第四話:偽の顔と影の支配者
鉱山の近くに建設された製鉄用の高炉から、黒煙と熱気が立ち上り始めていた。
水車を導入した大型ふいごの稼働により、炉内の温度はかつてない高みに達し、職人たちの手によって試作段階の「鋼」の破片が生成されつつある。車輪を用いた輸送の効率化も相まって、帝国の改革は着実に芽を吹き始めていた。
だが、俺——ワイナの心は、少しも休まることがなかった。
技術革新のスピードは上がっているものの、数十年後に押し寄せる大航海時代の波を思えば、まだ圧倒的に時間が足りない。現代からの物資補給と知識の持ち込みだけでは、国家全体のインフラを書き換えるのに限界があった。
そんな折、予期せぬ「異常」が宮殿内で起きた。
◇
「ワイナ様……! 宮殿の裏庭に、巨大な『光の壁』が現れました……!」
青ざめた顔で駆け込んできたのは、近衛兵の隊長だった。
俺は眉をひそめ、すぐに現場へと向かった。皇帝ワイナ・カパックや重鎮たちも、ただならぬ雰囲気を察してぞろぞろと後を追ってくる。
裏庭の石畳の中央に、空間が切り取られたかのような長方形の「光の空間」が揺らめいていた。
俺が現代とこの世界を行き来する際の感覚とは違う。そこには明確に、金属とガラスで縁取られた「重厚なドア」のような枠組みが存在していた。
ざわめく兵士たちが青銅の槍を構える中、光の扉が静かに開いた。
現れたのは、仕立ての良い高級なスーツに身を包んだ、一人の男だった。
艶のある黒髪を綺麗に整え、品のある佇まい20代半ばほどの男。その佇まいからは、圧倒的な知性と、長年巨万の富を動かしてきた者だけが持つ独特の威厳が漂っていた。
「やあ、お邪魔しているかな。……ほう、ここが16世紀のインカ帝国か」
男は日本語で、滑らかに呟いた。そして俺の姿を見つけると、驚いたように目を細め、胸に手を当てて優雅にお辞儀をした。
「初めまして、小さな使徒様。私は西園寺 恭弥と申します。……突然の訪問をお許しいただきたい」
「お前は……誰だ? その能力は……」
俺が警戒を露わにして尋ねると、西園寺は穏やかな笑みを浮かべた。
「私は現代世界において、『西園寺コンツェルン』という事業グループの会長を務めております。世界各地、あらゆる産業に手を伸ばす身でしてね。……そして同時に、様々な時代や世界へ繋がる『門』を開く力を与えられた、異端の存在でもあります」
西園寺グループ。前世の記憶を掘り起こす。世界中に名を轟かせる、超巨大な国際複合企業体だ。経済、医療、軍事インフラにまで影響力を持つ巨大グループのトップが、なぜこんな力を持ってここにいる?
「私は歴史や異世界の探訪を趣味としておりましてね。先ほど、この時代・この場所で、著しい『時空の歪み』を感じ取ったのです。……どうやら、あなたという特異点が存在するようですね」
西園寺は皇帝ワイナ・カパックや重鎮たちにも恭しく向かい合い、彼らの言語(ケチュア語)で淀みなく語りかけた。
「偉大なるインカの皇帝陛下、ならびに諸将の皆様。私は時空を渡る旅人であり、商人でございます。この幼き使徒様の崇高な志——未来の脅威からこの国を守るという強い意思に感銘を受け、力になりたく参上いたしました」
西園寺がパチンと指を鳴らすと、扉の向こうから彼の部下と思われる男たちが、巨大な木箱をいくつも運び出してきた。
開け放たれた木箱の中には、現代の高品質な高炭素鋼の工具、抗生剤や各種ワクチンを含む医療資材、さらには精密な土木設計図の束がぎっしりと詰まっていた。
「……何ということだ」
重鎮たちから感嘆の声が漏れた。
西園寺は親しみやすい、慈愛に満ちた笑顔で一同を見渡す。
「これらはほんの挨拶代わりです。私どものグループの資質と技術があれば、この帝国の発展を百年単位で前倒しにすることも容易いでしょう。見返りなど求めません。私はただ、幼いながらに国の命運を背負うこの少年の『誇り高い戦い』に貢献したいだけなのです」
その完璧なまでの善人ぶりと、圧倒的な支援能力。
父上ワイナ・カパックは深く感銘を受け、重鎮たちも西園寺を「太陽神が遣わした第二の使徒」として絶賛し始めた。
(……助かる。間違いなく、この物資と技術援助があれば国は圧倒的な速度で強くなる)
俺は心の中で大きく頷いた。
西園寺が提示した物資は、俺が一人でコツコツ現代から運ぶには何か月もかかる量のものばかりだ。彼の力を借りられるなら、コンキスタドールとの戦いに間に合わせるどころか、完璧な迎撃態勢を整えられる。頼もしい協力者が現れたと、胸のつかえが下りるような思いだった。
「西園寺さん……感謝します。あなたの力を借りられれば、この国は救われます」
「ふふ、お礼には及びませんよ、ワイナ様。若き英雄の力になれることこそ、私の喜びですから」
西園寺は眼鏡の奥の目を細め、優しく俺の肩を叩いた。
◇
西園寺恭弥という男がもたらした「変革」の速度は、俺の想像を遥かに超えていた。
クスコの宮殿裏に設営された特別工房には、甲高い機械音が響き渡っている。そこに置かれていたのは、現代の最先端技術の結晶である工業用3Dプリンターや精密加工機械だった。俺が現代のホームセンターやネット通販で少しずつ買い溜めていた物資とは、規模も質も完全に次元が違っていた。
「ワイナ様、こちらをご覧ください」
西園寺はいつものように品のある穏やかな笑みを浮かべ、重厚な金属製の箱を開けて見せた。
中に整然と並んでいたのは、アサルトライフルやM249 MINI-MI、M17 / M18そして大量の弾薬だった。
「これは……! 一体どうやってこんなものを……? 個人で購入できるような代物じゃないはずだ」
驚愕する俺に対し、西園寺はメガネの奥の目を優しく細め、肩をすくめて見せた。
「ふふ、私は世界中に事業を展開する西園寺グループのトップですからね。裏のルートも含め、必要な資材を調達する手段には不自由しておりません。もうスペインではアメリカに進出しようとしている時期です。この国の平和と、幼いあなたの崇高な理念を守るためです。合法か違法かなどという小さな枠組みは、時空を超えた大事業の前には意味をなしませんよ」
「西園寺さん……本当に、感謝してもしきれない」
俺は心底から彼に深く感謝した。
一高校生だった俺の知識と転送能力だけでは、銃火器の自作など何年かかるか分からない途方もない課題だった。それを彼は一瞬で解決してくれたのだ。この男こそ、太陽神が自分に遣わしてくれた最大の理解者であり、最強の味方なのだと確信していた。
だが、西園寺がもたらした最大の驚愕は、近代兵器すらも上回るものだった。
◇
「ワイナ様……! 西園寺様が、信じがたい『神の獣』をお連れになりました……!」
数日後、クスコ郊外の広大な訓練場に集まった俺と皇帝ワイナ・カパック、そして軍の重鎮たちは、目前の光景に絶句していた。
西園寺が開いた巨大な「門」の向こうから姿を現したのは、太古の地球に存在したはずの巨大な恐竜——鋭い爪と牙を持つ肉食恐竜や、強靭な皮膚を持つ大型の甲竜たちだった。
「恐竜……!? 西園寺さん、まさか古代の時代まで『門』を繋げたのか!?」
「ええ。さまざまな時代へアクセスできるのが私の能力ですから。彼らを調教し、インカの精鋭兵たちを跨がせれば……どうでしょう?」
西園寺の発案により、帝国軍に「竜騎士団」が結成された。
分厚い恐竜の皮膚に現代の軽量合金の鎧を纏わせ、背に乗った兵士が火炎放射器や自動小銃を構える。古の巨獣と現代兵器の融合——それこそ、どんな近代兵器を持った外敵であっても一瞬で踏みつぶす、無敵の超兵器だった。
「素晴らしい……! おお、西園寺殿! あなたこそ真の神の使者だ!」
父上ワイナ・カパックは感涙にむせび、西園寺の手を強く握りしめた。
重鎮たちも西園寺を絶大な信頼と畏敬の念で見つめている。俺自身も、これでピサロたちコンキスタドールがやって来ても確実に勝利できると、胸のつかえが完全に下りるのを感じていた。
◇
その日の夜、宮殿の執務室で次の軍事配置図を広げていた俺は、ふと部屋の隅で給仕をしていた侍女に声をかけた。
「キリ。西園寺さんが来てくれてから、兵士たちの士気も上がっているな。……キリたち侍女の仕事も、何か変わったことはないか? 西園寺さんの部屋の世話も大変だろう」
「あ……は、はい……! 使徒様……!」
キリは一瞬、顔を蒼白にし、身体を細かく震わせた。
手に持っていたお茶の器が、カチカチと音を立てて揺れる。
「……キリ? どうしたんだ、体調でも悪いのか?」
「い、いえっ! 何でもございません! 西園寺様は……とてもお優しく、素晴らしいお方でございます! 私どもなどにも……大変気を使ってくださり……っ」
キリは俯いたまま、絞り出すような声で答えた。
「そうか。あの人は本当に気さくで、誰にでも優しいからな。何か困ったことがあったら、いつでも俺に言うんだぞ」
「……はい。ありがとうございます、使徒様……」
深々と頭を下げて部屋を出ていくキリの背中を見送りながら、俺は「気苦労が多いのだろう」と思った。
数日後
クスコの膨大な山々に、見たこともない地鳴りが響き渡っていた。
整列するのは、重厚な金属鎧に身を包んだ「竜騎士団」の兵士たち。彼らが跨がるのは、太古の時代から引きずり出された小型の肉食恐竜や、巨躯を誇る甲竜たちだ。その背には現代の技術で補強された鞍が取り付けられ、兵士の腕には西園寺の手によって運び込まれた最新式の銃器や火炎放射器が握られている。
「凄まじい……これならば、海の向こうからやって来る征服者など一ひねりだ」
高台から陣形を見下ろす父上は、身体を震わせて感嘆の声を上げた。周囲の将軍たちも、かつてない軍事力の誕生に歓喜の声を上げている。
俺もまた、その壮大な光景に胸を打たれていた。
(勝てる。これなら、この国を滅びの運命から完全に救い出せる……!)
前世の歴史で学んだ、コンキスタドールによる虐殺と略奪の記憶。それが今、西園寺恭弥という男の圧倒的な力によって上書きされようとしていた。彼が連れてきてくれた恐竜と、持ち込んでくれた現代兵器。これだけの戦術的優位があれば、ピサロたちがどれほど火薬や馬を持っていようと一切の敵ではない。
「ワイナ様、ご満足いただけましたでしょうか?」
不意に横から、落ち着いた声がかけられた。西園寺だ。
彼はいつものように上質なスーツを乱すことなく、眼鏡の奥から穏やかで慈愛に満ちた眼差しをこちらに向けていた。
「西園寺さん……本当にありがとうございます。あなたがいなければ、ここまでの軍勢を整えるなんて絶対に不可能でした。俺一人じゃ、せいぜい日常品を持ち込んでハッタリをかますのが限界だった……」
「いいえ、ご自分を卑下なさらないでください。あなたの『国を守りたい』という強い意志があったからこそ、私もこうして手を貸す気になれたのですから。私はただの支援者ですよ」
そう言って優しく微笑む西園寺に、俺は心からの敬意と全幅の信頼を抱いていた。
世界企業西園寺グループの会長という超大物でありながら、俺のような幼い(中身は高校生の)使徒に対しても対等に接し、惜しみない協力を惜しまない。彼こそが、この国に遣わしてくれた本当の救世主だ。
「よし……兵たちに演習を開始させよう。西園寺さん、火炎放射器と竜騎士の連携を確かめてもいいですか?」
「ええ、喜んで。すべてあなたの指示通りに動かしましょう」
俺は意気揚々と高台を駆け下り、現場の指揮を執るために走っていった。




