9話 ~不可幸力~
混沌とした荒野を挟んで、二つの異形の軍勢が対峙していた。
「突撃ィ! 引いた奴は後ろから射殺せ!」
後方から響く、鼓膜を震わせるような上官の怒号。そして、逃亡を阻止するために番えられた弓兵たちの、冷徹で鋭い視線。最前線のゴブリンたちが、喉が裂けんばかりの雄叫びを上げながら一斉に走り出した。
「ウオオオォォォッ!」
百体近い緑色の群れが地を蹴る。目指す十数メートル先、砂埃の向こう側で待ち構えるのもまた、醜悪なゴブリンの軍勢だ。
「ウオオオオ!」
愛刀『錆丸』を手にした準之介も、その濁流の中にいた。一昨日までと違うのは、身体の芯から溢れるような脚力。そして何より、今日の彼には明確な「気迫」があった。
敵軍との距離がどんどんと縮まっていって、もう少しで交りそうだという時、準之介は深く息を吸い込み、心の中で念じた。
(特殊魔法『疾風波動』――発動!)
この特殊魔法は、発動した瞬間に「最高速度」へと到達することを可能にする。特殊魔法にしては地味だと思うかもしれない、しかし間違いだ。
人間の話に置き換えれば、100メートル走の一流選手が最高速度に達するまでには、スタートから約6秒かかると言われている。だが、準之介はそのプロセスをゼロにした。
相手のゴブリンが準備する間さえ与えない。準之介は雷光のような踏み込みで、敵軍の先頭にいた手強そうな個体の胸元へ『錆丸』を深く突き刺した。
驚きと死が同時に訪れた敵の目から命が消えていく。
「吸引!」
魔物なら誰でも使える魔法を唱えれば、絶命した敵の体から魔石が飛び出し、彼の手に収まる。
(『疾風波動』発動!)
すぐさま移動を開始する。敵に囲まれるのは愚策だ。この異常な機動力を生かすには、常に動き回れるだけの空間が必要だった。
準之介が導き出したこの魔法に最適な戦法――それは「突き」と「ヒットアンドアウェイ」。
剣を振り回すよりも、ただ真っ直ぐに加速の威力を一点に集中させて突く。そしてすぐさま離脱する。
単純だが、初見では回避困難な「初見殺し」の必殺技へと昇華されていた。
これまでは隙をうかがって死肉を漁るような戦い方だった。だが、今の準之介は自ら積極的に獲物を狩り取っていく。ガボから受け継いだ力は、確実に彼を「戦士」へと変えていた。
腰に下げた革袋には、かつてないほどの重みを感じる魔石が次々と蓄積されていく。
(……勇者、いるのか?)
戦いの最中、彼は周囲への警戒も怠らなかった。一瞬で大量のゴブリンを屠ったという、白馬に跨る白銀の鎧。もし、今日も奴が現れたら――。
(その時は、逃げる。全力でだ)
ガボの仇を討つなどという大それた考えは抱かない。自分はあくまで、一匹の非力なゴブリンに過ぎないのだから。
「俺はただのゴブリンなんだよ……」
自嘲気味に笑い、準之介は再び加速した。鋭い刺突が敵の喉笛を貫く。
(だけど……無駄じゃない。ガボの死は、決して無駄なんかじゃない)
手に残る確かな手応えを感じながら、準之介は心の中で強く反芻した。
あいつが死んで、自分にこの力を残してくれたおかげで、ようやく一つの真理を学んだのだ。
明日死ぬかもしれない。一秒後に死ぬかもしれない。そんなことを考えていたら、ふと思い出したことがあった。
『生きてるだけで丸儲け』
前世で誰もが知っていたお笑い怪獣、明石家さんまの座右の銘。かつてテレビの画面越しに聞いていたその言葉が、今、これ以上ないほど腑に落ちた。
(魔王になりたかったガボは、今こうやって戦場に立って、息をしている俺を見て羨ましく思っているはずだ)
一秒、また一秒。
剣を振り、風を切り、土の匂いを嗅ぐたびに、俺は儲け続けている。そう考えたら、昨日よりもずっと、生きていることが楽しくなった。
「おらぁっ!」
準之介は、誰よりも高く、力強く跳躍した。
その顔には、死と隣り合わせの戦場には不釣り合いなほど、晴れやかな笑みが浮かんでいた。
その日、戦場が静まり返ったとき、準之介が上げた戦果は、自軍の全ゴブリンの中でトップを記録していた。
(ありがとうよ、ガボ………)
満足げな表情で帰路につく。今日は昨日よりきっと、健やかに眠れそうだ。
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