第六話 喉の熱さと喉の厚さ(前編)
門をくぐった途端、空気が変わる。生け垣に囲まれ、外が見えないからなのか、明らかに別世界。
周りをキョロキョロ見回しながら、いつもより早口で余梁が口を開く。
「お、おじゃまします。……あっ、ご、豪邸について質問です」
「はい、どうぞ」
「おじゃましますって、この門で言うのか、あっちのドアで言うのか、どっち?」
「あはは、どっちでもいいよ。それにウチの人、基本的に居ないから、気にしなくていいよ」
「じゃあどっちでも言うね」
まだ春の色を取り戻していない芝生を、足元で感じながら玄関前まで歩き、那音がドアを開ける。
「どうぞ、遠慮なく」
「お、おじゃまします。……わぁーシャンベッリャ……シャン、デ、リ、アだ」
肩を丸め口元に手を当てながら、噛んでしまった言葉をすぐに訂正する。
「おっ出たな、余梁の得意技」
「うー、得意技じゃないし。前まではこんなに噛まなかったのにな」
ジト目で子犬が威嚇するような声を上げ、余梁が言い返す。
地下にあるカラオケルームへ向かう途中、目に入るもの全てに、興味津々な反応をする余梁を見て、那音は頬が緩むのを隠すように別の方を向く。
「はい、どうぞ」
那音がカラオケルームのドアを開けながら中へと促す。
「お、おじゃまします」
「余梁、緊張し過ぎ。リラックスしてね、深呼吸しな」
「うん、そうだね……」
と大きな口を開け、胸を上下させる。
余梁が落ち着いたのを確認して、
「んじゃドリンクバー行こっか」
「え、ド、ドリンクバーあるの!?」
「あるよ、だって、カラオケだもん」
「いや、家でしょ!」
と余梁が感覚のズレにツッコミを入れる。
部屋を出てすぐのところに、確かにドリンクバーがあった。
「好きなの飲んでいいよ」
「ありがとう。じゃあ。オレンジジュースにするね」
緊張を解いた余梁は、自分でボタンを操作し、コップに並々と注いだ。
部屋に戻り、専用の機器で曲を探しながら、それぞれのドリンクを口にする。
「なにこれ。オレンジジュース超うまい」
「うまいでしょ。自家製だからさ」
「すんごいうまい。那音くんのはなに?」
「これは、自家製のジンジャーエ……」
言い終わる前に、余梁が那音のコップを手にし、躊躇いなく口をつけている。
「わぁーこのジンジャーエールも超うまい。次これにしよ」
と無邪気に笑う姿を、那音は直視できず、顔を赤らめながら手に汗を滲ませる。
「そ、それ俺の……」
「ん?じゃあ、那音くんも私のオレンジ、はい」
と自分のコップを差し出してくるが、那音は顔を見れず、差し出されたコップを凝視している。
「そ、そういう意味じゃないんだけど……」
と言いながらもコップを受け取り、喉に流し込む。
冷たいオレンジジュースが、喉の奥を熱くさせると、いつもより甘味と酸味を強く感じる。心臓の鼓動が痛い。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるわ」
逃げるように部屋を出て、なんとか心臓を落ち着かせる。
カラオケルームに入る前に、もう一度手を大きく広げ深呼吸をする。
「ふぅ、お待たせ。あ、そうだ、ポテトとか頼む?」
と部屋の横の受話器に手を掛けながら那音が聞く。
「え、フードの注文もできるの!?」
「できるよ、だって、カラオケだもん」
「いや、家でしょ!」
再び余梁が感覚のズレにツッコミを入れ、そのまま続ける。
「そもそも誰が作ってくれるの?」
「え?家政婦さんだよ」
「家政婦さんいるの!?」
「いるよ、だって、カラオケだも……」
「さすがに違う!」
今度は言い終わる前にツッコミを入れた。
ポテトの注文を終え、那音は席に戻り機器を操作しながら、返事が分かっている問いを投げる。
「俺から歌っていい?」
「もちろん。那音くんの歌楽しみ」
余梁は、背もたれから身体を起こし、聞く体勢を整える。
「ありがとう。音程見ながら歌いたいから、採点も入れるね」
機器を操作し、採点と曲を転送する。
二人が産まれる前から歌い継がれる、大ヒット曲のイントロが流れ、那音はマイクを左手に立ち上がる。
マイクのスイッチをオンにすると那音の雰囲気が変わる。
最初のフレーズを歌うための息を吸い込むと、部屋の空気が全て入れ替わったように、違うものになる。
最初の一音はわずかに低かった。
訂正しようと、音を持ち上げると、今度は大きく高くなってしまい、そのままの調子で一番を歌い終える。
余梁の方を一瞥すると、真っ直ぐな眼をして真剣に聞いている。
(余梁に届けたい、思いっきり歌おう)
先の喉の熱さを歌に変えるつもりで、液晶から余梁の方へ、身体ごと視線を移す。
マイクのスイッチをオフにし、部屋の空気を全て吸い込む勢いで吸い込む。
そのまま思いっきり口を開き、マイク通さない声を届ける。
音程はぐちゃぐちゃ、歌詞も少し間違えている、なのに部屋を構成する全てに共鳴するような歌。
否、逆だ。そんな柔らかな物ではない。
全てを那音の歌に共鳴させる。そんな強引な力さえ感じる。
力の限り歌い終え、肩で息をしながら、余梁の反応を伺うと
出会った日のような満面の笑みを咲かせながら、拍手を送っていた。
「う……ちょっと待って」
その笑みは胸にチクッと刺さる。さらに……
「ごめん、手を叩かれるのがトラウマなんだ。あの……親友の件から……」
「あっそうだったんだ。ごめんね。うーん、じゃあどうしようかな……」
余梁は感動を伝える術を、両手を泳がせながら探して
「そうだ、はいっ!」
っと立ち上がり、那音の方に両手を向けハイタッチを促す。
それに応じて、達成感と高揚感が口角を上げさせる。
「ありがとう。どうだったかな……?」
「一番は音程を合わせようとし過ぎてるのが伝わってきた。ごめんね……那音くん、音程取るの苦手だよね?」
「うん……。だから歌手になれないってバカにされた」
「二番みたいなのが那音くんが届けたい歌なんじゃないの?すごく気持ちが乗ってた。昔のお父さんみたい」
余梁の憧れの存在に形容され、那音は目を丸くする。
「それは……ありがと。めちゃくちゃ嬉しい」
「那音くんはさ、どうして歌手になろうと思ったの?」
「俺は……余梁みたいに歌手に憧れて、とかじゃなくて……マンガなんだ、マンガのワンシーンで……」
「マンガ!?」
本を開くジェスチャーをしながら余梁が聞き返す。
「そう、しかもバトルマンガなんだけど、絶体絶命の主人公を応援するために、戦えない親友が歌うんだ。その必死の歌で、主人公がそれまで以上の力を発揮するシーンが……かっこよくて、かっこよくて、かっこいいんだ!」
「へぇ、いいじゃん。今度そのシーン見せてね。やっぱり那音くんは、さっきの二番みたいな歌い方がいいよ!」
拳を握り前屈みで話す那音に、余梁が微笑みながら返す。
液晶には74点が表示されている。
「よし、じゃあ次は私の番だね!」
余梁は、オレンジジュースを一口含み、機器を操作して曲を転送する。
咳を堪えているようだったので、那音は、のど飴を袋から開けて渡す。
余梁は右手で受け取り口へ運び、そのまま手を立ててありがとうを伝える。
立ち上がる。息を吸い込む。吐き出す。
目を瞑る。集中力を高める。
人気男性アーティストの、一番のヒット曲のイントロが流れ始めると
余梁の背景が、全て引き立て役に変わる。
マイクのスイッチをオンにして、優しく口を開く。
『喉の熱さと喉の厚さ(前編)』




