの連れる『神の獣』と、病を治す『奇跡の薬』にひれ伏し、帝国の傘下に入ることを誓っております!」
クスコの執務室で報告を受けたワイナは、胸を撫で下ろした。
「そうか……よかった。無用な流血を避けられたのは何よりだ。現地の人々には無理な労働をさせず、農耕と薬草の栽培を中心に協力してもらってくれ」
「ははっ!」
使者が退出した後、ワイナは一人、世界地図(現代から持ち込んだもの)を広げた。
(アマゾンルートの確保は順調だ。次は、カリブ海を迂回して北アメリカ大陸への拠点作り……いわゆる『ミシシッピ川流域』への進出計画だ。ここに強力な防衛拠点と製鉄所を造れば、大西洋を渡ってきたコンキスタドールを海上で捕捉できる)
自分の計画が着実に形になっていく達成感。
前世では冴えない一高校生だった自分が、今や歴史を塗り替え、巨大な文明を守り育てているのだという誇り。
そこへ、優雅な足取りで西園寺が入ってきた。
「素晴らしい手腕ですね、ワイナ様。アマゾン開拓の報せ、私も拝見しましたよ。先住民を力でねじ伏せるのではなく、医療と技術で味方につける……あなたらしい優しい選択だ」
「西園寺さん! ええ、すべてはあなたから提供していただいた医薬品と資材のおかげです。あなたがいてくれなければ、アマゾンの病魔にやられて全滅していたでしょう」
ワイナが素直な感謝を向けると、西園寺はいつもの穏やかな笑みでうなずいた。
「なに、私の持ち込んだ薬が役に立ったのなら光栄です。……ところでワイナ様、北米遠征の準備にあたり、私から一つ提案がございます」
「提案、ですか?」
「ええ。北米への大規模移住と拠点構築には、さらに膨大な資材と人命管理が必要になります。つきましては……アマゾンおよび今後の北米拠点の『物資管理』と『人員の適正配置』に関しましては、私どもの専門スタッフに一任していただけないでしょうか? あなたには、大局的な作戦指揮と、帝国の内政に専念していただきたいのです」
西園寺の申し出は、一見するとワイナの負担を減らすための、細やかな気遣いに思えた
(確かに、物流や細かな人員配置まで俺がチェックするのは限界がある。西園寺さんのグループのプロに任せられるなら、これほど心強いことはないな)
「わかりました! ぜひお願いします。西園寺さんには頼りっぱなしで申し訳ないです」
「ふふ、お気になさらないでください。私たちは『固い絆で結ばれたパートナー』なのですから」
西園寺は満足そうに目を細め、丁寧にお辞儀をして部屋を後にした。
——ワイナは知る由もなかった。
この「物資と人員管理の一任」こそが、西園寺による帝国の完全侵食の始まりであったことを。
アマゾンの深林に建設された「西園寺グループ管理エリア」。
そこでは、ワイナのあずかり知らぬところで、現地住民や反抗的な兵士たちが、西園寺の手先によって不当な重労働に従事させられ、得られた希少な資源や古代の遺物が、秘密裏に『ゲート』を通って異世界へと運び出されていたのだ。
ワイナが「救世主」としての光を浴びれば上がるほど、その足下に広がる闇は、西園寺の手によって深く、黒く濃くなっていっていた。
さらに時は流れ、ワイナが六歳を迎える頃。
タワンティンスーユの版図は、南米大陸の半分を覆い尽くし、北米大陸の南部沿岸にまで「竜の砦」と呼ばれる前線拠点が築かれるまでに拡大していた。
高炉からは常に鉄の煙が立ち上り、整備された舗装道路を車輪のついた馬車や手押し車が行き交う。
兵士たちは鋼の鎧を纏い、背には近代銃火器を背負い、訓練された恐竜とともに大地を駆け巡る。
世界史の表舞台ではまだ「未開の大陸」と呼ばれているはずの南米に、突如として出現した「鉄と蒸気と恐竜の超帝国」。
ある日の夕刻。
宮殿のテラスから、夕日に染まるクスコの街並みを見下ろしていたワイナの元に、西園寺が静かに歩み寄ってきた。
「美しい夕焼けですね、ワイナ様」
「ええ……。本当に、ここまで来られたなんて夢みたいです。西園寺さん、俺、時々怖くなるんです。もしあの日、あなたが現れてくれなかったら……俺のスカスカな知識とハッタリだけじゃ、きっと今頃行き詰まっていた」
幼い手を握りしめ、しみじみと語るワイナ。
西園寺はそんなワイナの横顔を、相変わらず優しげな目で見つめていた。
「……自分を卑下する必要はありませんよ、ワイナ様。あなたは本当によくやっておられる。あなたのその『純粋さ』こそが、この国をここまで動かしたのですから」
(クックック……そうだ。その純粋な無知こそが、私にとって最高の栄養源なのだよ)
西園寺の胸の内にある黒い嘲笑は、今や最高潮に達していた。
大西洋の向こう側では、史実通りスペインの船団が準備を進めているという情報が入っている。だが、そんなものは西園寺にとって「新しく仕入れる兵器の実験台」程度のリスクでしかない。
本当の脅威などどこにもない。
この世界は、この国は、すでに西園寺恭弥の手の中に完全に収まっているのだから。
「ワイナ様。間もなく、大西洋から最初の『お客様』が到着する頃でしょう。……準備は完璧です。あなたのご命じ通り、彼らを完膚なきまでに叩きのめし、この国の恐ろしさを世界に知らしめてやりましょう」
「はい! よろしくお願いします、西園寺さん!」
無邪気に微笑み、力強く頷くワイナ。
その肩を抱く西園寺の指先は、まるで糸で繋がれたマリオネットを愛でるかのように、冷ややかにしなやかであった。




