第37話 憧れた姿と借りた言葉
廊下に出ると、予想以上に距離が開いていた。
「蹴人!」
「来んなっ!」
後ろから那音が追いかけて来る事に気付いた蹴人は、拒絶して松葉杖での歩を速める。
しかし慌てたため、すぐにバランスを崩して転んでしまう。
それでも松葉杖無しで、強引に立ち上がり、片足でケンケンをして逃げようとするが、当然すぐに追い付かれた。
そして逃げるのを諦めて、その場にしゃがみこむ。
「……なんなんだよ。……クソーッ!!」
左脚を固めるギプスに、力強く右手の拳を振り下ろそうとする。
それを那音は、正面から蹴人の両腕を押さえて制した。
「辞めろよ」
「うるせぇ。わざわざ追いかけて来て、なんの用だ?」
「蹴人が、これからどうするのかを、聞きにきた」
真っ直ぐに蹴人の目を見て言うが、蹴人の視線は地面に向けられている。
「は? お前に関係ないだろ」
「俺は、諦めたくない夢を諦めようとする奴を、ほっとけない」
「なんだよそれ。勝手にしろ」
拒絶の言葉と共に、那音の手を振り払って、落とした松葉杖の方へ這うように動いた。
「サッカーに未練あるんだろ。ほんとは歌じゃなくてサッカーがしたいんだろ」
那音はジリジリと離れていく背中を、突き刺すように言葉をぶつけた。
「うるせぇ! もうサッカーはいいんだよ。……掴みかけた夢を、急に奪われる気持ちなんてわかんねぇだろ」
「わかるさ」
『サッカー』という単語に反応し、語気が強まる蹴人に、那音は堂々と答えた。
「——あっ」蹴人の口から声が漏れた。自分のとんでもない失言に気付いたから。
それは蹴人自身が夏のオーディションで、那音の夢が叶う直前で奪い取った張本人だと気付いたからだ。
そして勢いを失くして「ごめん」と小さく呟いた。
「ふっ。そんなこと、俺は気にしてないよ。それよりもあそこから成長した俺の事を、蹴人が気にしろ」
「……そうだな。お前はすげぇよ」
「違う。褒めて欲しいんじゃない。蹴人も諦めるなって言ってるんだよ」
蹴人はジリジリと松葉杖へ這うのを止めない。
そのまま悲愴を顔に張り付けて吐き出す。
「ほんとはサッカーしてぇよ。でもスカウトの話……第一希望の話しか聞いてなかった……。ベストな道を選んでたら、無難な道さえ選べなくなった」
那音は静かに相槌を打ち、聞く姿勢を作る。
「それでどうすればいいか分かんなくなって、得意な歌で挑戦してみようかなって、軽い気持ちで思った。そしたらこの結果だろ? めっちゃ努力してるお前に負けるのはわかる。でも自信のある歌で、正面から才能に負けた……」
蹴人は吐き出し終えると、這う力を失くし、
「——だから、俺はもう……何も挑戦したくない」
とその場にうつ伏せた。
それを聞いた那音は徐に立ち上がり、落ちている松葉杖の方へ向かいながら話し始める。
「俺がなんで立ち直れたのか教えてやる」
蹴人は無反応で、ただ背中を震わせている。
「大切な人に教わったんだ。俺が向かい風だって思っていることを、背中で受けろって。そしたら追い風だろ?」
那音は嬉しい出来事を語るように、明るさを込めた口調で、余梁にもらった言葉を借りる。
それを聞いた蹴人は、首だけ起こして弱々しい声を発する。
「……背中で、受けたら……夢と……逆向きだろ」
「ははは。そうだよな、俺も同じこと思ったよ」
那音は松葉杖を拾い上げて、微笑を浮かべながら言った。
「そしたらさ。——地球は丸いんだよって。逆向きでも歩き続ければ夢にたどり着けるって」
蹴人は黙って聞きながら、唇を強く噛み、両手の拳を固く握っている。
「蹴人の夢は、たとえ遠回りしても、たとえ辛い想いをしても、叶えたい夢なんじゃないのか?」
優しく柔らかく、羽毛のように包んでくれる那音の言葉を聞き、再び顔を伏せて身体を震わせる。
伏せた暗闇の中で、サッカーへの想いを再確認する。どれだけ辛い想いをしても、蹴人の胸で燃えている火は決して消えない。
そんなこと蹴人が一番わかっている。わかっているからこそ、辛い現実から目を背けようと逃げていた。
那音は蹴人に歩み寄り、肩をポンと叩いた。
「——俺は夢に、ギリギリ爪先引っ掻けたぞ」
蹴人は無言で頷く。
「もう一回、聞くぞ。蹴人はこれからどうするんだ?」
肩に手を置いたまま、静かに返答を待つ。
触れた肩から伝わってくる震えが徐々に弱くなり、背中の膨らみから、呼吸を整えようとしているのがわかる。
二分程の時間を要して、弱々しい言葉が聞こえてきた。
「……お、れは。……の。……んち、に。な……たい」
「顔を上げて、ハッキリ言え」
那音は弱々しい言葉を耳に入れず、肩を強く叩いて促した。
一度大きく息を吸い込み、蹴人が濡れた顔を上げる。
「——俺は……。俺は! 世界一の、ボランチになる!」
「いいじゃん。蹴人なら絶対なれるだろ」
那音は頬を上げ、松葉杖を手渡す。
「ほら、立ち上がれ。やれる事からやるぞ」
そして、肩を貸して立ち上がらせた。
蹴人は再び夢への道に、立ち上がることができた。
「——俺は世界一のボランチになる。俺は世界一のボランチになる」
「もうわかったから! てか蹴人って名前なのにボランチなんだな」
自己暗示のように繰り返す蹴人に、那音は軽口で返す。
「別にいいだろ。ボランチが一番かっけーんだ」
「あぁ、もちろんいい。蹴人にぴったりじゃん、ボランチ」
朝と同じように蹴人の荷物を持ち、並んで歩いて出口へ向かう。
「……那音。ありがとな。それと……まじでおめでと」
「おう! ありがとう。蹴人が一回俺の気持ち折ってくれたおかげかもなっ」
「それはちょっと俺、なんて返していいかわからんぞ!」
微笑を浮かべながら、それぞれの夢への長い長い道に立った二人が、言葉を交わしながら出口へ向かう。
そして建物の外に出て、歩みを止めたところで、那音は自身のスマートフォンを取り出しながら提案する。
「もう歌の世界で会うことないだろうし、連絡先交換しようぜ」
「そうだな」
蹴人もスマートフォンを取り出して、応じた。
「また挫折しそうになったら、俺が立ち直らせてやる」
「うるせー、もう大丈夫だ」
すっかり立ち直った姿を見て、那音も満足の笑みを浮かべる。
「お互い絶対に夢叶えるぞ」
「もちろん」
静かに、しかし熱い想いが込められた感情を最後に確かめ合った。
程無くして、蹴人の親の車が到着し「付き添ってくれてありがとう」と言われたので
「いえいえ、当然です」と返した。
車に乗り込むまで補助して、別れを告げる。
那音は目指した夢への道の途中で、憧れたキャラクターの役を掴み取り、そして、憧れたキャラクターの憧れた姿を自分に宿し、一人の夢への道を繋げた。
借りた余梁の言葉を思い出して、改めて思う。
——俺と蹴人を救ってくれてありがとう。余梁も必ず救われてくれよ。
【憧れた姿と借りた言葉】




