第40話 愛による必然の結果
全身麻酔に意識を奪われている中、那音は短い夢を見る。
大観衆の前、豪華なステージの上で余梁と二人で歌っている。
アイコンタクトをしながら、息を合わせ、そして声を合わせて。
——あぁ、楽しいな。最高だ。
それは那音が想い描いた、最高の理想だった。
最後の歌を終え、大歓声を受けながら一度捌ける。
そしてすぐに地響きのようにアンコールが鳴り響く。それに応えるために、勢いよく立ち上がると——
現実に戻ってしまった。
まるで麻酔をかけられてから、ほんの数秒後のような不思議な感覚。
たった今の短い夢は、那音自身の夢への未練を痛切に感じさせた。
自分の身体じゃないみたいに、指先まで重たい身体。
目からは涙が滲んでいるのを感じる。
それは現実に戻される前から滲んでいた。
しかし夢の中での、最高の理想に対しての嬉し涙から、現実に引き戻されて、もうその夢が決して叶わない事に対しての悲し涙に役割が変わった。
自分の選択に後悔はない。余梁を救いたかった。救えるのは自分しか居なかった。
きっと何回人生をやり直しても、この選択をする事になるだろう。
しかし……だけど……でも……それでも……。
もう歌えないのは……辛い。
「……ぅ……う……」
小さな嗚咽が漏れる。嗚咽の声すら失ったハズなのに。
それにハッとして那音は違和感を覚えた。
摘出されたはずの喉に違和感が無い事への違和感を。
ふと一つの可能性が頭を過り、怒りに頭を支配される。
重たい腕を必死に動かして、ナースコールに手を延ばそうとする。
その時、
「目を覚ましたか」
怒りの矛先——正人に呼び掛けられた。
「……お、や……おやじ……」
麻酔から目覚めたばかりで、上手く言葉が紡げない。
しかし怒りを伝えるために、鋭い目を向けた。
「那音、あのな……」
「お……れの……」
正人が口を開こうとするのを遮り、ゆっくりとしか喋れないが、怒りをぶつける。
「お、れ……の……。覚悟を……。踏み、にじった。……のか……」
「そんなわけないだろう。ちゃんと説明する。落ち着いて聞け」
言葉に精一杯の怒気を込める那音に対して、正人は真っ直ぐに目を見て、芯の通った言葉を返した。
「お前が麻酔にかかってすぐに、手術室のドアがドンドンと叩かれたんだ」
正人はところどころ声を震わせながら、説明を始める。
那音が麻酔にかかっている間に起こった奇跡を。
否、奇跡なんて偶発的な出来事ではない、あれは強い想いが為した、愛による必然の結果。
◇ ◇ ◇
長く深い眠りの中。
余梁の声が聞こえ、意識の端を掴むことができた。
余梁の声に呼び掛けられているような、生気を送ってくれているような感覚。
その声が自分の使命を思い出させてくれた。
意識を取り戻すために、深い沼の底から這い上がるような感覚でもがき、現実の世界に戻って来れた。
枕元に置かれたボイスレコーダーから、余梁の声が、歌が聞こえてくる。
『でも、生まれ変わったら、また私は私の人生がいいな』
余梁が創った曲のフレーズを噛み締める。
親にとって、娘がそんな事を思ってくれているのはどんなに幸せな事だろうか。
自分が今しなければいけないこと、果たすべき使命があるはず。
まだ上手く動かせない身体に鞭を打ち、ナースコールを押す。
看護師が来るまでの間、何度も、何度もボイスレコーダーを操作していた。
そして状況の説明を受けてから、止めようとする看護師に必死の形相で迫り、なんとか手術室まで車椅子を押して連れていってもらった。
手術室の前に着くと、一寸の迷いもなくドアをドンドンと叩く。
「——俺の声帯を、余梁に渡してくれ。俺は、余梁の父親だ」
◇ ◇ ◇
説明を受けた那音は、口を開いたまま目が点になる。
ベッドのシーツを力強く握り込み、
「……そ、そんな事があったなんて……。じゃあ余梁と……恒一さんは?」
と尋ねた。
「別室で寝ている。——手術は成功した。安心してくれ」
それを聞いて那音は、自分の喉にそっと触れる。
恒一の事を想うと素直に喜んで良いのか迷う。しかし、やっと心の底からの安心を得た。
その安心感から、顔が崩れるのを抑えきれず、そして顔が溺れた。
「……やった、俺……また歌えるんだ……」
那音も余梁も、親からの愛を疑ってしまう時間の方が長かった。
しかし結局は親から愛を与えてもらい、夢への道に立てた。
まるで愛を素材にした梁に全身を支えられているかのように。
その後、正人に連れられて、余梁と恒一がいる病室に入る。
余梁のベッドの傍らの椅子に腰をかけ、複雑な思いが胸をめぐる。
それを整理しようとするが、到底無理で、単純な答えだけを無理やり用意した。
ーー余梁が目を覚ましたら、声は掛けない。最初の一言を待とう。
一言目を予想して、思い浮かんだその言葉に、自然と口元が緩んだ。
それから、心地の良い時間——全てやりきった後のような達成感に包まれた時間を過ごす。
十分ほど過ごした後、余梁の瞼が開いた。
すぐ横の那音の顔を見つけて、ジッと見つめると表情から読み取ったのか、余梁の表情が砕ける。
アイコンタクトを送り合い、同時に小さく首を縦に動かしてから、余梁は小さく息を吸う。
そして、
「——なま……バナナ」
余梁の口から、恒一の声で発せられた。
手術のすぐ後なので、まだ安定していない掠れた声だが、確かに恒一の声。
このたった五音の言葉は、那音と余梁の二人だけにしか分からない、魔法の言葉。
魔法の言葉を発し、聞き、そして微笑み合う。
しかし、余梁はその言葉の響きにハッとした。
「……この……声って……」
「余梁……それはね……」
苦しい表情で説明をしようとする那音を、余梁は手のひらを向けて制した。
「……待っ、て……。わた……し、なんとなく……わか、る。……気が、する」
まだ安定していない声を苦しそうに発した。
そして、那音が察してアイコンタクトで恒一の方を示すと、余梁は首を反対側に向け、恒一の姿を捉える。
まだ目覚めていないはずだった恒一が、いつの間にか横になったまま、背中を向けていた。
「おと、うさん……あり、がと」
心なしか恒一の背中が震えているように感じる。
恒一はその背中越しに、腕だけこちらに延ばした。
その手には、見覚えのあるボイスレコーダーが握られていた。
那音がそれを受け取ろうとすると、直前に再生ボタンを押してから、那音に渡された。
そして、
『俺の最後の声も録音しておこうと思う』
と再生され始める。
『——余梁へ、素晴らしい曲をありがとう。俺が歌手を辞めてからなかなか言えなかったが、俺は、余梁を愛してる。余梁が選んだ人生を最高にするのが、俺の役割だ』
病室の中に、いくつかの鼻をすする音が重なる。
録音はまだ続く。
「——那音くんへ。余梁を好きになってくれてありがとう。君の父と看護師さんから、事情は聞いた。君の献身的な愛でこれからも、余梁を支えてやって欲しい。そして君のその強い想いは、きっと力強い歌になって多くの人を救える。期待しているぞ」
那音は無言の恒一の背中に向かって、
「はい……」
と絞り出した。
そして余梁を一瞥して、決意をさらに固める。
目があった余梁が、微笑みながら口を開く。
「……実は……少し麻酔が、薄れたのか……。外の様子を、少しだけ、感じとれる……時があって……」
少しずつ声の調子を戻しながら余梁が、さらに頬を上げながら言葉を紡ぐ。
「……那音くん。……そんなに、私の事が……好きか! ……かっこよかった、ぞ……。守ろうと、して、くれて……ありがとっ」
と小さく舌を出した。
その次に、「おとう、さん」と呼び掛けて、
「私、おとう、さんに、もらった、この声と、歌を、世間に、認めさせて、やる」
そして、余梁は満面の笑顔を咲かせた。
「私、お父さんみたいな、歌手に、なる」
それを聞いて、恒一は小さく頷いた。
余梁が受け継いだ恒一の声が病室を駆け巡って、余韻を張り付けた。
【愛による必然の結果】




