第35話 えっ
我歌の歌は、圧倒的だったあの夏のオーディションよりも、さらに磨きがかかっていた。
那音は開いた口が塞がらない。
凡人がどれだけ努力してもたどり着けない程の実力を、生まれながら持っている人の才能を痛感した。
自分が全ての時間をかけて努力してきたからこそ、その決して埋められない差が如実に現れた。
「そ、それでは、えーっと。続いて個別面接に移ります。この部屋で行いますので、相馬さん以外は退室して廊下の椅子に掛けてお待ちください」
一足先に我歌の衝撃から立ち直った進行役が、役目を果たす。
それを合図に蹴人以外の者は次々に席を立ち、廊下に向かうが、那音は放心状態で椅子に根を張っている。
「風間さん、風間さん。聞いてましたか? 一旦ご退室お願いします」
「……あっ」
個別に声をかけられて、ハッとして周囲を見回し状況を掴む。
「す、すみません! 失礼しました」
と早歩きで退室した。
廊下に出ると、二人掛けの椅子が二つ並んでいて、我歌の横だけが空いている。
那音はその椅子に一瞥をくれてから、反対側の椅子の奥に立った。
「ちょ、ちょっと、お兄さん。ここ空いてるっすよ」
我歌が手招きするように呼び掛けた。
那音は口元を歪ませる。
直接呼ばれて無視するのは、あまりにも不自然なので、那音は軽く嘆息をついてから、重い足取りで我歌の横に腰を下ろした。
腰を下ろす時にも、無意識に嘆息が漏れてしまう。
しかしそれにお構い無く、我歌は好奇の視線を向けてくる。
「あ、あの。歌めっちゃ良かったっす。あんな気持ちがこもった歌、初めてっす。サイコーっす」
キラキラと目を輝かせる我歌からの称賛に、那音は目が点になる。
——明らかに自分の方が上手いのに何を言っているんだ。
何より、天才は凡人の事など眼中にないと思っていたので、単に驚いた。
「……君のが明らかに上手かっただろ」
下唇を前に出しながら答える。
「上手い下手じゃなくて、気持ちがこもってるかどうかっす。俺にはそれのやり方がわからない。てか……俺……辞退してもいいっすよ?」
「はっ!?」
那音は勢い良く立ち上がり、我歌を見下ろすように前に立った。
「ふざけんな! そんな気持ちなら最初から来んなよ」
強い言葉をぶつけた。そして視線を下に向けて弱々しい声で「……天才……」と漏れた。
何か言葉を返したそうな我歌を無視して、最初に立っていた位置に戻る。
程なくして面接室のドアが開き、蹴人が浮かない表情で出てきた。
那音とも目を合わさないまま、松葉杖を器用に使い、空いている場所——我歌の横に腰を下ろす。
我歌は蹴人には好奇の視線を向けず、むしろ反対側に顔を向けていた。
那音は歌の差を何としてでも面接で挽回するために、別の受験者を頭から追い出して思考を深める。
二人目と三人目の受験者が、次々と面接を終えていく。
二人ともどこか和らいだ表情で出てきた。
この二人が意外と歌を評価されていたり、面接で手応えがあったのか、そもそもこのオーディションにかける想いが弱いのか、那音には判断ができない。
しかし不安は募るばかりだ。
「次、風間さんどうぞ」
いよいよ那音の番になる。
「はい!」と元気良く返事をして、面接室に入った。
先ほどまでと同じように、審査員が五人並び、その向かい側には先ほどまでと違い椅子が一つある。
その椅子に促されて座った。
那音は正面に座る審査員と目が合う。心なしか頬が上がっている気がする。
他の審査員をソッと見回すと、好奇を向けてくれているのを那音は感じて、緊張が少し和らいだ。
そして面接が始まる。
「普段は何時ごろ寝て、起きますか?」
「好きな食べ物は?」
「親の仕事は?」
予想外にも、およそ歌に関係の無さそうな質問が続き、少しだけ取り繕って答えた。
那音の回答に、審査員たちは表情を変えずに、ただ頷いて何かをメモする。
「好きな歌手と曲を教えてください」
突然歌の話になり、背筋が伸びる。
この質問は想定していて、当然、回答を準備していたので、ニヤリと口の端を上げた。
そしてハキハキと余梁の父——白石恒一とその曲を答えた。
すると審査員は目を見開いて、大きく頷いた。
中には拍手をしている者もいる。
その反応をみて、那音は改めて思った。
——やっぱり余梁のお父さんはすげー歌手だ。
那音は自分の事のように得意気に、歯を見せて笑った。
「それでは最後の質問です。君はどんな歌手になりたいですか?」
もちろん想定していた質問であった。
「はい。さっきの志望動機の繰り返しになってしまいますが、俺は昔読んだマンガの脇役の姿に憧れました。そのキャラは自分自身に大きな力や才能は無いのに、周りに諦めない力を与えるんです。その姿がカッコ良くて、カッコ良くて……とても憧れました。なので俺は聞いてくれた人に、夢や目標を諦めない力を与える歌手になりたいです」
胸を張って答えた。
すると正面の審査員が「ほー」と言いながら、スマートフォンを操作して「もしかしてそのマンガというのはこれの事かな?」と言って、スマートフォンの画面を那音に向けた。
そこにはまさに、那音が小さな頃に憧れ、歌手になるキッカケを作ったバトルマンガが表示されていた。
那音は思わず立ち上がる。
「そうです! それですっ! で、でも……どうしてわかったんですか?」
「実は私もあのシーン好きでね。それで、もしかしたらって思ってたんだよ」
興奮混じりに問う那音に、ニヤニヤとして審査員は答えた。
その答えに那音は目を白黒させる。確かに大人気のマンガなのだが、該当のシーンはあまり目立たないシーンだからだ。
そして審査員も同じく立ち上がり、右手を差し出して握手を求めた。
那音は大股で近づき、握手に応じる。強く握ってくる審査員の手から、那音の中で文字通り手応えを掴む。
その審査員は、那音の目を窺うように見ながら
「ふふふ、期待してるよ」
と那音の肩をポンっと叩いた。
面接が終わり、那音は手応えを覚えた表情を隠すように努めて面接室を出る。
そして自身の面接のために立ち上がった我歌の座っていたところ——蹴人の横に座った。
するとすぐに蹴人に話しかけられる。
「お前、手応えあっただろ?」
簡単に見透かされた。
この後で結果が変わる事はないだろうが、まだ気を緩めないために
「まぁな」とだけ答えて沈黙する。
その後、他の受験者よりも短い時間で我歌は出てきた。
どうせいい加減に答えたんだろうなと那音は思った。
進行役の審査員が部屋から顔を出して
「それでは結果発表はこの部屋で三十分後に行います」
と告げた。
他の受験者に話しかけられたくない那音は、すぐに立ち上がる。
トイレに行ってみるも、あまり小便は出ず。
意味もなく階段で下まで降りて、外に出て、そしてすぐに戻って、とにかくじっとしていられなかった。
面接で力強く握手をされ、『期待してるよ』とまで言われた那音は、明らかに胸を躍らせていた。
他の人の視線がないところでは、自然と頬が上がり歯茎が出てしまう。
ソワソワしている那音にとって三十分はあっという間に過ぎた。
結果発表の時間になり、逸る気持ちが胸を強く叩くのを感じながら入室する。
他の四人と審査員たちは既に席についていた。
「それでは時間になりましたので始めます。まずは改めまして弊社のオーディションに参加してくださりありがとうございます」
丁寧な口調で進行役が頭を下げ、受験者も皆それに応えた。
「本日のアニソンボーカルオーディション、合格者は……」
進行役は一瞬溜めて大きく息を吸い込んでから続けた。
「——加藤我歌さん。おめでとうございます」
「えっ」那音は声が漏れた。
そして面接の時に握手をした審査員に目を向けると、苦い表情で両手を合わせて『ごめんなさい』のジェスチャーを返された。
那音の目の前で、また天才が自動ドアを開けた。
【えっ】




