第七話 喉の熱さと喉の厚さ(後編)
最初の一音は、とても小さかった。
なのに耳の奥まで届き、脳に貼り付き、永遠に余韻が残るような音。
喉の憂いを無くした余梁は、サビに向けて急激に気持ちを高めていく。
那音はゴクリと、固い唾を飲み込む。
サビに入ると、支配が始まる。
那音は、どこまでが自分の感覚か分からなくなる。
触覚、さらに味覚までもが余梁に支配されているように……
――那音は口を開けたまま。
余梁が座り、支配が解けて、曲が終わったことを認識する。
自由になった那音はそのままの口で
「――天才だ……」
と呟く。
液晶には97点が表示されている。
余梁は、やれやれと息を吐きながら肩を落とし
「はぁ……『天才』って褒め言葉なのかな。すっごい練習して、喉が掠れるほど努力しても『天才だから歌が上手い』って評価されるの?」
「えっ……」
『天才』が羨望の対象だった那音は目を丸くして、口に手を当てている。
「確かに、多少の才能はあるって自覚してるよ。でもね、『天才』って言われたら、その奥にある努力とか歌への想いとかは無視されるよね」
「ご……ごめん。言葉が悪かった」
那音は顔の前で両手を合わせ、謝意を表し、言葉を続ける。
「余梁の歌はあいつらとは全然違った。聞いてる俺の逃げ場がなかった。虜にされた」
「ありがとう。那音くんが悪い意味で言ってないことは、もちろんわかっ……ゴホッゴホッ」
歌う前よりも鈍い咳が言葉を遮る。
「余梁、大丈夫?うがい薬あるから待ってて」
「失礼します」
ノックの音がして、ポテトが届いた。
「ありがとう。ちょうどよかった。申し訳ないけど、うがい薬を持ってきてくれる?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
ちょうど注文の品を持ってきた家政婦に、間髪入れずに注文する。
しばらく待ち、再びノックの音がする。
「お待ち致しました」
「ありがとう、助かるよ」
「ゴホッ……あっ、家政婦さん、ゴホッ、お邪魔してます。薬ありがとうございます、ゴホッ」
「お大事になさってください。それでは失礼致します」
那音は、余梁をドリンクバー横のシンクに連れていき
「余梁、ここでうがいしていいよ」
「ゴホッ、ありがとう。ガラ…… ガラガラッペッ」
一緒に受け取ったタオルで口を拭き、余梁が続ける。
「ふぅーだいぶ楽になったよ。ありがとうね。」
「よかった。てか病院行った方がいいんじゃない?親父に診てもらう?」
「うーん、大丈夫! 昔からよくあるし、病院行っても『ちょっと炎症起こしてますねぇ』って言われるだけだから」
それに……と余梁が続けて言葉を紡ぐ。
「この喉は努力の証なんだ。『天才だから歌が上手くて当たり前』って言われても、私は喉を掠れさせた分だけ、自信が持てる。そうして喉に積み重ねた自信の厚さが、私の歌をつくってる」
喉をさすりながら、反対の手を腰に当て、得意気だ。
それを受け止めた那音は深く頷きながら感心を示す。
「なるほど、君の歌の正体がわかった。見習うよ」
「私は、那音くんの歌に、お父さんみたいな熱さを感じたよ」
音が同じ『厚さ』と『熱さ』の違いをジェスチャーで表しながら余梁は続けて那音に伝える。
「歌ってみてよ。お父さんの曲。聞きたい」
那音は、身体の横で拳を握り
「俺も歌いたいと思ってた、君に。」
以降、どちらも口を開かない。
カラオケルームに戻ってきて、ポテトに目もくれず、その曲を転送する。
マイクをテーブルに置いたまま立ち上がり、余梁の方へ身体ごと向ける。
余梁も真っ直ぐな目で那音を見ている。
イントロが流れると、二人揃ってゆっくりと目を瞑り、第六感を鋭くする。
先の那音の周りを共鳴させる強引な歌
先の余梁の周りを支配する蠱惑的な歌
その積が自分の目指す歌だと、那音は定めた。
目指す歌の頂きは果てしない。
今は目の前のたった一人の女の子に届けるために歌う。心に届くように。
最初の一音は、音程を合わせる気がない叫び。
発した時、那音は手応えを掴んだ。
それを離さないように、慎重に、強引に、力の限り歌い続ける。
『この余韻は心に棲みつく贈り物』
最後のフレーズを歌い終えた時、その手応えは那音の心に棲みついた。
ゆっくり目を開け、肩で息をしながら余梁を視界に入れると、目を瞑ったまま、口をへの字に曲げ、身体を震わしている。
余梁が目を開くまで待ち、那音が口を開く。
「君のお父さんの曲、やっぱすごい」
それを聞いた余梁は、満面の笑みを作り、跳び跳ねるように立ち上がる。
「那音くん、すごい!すごいよ!」
とまたハイタッチのように両手のひらを向けてくる。それに応じて手を合わせると、ギュッと握られた。
「……ちょ……手……俺、手汗……」
「那音くん、すごかった。ほんとに。昔のお父さんみたいな魔法の歌だった」
那音は、弾む心臓を抑え動揺を隠し、なんとか言葉を返す。
「おれ目指すべき歌がわかった。この曲に込められてる想いが身体に入り込んできた」
息と固い唾を飲み込み、那音が続ける。
「この曲って、余梁のこと歌ってるんじゃないかな?」
「うん、私も今聞いて、そう思った」
余梁は応え、言葉を続ける。
「私、ちゃんとお父さんに愛されてるね」
朝のたぬき寝入り中の疑惑を吹っ飛ばし、満足感で顔を満たしている。
「あの曲……お父さん、めっちゃ余梁のこと大好きだと思うよ!」
那音は、手の感触に慣れてきて、握り返しながら伝える。
液晶には、測定不能と表示されている。
「じゃあ、そろそろ……」
と那音が切り出すと
「あ、あのー……那音くん……。」
と小さく右手を挙げながら余梁が発言を続ける。
「ポ、ポテト持って帰っていいでしょうか?あと……オレンジジュースも……お父さんに豪邸土産で……」
「あはは……もちろん、いくらでもいいよ」
と那音が応えると、やったーとガッツポーズを作る。
ポテトとオレンジジュースを持ち帰り用に包む。
「じゃあ、そろそろお開きかな」
再び那音が伝えると、残念そうにジト目をつくり、余梁が問いかける。
「……え、延長は無しですか?」
「無しです」
「だってカラオケじゃないの?」
「いや、家だよ!」
先と逆のやり取りを交わし締める。
公園まで送っていく途中、那音は前を向いたまま
「余梁、また練習試合しようね。朝、夕は自主練か学校があるけど、今日ぐらいの時間ならいつでもいいから」
「那音くん、ありがとう。私もまた那音くんの歌聞きたいから、それじゃ明日も明後日も行くね!」
「えっ!?……喉大丈夫?」
「調子悪かったら、聞くだけにするから」
お願いします、と両手を合わせながら上目遣いで那音を見る。
「うーん、わかった。また、うがい薬とのど飴、用意しておくね」
「やった!ありがと!じゃあもう近くだからここら辺でいいよ。那音くん、お父さんとの話し合いがんばって!さっきの歌の調子で気合い入れて!」
右手の拳を那音の方に突きだし、余梁が駆け足を始める。
「ありがと!バッチリ伝えるわ!」
那音も拳を突きだし、後ろ姿を見送る。
* * * * * * * * * * * * *
余梁の手の温もりの余韻を思い出しながら、家に着き、スマートフォンを確認すると、正人からメッセージが届いていた。
『那音、悪い。急患だ、
今日は帰れない』
喉の話をしようとするといつもこうだ。
結局、話し合いが出来ないまま、夏のオーディションを迎える。
那音が挑戦できるオーディションは後二回。
『喉の熱さと喉の厚さ(後編)』
第一章 完です。
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この話は結末まで決まっていて、
まだまだ面白い展開用意してますので
この後も是非読んで頂けると嬉しいです!!
第二章 4月27日(月)18時より開始します。




