4話 ~ナイトルーティーン~
目を覚ました準之介は、湿った土の上でゆっくりと身体を起こした。
まずは大きく伸びをし、入念にストレッチを始める。指先から足の甲まで、筋肉の強張り(こわばり)を一つずつ解いていく。これは彼が自分に課した、欠かすことのない日課だ。
(歯を磨く習慣は捨てたが、ストレッチだけはやめられないな)
毎日が命懸けのこの世界では、一瞬の反応の遅れが死に直結する。誰に命じられたわけでもないが、生存確率をわずかでも上げるためのルーティーン。
周りを見渡しても、そんなことをしているゴブリンは彼一人だけだ。他の連中は、薄汚い塊のように転がって、いびきをかきながら眠りこけている。
ルーティーンを終えると、腰に下げた革袋から一塊の肉を取り出した。
塩も香辛料も、火さえ通っていないただの生肉だ。人間だった頃の彼が見れば、即座に保健所に通報するような代物だが、今の身体はこれを「美味い」と認識する。
(腐った肉でも腹を壊さないゴブリンの体は、本当に便利だ。……ただ、野菜を身体が拒むようになったのは最悪だな)
ふと、「茄子の揚げ浸し」の味を思い出す。あの出汁が染みたトロトロの食感。
恋しく思う気持ちはあるが、この魔界に茄子があるのかも分からないし、あったとしても今の自分が食べれば吐き出してしまう気がした。
喉が鳴る。準之介は近くの水たまりに顔を突っ込み、野性味溢れるやり方で喉を潤した。そして身支度を整え、洞窟を歩き出す。もちろん裸足だ。
かつては靴の中に砂一粒入るだけで不快だった潔癖症。だが今は、足裏に伝わる土の冷たさや石のゴツゴツした感触が、むしろ心地よい。靴を履くことを想像しただけで、足先が窮屈さに悲鳴を上げそうだった。
洞窟を抜けると、そこには美しく燃えるような空が広がっていた。
「いい感じだ……」
魔界では地球に比べて夕暮れが真っ赤に世界を染める。
「世界が燃えているようだ」なんて陳腐なセリフを口に出してしまった事を思い出す。そしたら隣にいたゴブリンが「すげー!めちゃくちゃ格好いいこと言うじゃんお前!」と感動されてしまって恥ずかしい思いをした。
魔物たちの真の活動時間は、これから始まる夜だ。
昼間でも動けないわけではないが、太陽の下では身体も脳も、重い泥に浸かったように鈍くなる。夕闇が迫る今こそ、ゴブリンとしての全感覚が研ぎ澄まされていく時間だ。
「さて、行くか……」
戦利品を入れるための革袋をいくつか腰にぶら下げ、錆びた短剣を握る。これが準之介にとっての全財産。
魔界は汚くて、不衛生で、どこに死の罠が潜んでいるか分からない危険地帯。それでも、ここには世間体も花粉症もない。他の誰が何をしているかなんて、普通のゴブリンはほとんど気にしない。
何をするのも、どこにいくのも自由だ。
沈みゆく夕日の残光を浴びながら、準之介はたまらなく心地よい解放感に包まれ、夕暮れの赤へと踏み出した。
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