25:お礼
あれからシリルに連れられていくつかの夜会に参加したが、出席する家を選んでいると言ったその言葉通り、わたしがボンヘッファー侯爵に関係する令嬢らと遭遇することは無かった。
つまりシリルにとってそれは避けられる程度の事でしかなかったと言う意味。
ならばわたしの存在価値は一体どこにあるのだろうか?
ああまた暗い方へ、己の思考が沈んでいく……
夜会明けの翌朝。たった一日の夜更かしくらいで生活のリズムは崩れたりしないので、わたしはいつも通り目を覚ます。
まぁ昨日が遅かったぶんやや眠い自覚はあるが冷たい水で顔を洗えば問題なしだ。
一人でパパッと汚れても良い服に着替えて庭へ出る。庭師さんと挨拶を交わし、畑の世話をする。
ここに住み始めた最初の頃は驚いてギョッとされたけれども、今では気さくに挨拶を返してくれるようになったわ。
部屋に戻るとマルティナがやってきて土汚れを落としてからドレスに着替える。
着替えが終わる頃にはパンの焼ける良い匂いが香ってくるので食堂へ向かうのだ。
席に座りシリルを待つ。
いつも通り五分も待たずシリルが現れるから、席を立って挨拶を交わす。
夜会明けの日は昨日の話をすることが多い。
シリルは貴族の顔と名前が一致しないわたしにとても丁寧に教えてくれる。何とも有り難い事だ。
朝食を終えたら新たな日課となったダンスのレッスン。
執事さんにお願いしたらダンスの先生を呼んでくれたのだ。
難しい曲はまだ無理だけど、最初の方にかかる初心者向けの物なら先生からオーケーを貰える程度に成長した。
さてこのように日頃から─金銭的な意味でも─、お世話になっているシリルに何か返したい。
わたしがそう思ったのは別に珍しい事ではないだろう。
それに昼からすっごく暇だしね~
「お礼をしたいのだけど何が良いかしら」
「それをあたしに聞きますか?」
うん。
だってマルティナにも侍女長さんにも聞いたんで後はベリンダだけだもん~
ちなみにベリンダは一応平民の出ではなく─と言うか前列三人は全員そうだったけど─、騎士の家系に生まれた女子らしい。
英才教育と言えば聞こえが良いけど、幼い頃からの厳しい訓練を経て、剣を振るのを生業にしたそうだ。
と言うか必然的にそうなるよねー
「ずばり貴女が貰うと嬉しい物は何かしら?」
「業物の剣ですかね」
「却下よ、次!」
「ええっ却下するならいっそ退場させてください」
泣きそうな顔をしているが根が真面目な彼女は頭を捻って次の答えを真剣に考え始めた。そしてうんうん唸ってやっと出てきた新たな答えは、剣を振っているとすぐにグローブが擦り切れるから、新しいグローブだってさ。
「ベリンダ、貴女はいったん剣から離れましょうか」
「逆に聞きますが、クリスタ様は何を貰うと嬉しいのですか?」
「野菜の種かしら」
「却下です、次です」
「えー育つと増えるのよ。とってもお得だと思わない?」
「一般向けじゃありません」
「むしろ食べられる品と言うのは一般いいえ万人向けじゃないかしら」
「クリスタ様、例えば旦那様が生のお野菜を貰ったとします。旦那様はそれをどうなさると思われますか?」
「部屋に」
「飾らないですね」
「そんなの料理長に渡してお終いではないですか」
いままで静観していてくれたマルティナが耐えかねて声を入れてきた。
「あたしもそう思います」
形の良い眉を顰めて、愚痴混じりに料理長に丸投げする姿が想像できたからぐうの音も出なかったわ。
いい案が出ずに三人でうんうん唸っている所に入って来たのは執事さん。
「クリスタ様、失礼します」
「あらどうかした?」
そう聞きながらきっと~と思いをはせる。
今の時間だとシリルと共に執務室に居るはずで、わたしの所に来たとすればシリルが呼んでいると言う話だろうな~と。
「旦那様がお呼びですが、ご都度は如何でしょうか?」
うん? と首を傾げる。
予想通りの要件だったが、しかし、普段ならば『お呼びです』で終わるのに今日は違った。ぶっちゃけ、こちらの予定を聞かれたのは初めてだわ。
「シリル様がお呼びなのでしょう。すぐに伺います」
「いえ旦那様から無理強いをしないようにと言付かっておりますので、お時間が無ければ断って頂いて構いません」
「でしたらわたしは暇ですから構いません」
なんか低姿勢だな~と思いつつ執事さんについて行った。
執事さんは執務室へ。
彼がノックをするとガチャリとドアが開きシリルが現れた。
「呼びだてして悪かったな。時間は良かったのか?」
「ええお昼すぎは特にすることもございませんから、いつでも構いませんわ」
「それは随分と魅力的なお誘いだが、悪いな。流石に毎日は時間が取れんよ」
「左様ですか。それで本日は一体……」
「少しばかり時間が開いたから貴女とお茶を飲もうかと思って誘ったのだ」
ほぇ? と首を傾げる。言われた意味を理解して、
「初めて誘って頂いた様な気がします」
「うっ悪かった」
「いいえ責めているつもりでは! お忙しい中でわたしとの時間を取って頂けるなんて思ってもおりませんでした。
シリル様ありがとうございます」
シリルは一瞬照れ笑いの様な表情を見せたが、すぐにクルリと背を向けると歩き始めてしまう。きっと見られまいと背を向けたのだろうけど、ちゃんと見させて貰ったよ~
シリルは殺風景な執務室を出て、畑が見えるテラスへ向かう。
お茶が入るとシリルは窓から庭をチラッと見て、「随分と育ったな」と呟いた。
「そうですね。
わたしがこちらに来てもう二ヶ月になりますから」
「あれは食べられるのだったか」
その言葉に『おやや、もしや野菜のプレゼントの線があるかも~』とわたしの期待が少々増したよ。
「ええもう少しで食べられますよ。出来たらシリル様に差し上げますね」
「はははっ俺が野菜を貰っても困るな。
収穫した時は料理長に渡してくれ。きっといいようにしてくれるだろう」
なんだ~さっきのは社交辞令か~とガッカリだよ。
勢いついでにこの際に直接聞いてしまえと、
「あのシリル様、これまでのお礼をしたいのですが、わたしに出来ることで何かやって欲しい事はございませんか?」
「突然だな。いったいどうした」
「ドレスや宝石、それにお父様の件。シリル様には感謝しかございません」
「その感謝を愛情に変えてくれるのが一番の望みだが……」
「うっ確かにそうですね。スミマセン」
「そうだな……
ふむ簡単な所で少しだけ我がままを言わせて貰おう」
「えーとお手柔らかにお願いします」
「毎日親睦を深める為に抱擁をするのはどうだろう?」
「それは本気で仰っていますか?」
お金がかからない提案だし、本当にそれが望みならばやぶさかでもないけど……
でも意地悪く口元がニィと嗤っているからきっと冗談でしょうね。
「フフ。本気と言えば本気だが、相応しい願いではないな。
そう言えば世間一般の婚約者を持つ貴族は、婚約者から名前の刺繍が入ったハンカチを貰うそうだ。俺がクリスタと婚約して二ヶ月。
そろそろ『お前はまだ貰っていないのか?』と揶揄や自慢してくる輩が鬱陶しくなってきた。
これならばどうかな?」
「刺繍ですか……」
「嫌か」
「いえ実はわたしは刺繍をほとんどやった事がございません」
刺繍って趣味の世界だからね~、バウムガルテン子爵に趣味に使える無駄なお金がある訳がないよねって話だ。
「しかし先日、俺の袖の釦が取れそうな時に見事に付けて見せたではないか」
「あ、はい。そう言うのは得意です」
釦やら服の直しはお金になるからお小遣い目当てに結構やった。それどころか古着を買い取って新しい服に仕立てて売ったりもしたわね~
「同じ針仕事だから俺には同じ様な事だと思うが違うのか」
なんだかしょぼんとされてしまった。
「慣れれば出来ると思います。少し時間を頂いてよろしいでしょうか?」
「ああ構わない」
笑みが戻ったところでシリルの休み時間は終了。
「悪いな。今日はここまでのようだ。
付き合ってくれてありがとうクリスタ」
「こちらこそ楽しかったですわ。またお誘いをお待ちしも?」
「ああすぐにでも誘おう」
しかし─無粋な事に─執事さんが「ンンッ」とワザとらしい咳をすると、
「チッ……まずは仕事に目処を付けるとしよう」
寂しそうに立ち去る背中にわたしは「あっ」と声を漏らした。
それに反応してシリルが足を止める。そしてなんだと、首を傾げる仕草を見せた。
よし! 私は意を決して一歩、二歩と近寄り、背中からお腹の方へ手を回してぎゅっとほんの少し力を込めて抱きついた。
「無理をなさらないようにしてください」
言い終えるとパッと離れて、じゃあ行ってらっしゃいとぺこりと頭を下げたのだが、顔を上げれば、まだそこにシリルが顔を真っ赤にして固まっているじゃん!
小脇に控える執事さんがヤレヤレと諦めたかのように首を振っているのだけど、これってわたしが全面的に悪いんですかね?
さて問題のハンカチの刺繍だが、そもそも古着から新たな服が造れるわたしからすれば、やり方を覚えれば大したことは無くて、名前の刺繍など容易かった。
名前だけでは寂しいかもとまずは彼の家紋を入れた。興に乗った私はさらに色々な物を刺繍で埋め込んでいく。
そしていざプレゼント。
「ありがとう。
非常にみずみずしいとは思うが、野菜は止めてくれると助かる」
緑の苗に成る真っ赤なトマト。我ながら会心の出来だと自負していたのだが、どうやら題材が悪かったみたい。
うう~む獅子や鷹なら良かったのかなあ?




